2 西域の要、あこがれのウルムチへ(ペキンからウルムチへ

 生まれて初めて、旧ソ連製の「ジャンボ」、イリューシン86型に乗った。評判では、もともと軍事用に作られたため、気密が悪く耳がツーンとすると聞いていたが、特に不都合はなく、むしろボーイング747より高い天井が、快適で明るく開放感があった。 



イリューシン86

ウルムチ空港
 
 さて、目的のウルムチであるが、ジュンガル語で「美しい牧場」という意味だそうで、新彊(シンチャン)ウィグル自治区の首都、西域シルクロードの要で、人口130万人を越える大都市である。北京空港からおよそ3時間でウルムチ空港へ着いた。その直前に機上から見た天山(テンシャン)山脈の白い峰々の美しさが心に焼きついた。飛行機から出たとたん、砂っぽい乾いた熱風が押し寄せてきた。ちょうど、北アフリカ、サハラの国アルジェリアのアルジェ空港に着いた時と同じ感じである。まわりはだだっぴろく地平線も見えている。北京とは異なりローカル空港の雰囲気であるが、それよりも人々の様子が、北京とはまるで違っていることに気がつく。


ウィグル主要部 (ウルムチ−トルファン−柳園−敦煌)

 男たちの顔が西アジアぽく、長い顔、浅黒い肌、奥まった目、頬にまで生えたひげ、これらの容貌は明らかにトルコ系の顔である。のっぺりした顔の北京人と同じ「中国人」とは思えない。トルコ系のウィグル人は、遊牧の民カザフ人など中央アジアの人々と血縁であるようだ。もともと独立して生活していたが、中華人民共和国成立の際に、中国に組み入れられた。このことが、隣のチベット同様に、「民族独立運動」が絶えない原因となっているようだ。つい数ヶ月前に、日本の新聞に「ウルムチで独立派による暴動、死者も」という記事が目につき、気にはなっていたが、着いてみれば意外と平穏な都会であった。
 
 街の広場には、大きな宣伝の看板が立っていた。中央に西域最大の民族ウィグル族、とその横に漢族が立ち、この二人がしっかり国旗「五星紅旗」を支えている。両側に十人ぐらいが並んで立っている。この自治区に住む少数民族カザフ、モンゴル、ウズベク、キルギス族などだそうで、それぞれが異なる顔つき、髪型、衣装で立っている。また、街の看板、商店名などの表示がすべて中国語、ウィグル語を並べて表示してある。いかに中央政府が、漢族とこれら少数民族との共和に力を入れているのが分かる。
  

ウィグル自治区博物館(筆者)

翌日、ウィグル自治区博物館へ行った。ここは、主にタリム盆地発掘された土器、石器、文書や織物などが展示され、また自治区内の民族すべての衣装、生活が紹介されている。文物の展示は、時代順に並べてあるが、すでにBC2000頃には農耕による定住が行われていたようで、「シルクロード」時代以前の歴史も長いと説明されている。

ここの展示でいちばん心に残ったのは、あまりにも有名なスウェーデンの探検家、スウェン=ヘディンが発掘したので知られる楼蘭(ローラン)遺跡から出土した、「永遠の美女」というミイラ(BC2000?)であった。年は45歳位で身長は157cmだそうで、麻と思われる織物に体を包まれ、長い髪をきちんと束(たば)ねて姿勢正しく横たわっていた。顔立ちは白人系で髪は栗色、肌頬ともに干からびてやせこけてはいるが、整った顔立ちである。生前に美しい顔であったことは、容易に想像できた。生きているときに会いたかった。きちんと梳(す)いた長い髪にさした一本の羽毛が印象的であった。

 さらに心に残ったのが、近くに展示されていた3000年前の乳児(赤子)のミイラであった。生後数ヶ月であろうか、麻布に大事に何重にも巻かれ、頭には手編みの暖かそうな青い毛糸の帽子がかぶせられている。そして脇には、干からびた羊の乳首が、天国での哺乳びんとして置かれている。生まれたばかりのこの赤子に、一体何が起こったのだろうか?両親はどのような気持ちでこの麻布を巻いたのか? 子供の顔つきが、安らかだったのが救いだったが、じっと見ていると、布についたシミが両親が落とした涙に見えてきた。