ベネルクス三国 縦断ドライヴ 2006 Vol.2
ベネルクス三国・ドライヴ・マップ
DAY 5 好きな画家フェルメールの墓参り・車中で夫婦大喧嘩
ライデン−デン・ハーグ−デルフト−アントワープ(ベルギー)
Den Haag
デン・ハーグのビネンホフにある最古の建物「騎士の家」(国会)
朝9:35、ライデンのホテルを出発 441.7km 10:42 デン・ハーグで2回目給油 464.3km


デン・ハーグ:ビネンホフそばの小公園のパーキング・エリア(有料)で


この国では、道路のそばに風力発電機が並んでいる風景は珍しくもないが、日本人の目には新鮮に写る


Delft
12:12 デルフト着 Tripmetre 512.0km
 
デルフト:新教会わきの有料トイレ
長い間ガマンしてオートルートを運転してもサービスエリアがなく、苦しみながらやっと町中で見つけたが、
「先客」が二人いた これは写真を撮りながら耐えた時の写真である 右の写真はカミさんがその後撮ったもの
内部は完全オールステンレスで床は穴あき、何があっても水で流せばきれいになるようにしてある
これを衛生的というか、無機的というか・・・


Delft
デルフト:新教会前の「国際法の父」グロティウス像
新教会の塔に登るが、階段は狭くくるくる回って時間がかかる しかし上からの展望は最高で
値打ちはある 真下のマルクト広場や少し離れた旧教会、町の全体のようすがよく分かる


インナー・リンク:私の写真・資料館フェルメールゆかりの町・デルフト

デルフト:新教会からみた旧教会
その塔が傾いているといわれるが、分からなかった



旧教会の床にある画家ヨハネス・フェルメールの「墓」
フェルメールの「真珠のイアリングの少女」は私の大好きな絵である 
好きな画家や作曲家の墓参りは出来るだけすることにしているので、どうしてもと探して行った


東門そばにある回転式の橋
運河にかかる新しい橋は、船が近づくとブザーがなり、赤信号が点灯する そして車止めバーが下がり
そのあと橋が回転し始め、90度回転する 船が通る間は、ちょうど電車が通る踏切と同じ様子になる
日本ではあまり見られない景色なので、目の前の船を見ているとたいへん面白い 15:22デルフト出発 


オート・ルートにあるサーヴィス・パーキング・エリアのレストランで
ルート:A13 ロッテルダム A20 ドレドレヒト A16 ブレダ ローゼンダール
オート・ルートではスピードは全体的に高い ほとんど100kmで走る車はなく、120〜140kmで走ることが多い
従って、初めて行って運転する場合は、早めの休憩が必要である 16:38 584.7kmでパーキングに入る トイレ後、 
コーヒー飲んで少し休憩 16:58 588kmでベルギー国境を越えるが特に何もなく、道路脇に小さな表示板があるだけだ 
道はA1に変わる 検問所もなく、気が付かない人が多いはずだ そのくらい、「ヨーロッパは一つ」になっている 


車内ではげしく夫婦喧嘩をする
途中何度もルートを換えたが、間違って他の町方向の道に入った オート・ルートで一度道を間違えると、
最低数十キロはロスする ナヴィゲーター役のカミさんに「しっかり見ろ!」ときつく言ったら、
カミさんは「大体この道路マップが悪いのよ!見にくいし詳しくないし・・!」と怒り出した 
それからしばらく怒鳴り合いがつづく 最後は「もうドライヴにくるな!」「ええ、二度と海外ドライヴには来ない!」
までエスカレートする しばらく車内は険悪なムードが続く 「アー、カーナヴィが欲しい!」
因みに、国内でも相当前のドライヴで大げんかして、その直後にカーナヴィを付けたのだった・・・



次第に暮れてゆくオート・ルート
オランダ国内よりは交通量は少なく、順調にアントワープ(アントヴェルペン)に近づく
ガソリン1Lが日本円200近いので、道路が「どれだけ走っても道路が無料」というのが嬉しい


ベルギー北部の大都市・アントワープ中央駅
駅前には小振りな三つ星くらいの旅行者用ホテルがいくつもある その中の一つに空き部屋があった 
駅前なのでパーキングはビルの地下一階、二階にあり、狭いトンネルをどんどん下って十何台のスペースに停める
駅前の良さは観光と買い物に便利ということがある また大きな駅は休日や時間外も両替所が開いている


