8 すべての生命を育むカレーズ
さらに走ると、道の脇にとうとうと流れる小川が現れた。人工の地下水路が地上に現れた姿である。年間たった16mmしか降らないこの土地に、彼方の天山山脈の雪解け水を、延々と人力で掘った地下道で、何十km時には百km以上引いてくるのだそうだ。これがなければ人も植物も生きられない。トルファンだけで、この「カレーズ」の総数1000本以上、総延長3000kmもあるという。よく「生命の水」という表現があるが、本当にその意味が分かっているのは、この様な土地の人ではなかろうか。比喩ではなく、そのものなのだから。
カレーズの地下トンネル
カレーズのような地下水路は、世界の乾燥地帯ならどこでも見かける。西アジアのイランなどではカナートといい、これも5世紀にイランから当地に伝わったという。私が以前に住んでいたサハラ沙漠の国アルジェリアでは、同様の物をフォガラといい、オアシスのナツメヤシや西瓜を育てる水を運んでいた。そんなことを考えていると、村に入った。カレーズの両側にはポプラか桑と思われる並木が続く。気のせいか、この辺りは涼しかった。乾燥地帯では、木陰は大切だ。水路には小さな橋がかかり、日干しレンガでできた塀と土の家につながる。それに膝まで浸かった「矢ガスリ」服の農婦が、野菜を洗っている。これと似た風景は、日本の木曽路などで、まだ見かけられる。ブドウ棚のある中庭では、子供が遊んでいる。どう見ても屋根のなさそうな家屋もある。よほど雨の降らない土地柄なのか。
村の中心の未舗装路上は、野菜籠を頭に乗せた人、羊の頭や肉塊をのせたロバ車、その横を走ってゆく裸足の子供でにぎわっている。また、道に沿って露店が開き、きれいな矢ガスリの生地や雑貨を売っている。その狭いところを、バスはゆっくりとクラクションも鳴らさずに進んでゆく。その間、運転手はキョロキョロ左右を見ながら忙しい。何と活気があり、何と懐かしく、何と人間味がある光景だろうか。特にそう思わせたのは、人々の顔だった。陽に焼けしわだらけだが、自然でてらいもない表情の営みである。500年前もきっと100年後も同じ雰囲気だと思わせた。私はツアーでなかったら、バスから降りて通り過ぎる人にあいさつをしながら歩いていたであろう。