中国・西域・絲綢之路を旅して
Seiden Strassen, 絹の道, Silk Road, 1997 
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←シルクロードの発着点
長安(現西安)の大雁塔
(筆者写)

ウィグル詳細図 
(中華人民共和国地図集・帝国書院)



はじめに
 シルクロード、日本人なら誰一人知らない者はいない道、直接に関係はなくても,何となくその響きに惹かれる道-その地域を、やっと訪れることができた。私が小学生の頃より、冒険もの、スウェン=ヘディン、井上靖、司馬遼太郎、陳舜臣、後になってNHKの特集「シルクロード」等々が、イメージや映像を私の脳裏にどんどん焼き付けてくれていた。

 彼の道の歴史は長く、紀元前2世紀に前漢(中国では西漢という)の武帝が、張騫(ちょうけん)に命じて、西方の月氏と連絡を取らせようとした。これがきっかけで、後に西のローマとの通商路が開けたといわれている。このように彼の道は、インドから仏教を運び、中国の絹をヨーロッパに伝え、ペルシャの文物を中国、朝鮮半島経由で我が国に伝えたのである。そういう意味で、あえて誇大な表現をすれば、ローマと奈良がか細い糸でつながっていたことになる。何とも夢のある話ではないか。

 しかし、このシルクロードという語、実は起源は英語ではない。19世紀にドイツの地理学者でベルリン大学のリヒトホーフェンは、古代に中国から絹が運ばれたことから、”Seiden Strassen”(ザイデンシュトラッセン)と名付け、その英訳、日本語訳がシルクロード、絹の道なのである。なぜか日本ばかりで有名になってしまって、世界では、一般にはあまり知られていないという。
 
 いずれにしても、「シルクロードに行きたい!」という私の長年の想いに火をつけたのが、N新聞のKツーリスト「ウルムチ・トルファン・敦煌・西安・北京9日間」という広告だった。ことばが頭の中で踊った。ゆっくり考える暇もなく、申し込みをすませてしまった。
内    容
とんでもない旅の始まり
西域の要、あこがれのウルムチ
神々の座・天山山脈を越えて
中国でもっとも低く、暑く、雨の降らない都市「火州」にて
玄奘三蔵ゆかりの高昌故城
略奪跡も生々しいベゼクリク千仏洞
「暑い!!」なんてもんじゃない!摂氏45度Cの火焔山
すべての生命を育むカレーズ
ビデオで撮影、即200元の罰金、交河故城
10 シシカバブの香りが広がるバザール
11 夜のイベントはウィグルの胡旋舞
12 初めて乗った中国の「軟臥車」
13 敦煌途上の漢の長城
14 あこがれの地、敦煌
15 初めてラクダに乗った「月牙泉」の沙漠
16 この度の旅のメインイベント、莫高窟(ばっこうくつ)千佛洞
17 夜店で値切って買った三蔵法師
18 空からみた厳しい自然の中の河西回廊(かせいかいろう)
19 シルクロードの起点、当時世界最大の街長安、現西安
20 大迫力大規模の「始皇帝兵馬俑へいまよう)坑博物館
21 玄宗と楊貴妃のロマンスの華清池
22 終わりに/参考及び引用文献




ウィグル自治区博物館展示の遊牧民のテント・ゲル(ウルムチ)


  

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