駅近くの中華街にあるコイン・ランドリー
旅もここまでくると、着替えが無くなってくる 私はバックパック旅のクセで、ほとんど旅行の間
洗濯しなくても良いくらい持ってくるが、カミさんはあとがあまりないという ホテルで訊いて、
洗い物を持って駅前を歩いて中華街へ ついでに中華レストランで夕食を取ってからホテルに戻る
私たちは旅行中は、出来るだけ中華料理を食べる なぜか、元気が出るのだが、カミさんが大好きということも・・
 この中華街あたりはあまり治安が良くないのか、パトカーがいたり警官がたくさんいて、若者の相手をしていた

ホテル車庫入車・20時過ぎ トリップ・メーター:637.3km


  









ベネルクス三国・ドライヴ・マップ

DAY 6 アントワープ:王立美術館見学、「あれっ!車がない!」
アントワープ−郊外のホーボーケンーワーテルロー−イットル村(すべてベルギー)
雰囲気の良いアントワープ中央駅
一日のスタート前に、ホテルそばの中央駅地下の観光案内所に行き、市内地図をもらう
雰囲気が大変良く、車でなかったらぜひゆっくり列車待ちをしたい駅である
駅から出たところにある換金所で換金:E200


「ルーベンスの家」の前で
アントワープの市街の観光スポットは、「王立美術館」以外は、駅から歩いて行ける距離である
駅から真っ直ぐ延びた魅力的な道の左手を入ったところに「ルーベンスの家」がある 当時外交官でもあった
彼の家は素晴らしい邸宅で庭も素晴らしい アトリエも大きく、たくさんの弟子が絵を量産していた様子が
容易に想像できる だから彼の絵は出来不出来がはっきりしているらしい 大作も展示される内部は撮影禁止


内部リンク:私の写真・資料館「ルーベンスの町・アントワープ」


フルン広場の「ルーベンス像」とルーベンスの大作があるノートルダム教会(後)
この町はルーベンスだらけだ どこに行ってもルーベンスと縁がある この教会は素晴らしい教会で
観光するなら必ず見た方がよい場所である ルーベンスの「キリストの昇架」などは名作と断言できる
ここはまた見る物が多いので、時間を取ってゆっくり見たい場所である

(その詳細は上のリンクにあるのでご覧いただきたい)


グローテ・マルクトの市庁舎にあるブラボーの噴水前で
アントワープは13cから金融・商業で発展した町で、現在は貿易港、ダイアモンド研磨、そしてルーベンスの3つ
によって代表されるが、私たちにはルーベンスしか用がないのがかなしい その町の市庁舎がこれである
まるで学校の運動会みたいな旗装飾は、賑やかでややユーモラスだが,
前にある有名な噴水と合わせると、良い被写体になる




王立美術館の玄関にある「表札」
ここはルーベンス・ファンならぜひ行きたい美術館である 日本では、パリのルーブルやロンドンの国立美術館
ほどは知名度が高くないが、「ルーベンス・コレクション」の量はすごいし、大作も多いので、世界最大級といえよう


内部リンク:私の写真・資料館・オランダ・ベルギーの美術館

王立美術館の二階中央にある当美術館のウリである「ルーベンスの部屋」
「客」も少なく館内の雰囲気も落ち着いていて、ルーブルなどのザワザワ感がなく、ゆっくり鑑賞できる
(注:右の光る部分はガラスの反射写り込み)



あれっ?!

「王立美術館」から出て車の所に帰ると、あれっ?車がない!!!

はじめは「勘違いでもうひとつ隣の通りだったか?」と思ったが、カミさんも「ない!」という
「盗られた!ぬすまれた!」と思ったが、日本から盗難防止用のハンドル・バーを持参し
駐車の度に装着していた 「他の車を盗る方が楽なのに・・」と思っていたら、近くに下のような標識があった
「ひょっとして、レッカー車が・・・!?」 どこに行ったらいいんだろう? そこには警察の通知書も置いてなかった


すぐ近くのレストランに飛び込んで「泣きつく」

客ではないが、主に相談した 訳を話すと、「それは警察のレッカーが持っていったんだよ」とさらっと言う
奥さんが「どこに止めてたの?」というので指さすと、「あそこはダメよ 家の駐車場前でしょ!」
「えっ?」一台分だけ空いていたので、「ラッキー!」と止めたのだったが、そこだけがガレージとは・・
私は免許を取ってウン十年だが、日本でも海外でも一度もレッカーのお世話になったことはなかった

主は警察に電話してくれ、どこに保管しているか聞いてくれた 結果、まず所轄の警察に行き、
紙をもらってから保管場所に行くことになった タクシーも呼んでくれて、運転手に説明してくれた
こうして、不注意からお金と時間がたっぷりかかってしまった まあ自業自得なのだが・・・・(泣笑)


