7「暑い!!」なんてもんじゃない!摂氏45度Cの火焔山!

 
 
さて、千仏洞見学の後、一度トルファンへ帰り、食事をした私たちは、火焔山山脈の反対側にある交河故城に向かった。歩いて回れるくらいの、大きくはないトルファン市内をバスは瞬く間に抜けると、そこにはもう土漠が広がっていた。後部はもうもうと砂煙が舞い上がってる。30分くらい走ると、玄武岩の砂であろうか、黒い砂漠に変わった。それからしばらくすると、行く手にあの火炎山が見えてきた。ガイドが言う。「ここで少し停まって写真を撮りましょう。車に気をつけてください。」まさか砂漠のど真ん中で「自動車に注意!」もなかろうが、悪路でも一直線なので、車は100km以上で飛ばしており、路肩に人が立っていようがお構いなし。「プープーブーブー」と、クラクションを盛大に鳴らしながら走り過ぎてゆくのであった。
     
 モワーと言ったらよいのだろうか、ボアーとでも言うべきか、冷房のほとんど利いていないバスから降りても、暑く感じる。暑いと言っても、湿度100%の日本の暑さとは完全に異なる。言ってみれば、乾いたボイラーから来た熱風が体を包むとでも例えようか。温度計を見ると、何と45度c!。湿度が低いからまだこの程度の感覚ですむが、日本の湿度でこの温度だったら、「死ぬーーーーー!」の一言だろう。出発する前、ある人が言った。「このクソ暑い真夏に、中国でいちばん暑い火焔山へゆくのは、正気ではない。よほどの物好きだ」と。写真を撮っている傍らのツアー仲間に、「こんなところにお金を出して来る私たちは、よほどの変人かもしれませんね。」と言うと、その人も肯いてニヤッと笑った。

        
<トルファン周辺略図>

「地球の歩き方」より転載
 
 火焔山そのものは、これまでさんざん写真で目にし、テレビの番組やコマーシャルでも見ているので、特に驚きはしなかったが、沙漠の正面にどんと大きく横たわっている姿は、迫力があった。本によると、長さ100km幅9kmで、最高地点851mの山脈だという。1975年には49.6度を記録し、そのとき地表面は82.3度になったという。流石、「西遊記」の舞台だ。いくら「火州」と呼ばれていても、乾燥化がすすんだとしても、その昔この辺りに何百年も高昌国が栄え、西域シルクロードの一大センターだったとは信じがたいものがあった。写真を取り終わると、あたふたとバスに乗った。なぜか汗は出ない。皆満足そうな顔をしている。日本に帰ると、火焔山をバックの記念写真を引き伸ばし、家族の前で得々と説明する彼らの姿が目に浮かぶ。