9 ビデオで撮影、即200元の罰金、交河故城
延々と谷を上がってゆくと、茂った木に囲まれた広場に出た。土産物店のある建物の右から坂は始まり、上の方に「交河故城」の大きな看板があった。故城はヤルナイゼ川の中州にあり、長さ1600m、幅300mの台地で、周りが30mの崖になっている。この辺りの遺跡ではもっとも古く、紀元前に車師前国があり、ここを都としていた。前漢は、騎馬民族匈奴(きょうど)からこの土地を奪い、漢人の植民基地にしたのだ。
交河故城(筆者写)
我々のグループは、ガイドが説明しながら坂を上っていったが、私はメインストリートに残って、この遺跡を撮っていた。次に、カメラをビデオに持ち変えて10秒ほど撮った。すると、後ろに人の気配がする。はっとして振り返ると、怖い顔をした男が立っている。片言の日本語で、「ビデオハダメ..バッキン..エー...300ゲン」と言っているではないか。男はここの監視人だったのだ。うかつだった。
バスから降りる時、ガイドがすでに注意していた。「写真撮影は良いですが、ビデオ撮影はせず、カバンにしまっておいて下さい」と。「知りませんでした。許して下さい!」「ダメ!罰金!」とやりとりをしていたら、別の日本人グループを連れてきた中国人ガイドが側に来て、事情を私にたずねた。そこで訳を説明し、「したことは認めるが、罰金を半分に負けてくれないか」と言って欲しいと伝えた。
しばらくの間、二人の中国人の間で激しい中国語のやりとりがあった。こちらは意味も分からず、ただ交互に顔を振っていただけだった。ついにガイドが私に言った。「ビデオカメラはカバンにしまうこと。違反を認めたので、罰金は200圓(元)に負けると言っています。」思わずガッツポーズを取り、「ありがとう」と言いながら握手をしていた。ガイドと一団は去り、私の掌の中には領収書だけが残っていた。「本当にあの金は国の金庫にはいるのかしら?」と負け惜しみに思ったりした。因みに1圓(元)は日本円で約15円である。中国人労働者の平均月収は一万円で、田舎の農家は数千円という。
さて肝心の故城の方だが、こちらのほうは素晴らしい。すべて屋根はなく、土製なので壁もかなり落ちているが、当時の様子をしのぶには十分である。団体が通るたびに、中国語、日本語、知らない言葉が通り過ぎる。いなくなると、ヒューヒューと風の音だけが聞こえてくる。それを背中で聞きながら、さかんにシャッターを押す。
城門はほとんど残っており、役所の跡らしい建物や各所にある仏塔がはっきり分かる。どれも下部は砂に埋まり、歩くと足下の砂が流れる。曲がりくねった大通りを1kmほどゆくと、突き当たりが、縦横70mくらいの敷地をもつ寺院跡であった。真ん中の塔の壁に、仏像をはめ込んでいたのがよくわかる。けれども像はほとんど残っていない。自然に風化したのか、それとも、イスラム教徒が破壊したのか。
カメラ2台を持ち替えで苦労しているとき、遺跡に似つかわしくない二人連れが現れた。二十歳そこそこで、男は中国人には珍しいスリムな優男、女は女優にしてもいいくらいの容姿で美人、真っ赤なパラソルをさしている。その互いの表情と様子からどうも新婚らしかった。単調な土色の遺跡の色の中に、真っ赤な傘が何とも新鮮に映った。思わずシャッターを切っていた。その後、私はNHK「シルクロード」にも登場したこの遺跡の中を突っ走って、息を切らせながら仲間を追いかけた。
赤いパラソルの女性(筆者写)