「わが車」の引き取り
ホーボーケンという郊外のレッカー会社に到着、カードで支払ったあと、駐車場にあった車を「受領」
出ようとすると、レッカー車がまた車を運んできた 「気の毒に!」・・なぜか「仲間意識」があるのだ
回りを見ると、けっこうたくさん並んでいる 「これはなかなか良い商売だなあ」・・と思ってしまう
狭い古い旧市街では、困っていくらでも止める車がいる つまり客は無尽蔵だ


<今回のツケ>
タクシー代E24(約3600円含チップ)、レストランに電話代お礼等でE5(約750円)
レッカー代E124(カードで支払い・約18600円)・・計約22950円
トホホ!これだけあったら、たくさん土産が買えたのになあ・・(溜息)


Waterloo
ホテルを探して山の中の道を走る
(注:写真中の白い四角はダッシュ・ボードの写り込み)
 気を取り直して17:26 再出発@640.1km 17:46 パーキングエリアにて給油(15.30L・E20.25) 18:00〜18:29 ブリュッセル近郊大渋滞 19:20ごろワーテルロー着 ワーテルローで泊まるつもりが、4軒のホテルを次々回っても「満室」ばかりでまったく部屋がない 「ワーテルローって観光地ではないのか?ホテルが少なすぎる!」

 ホテルのフロントは言う「この時期は良い季節なので、ブリュッセルなどで会議などが開かれる ここは通勤圏なので、部屋の予約が入ってくる またここは観光というよりビジネスの町だから、観光者用のホテルはあまり無いのだ」と 最後に訪れたホテルのオーナーが「ここからはちょっと遠いが・・」と電話をかけてくれ、隣村の山の中のホテルを紹介してくれる 私たちはどんな所でも、今夜泊まれるだけでいい お礼を言ってその村に向かった

 また自動車道に乗ってしばらく走り下りた後、ある村に入ってから迷う ある家の庭にいたおばあさんにカミさんが尋ねるが 英語は全然通じない オランダとは違い、ベルギーはフランス語圏で英語はダメらしい カミさんは昔習った「錆び付いたフランス語」で四苦八苦しながら何とか道を聞いてきたので、再スタート 

こうして迷いながら、山中Ittle村の"Le Relais Du Marquis"という名前がすごいホテルに到着 20:20 @732.4km

Ittle Village

ホテルでの遅い夕食はベルギービール(アルコール度11と6の二種)と魚、カミさんはダック、味はあっさり系

  すでに真っ暗になった外のテラスでロウソクの明かりで夕食 高原らしく少し涼しい 食事中にマダムが来て、「中の方が明るくて良いですよ」というので移動 ベルギービールは薬草のようなフレーヴァーがあるが、強くて美味しい 日本ではビールは、「あ〜にがっ!」といって飲まないカミさんが、「私でも飲める」とちびちび飲る!私は「ホー」と感心、ベルギービールは女性の好みか?

 食事後は部屋に入るが大変狭い こんなに混んでいる時期でも空室がたくさんある 「三つ星」とあるが、実際は二つ星レヴェルだ 安い方の部屋にしたので、客室棟の外観は元厩舎のようで大変質素だ 田舎でよくあるホテルのパターンだが、レストランの方が「ウリ」で、部屋は付け足しの感じである 今日はいろんな「疲れる」ことがあったので、また空腹で強いビールを飲んだので、ベッドに入るやいなやすぐに寝付く ZZZZZZZZZZ〜ZZZZZZZZZZZ !



  












ベネルクス三国・ドライヴ・マップ

DAY 7 ナポレオンが没落したワーテルロー古戦場へ
イットル村−ワーテルロー−ブリュッセル−ルクセンブルグ
Ittle村の"Le Relais Du Marquis"ホテルを出発
朝食は宿泊料金外で一人E8(1200円)、大食堂は団体さんが食べた後で、ヨーグルトはないし食べ散らした後だ
「ヨーグルトがない」というと、「今日の分はすみました」と素っ気ない返事、「金は同じに払ってんだぞ!」とつぶやく
他の物を多めに食べて元を取る 我ながら、何か浅ましいなあ 10:16チェックアウト後、遅めのスタート


Ittle村の牛たち
朝陽をあびて早い朝食後の黙想または反芻をしている牛たち ストレスもなくとてもいい環境の牧場である



Waterloo:La Butte du Lion
ナポレオンが最後に大敗したワーテルローの郊外・人工の「ライオン像の丘」
昨夕走ってきた道とオート・ルートを引き返して、11:15近くの駐車場に到着 756.1km
写真右の料金所兼土産物店の「ヴィジター・センター」から入場(Entryfee@E2.5=375円)
写真右奥円形の建物は「パノラマ館」で当時を再現


内部リンク:私の写真・資料館ナポレオンの没落・ワーテルロー


ウェリントン公アーサー・ウェルズリー
La Bataille de Waterloo
ワーテルローの戦い
リンク

出典: フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」


ナポレオン・ボナパルト
 
 
「ライオン像の丘」 La Butte du Lion
ここは畑地に作った全くの人工の丘だが、高さは40mもある 真っ直ぐ上る階段は体の弱い人だと一気には上がれない
ライオンの頭部までは約50m 1815年のこの戦いでナポレオン没落後の1826年建立 「対仏大同盟」軍の勝利記念碑
フランス人の「愛国的共和主義者」はこのライオンは見たくないだろう

丘から下りてそばの集落のスタンドで給油、16.45L@E1.228で安い ガソリンは田舎の方が安い?
その後「ナポレオン軍」がいたあたりを回ってみるが、畑があるだけで農夫が作業していた
モニュメントはプロイセン軍とスコットランド軍のものがあっただけである

12:50 761.8km 村を出て、オート・ルートでブリュッセルに向かう

オート・ルートでブリュッセルへ
道は片側二車線で、まあまあ流れて順調だったが、ブリュッセルに近づくと渋滞気味に



ブリュッセル中央駅近くの駐車スペースで (カミさん写す)
駐車しようと思って、Pそばの販売機にコインを入れるがコインは返ってくる 困っていると写真の男性が、
「どうしたの?」と英語で聞いてきた 訳を話すと、「ああコインはダメだな、このカードしか今は使えない」と言って、
自分のカードで駐車券を買ってくれた 有難かった 私はお礼を言いながら、コインを渡した
日本で外国人がこのように困っていたら、こうしてあげたいものだ−といつも思う 
オランダでも似たようなことはあった 旅先の親切は本当に身に染みる
 
13:35 ブリュッセル中央駅近くのP着 792.6km
ブリュッセル中央駅(Travelex)でT/CE200交換

ブリュッセル:グラン・プラスの市役所前で
グラン・プラスのまわりの建物はすべて魅力的である この市役所も出来れば「館内ツアー」で中を見たい
私たちは時間がなくて今回は諦めた

内部リンク:私の写真・資料館首都ブリュッセル


J.Bruegel
ブリュッセル・王立美術館で
ルーベンスと並んで、やはり地元出身のブリューゲル父子のコレクションが充実している
ブリューゲルは父と息子二人の作品がずらっと並ぶ 息子が父の作品を「模写」しているのが面白い


内部リンク:私の写真・資料館オランダ・ベルギーの美術館

ブリュッセル・王立美術館 ヤーコプ・ヨルダーンス「豊饒の寓意」
この画家も蒐集が多い一人だが、私が今までになく気に入った一枚である
しかしこの美術館の素晴らしいところは、
宗教画のコレクションがたいへん充実していることだ
好きな人にはきっと堪えられないことだろう 全体的に世界の十指には入るだろう



ルクセンブルグに向かって一直線
17:02 王立美術館からPに戻り、ルクセンブルグに向かってN411を飛ばす 本当は、このブリュッセルも
見所はたくさんあるのだが、明後日の夕方までにはアムスまで戻らなければならないという
強行スケジュールなのである オランダと比べて観光が雑になってきている 交通量が減ったので、
アクセルを踏み込んで時速155kmを出す それでも昔、ドイツのアウトバーン(オペル)や
アフリカ・アルジェリアのサハラ砂漠(プジョー)でだした180kmには遠く及ばない 
このシトロエンもアクセルを踏めば、まだまだ同じくらいは出るのだが・・あの頃は若かった

まわりがやや薄暗くなりかけていたが、まだまだ先は長そうだったので、サーヴィス・エリアで
休憩を兼ねて夕食にする 食べた物は下の写真、皿一枚に好きな物を詰められるという私たちの
いちばん好きなメニューだ 運転中なので、美味しいベルギービールが飲めないのがつらい
(二人でE21.05=約3150円)


食事後、再スタート 19:25 @895.3km
ルクセンブルグ国境を越える 20:17 @987.8km 

話すも涙、聞くも涙
ルクセンブルグ市内に入ったら、ホテル探しが始まった いつも使う三つ星クラスはすでに鍵がかかっていて、
訊くことも出来ない 何軒か回ってから諦め、ロビーが開いている四つ星ホテルに訊ねるが、どこも満室だ
最後に行ったホテルのカウンターの男性はこう言った 「先も何人かが訊いてきたが、この町はもうどこも満員だよ
国境のむこうにトリアーという町がある そこまで行けばあるかも知れない」 これはえらいこっちゃ!

「むこう」とはドイツのことだ 距離はたいしてないが、もう11時前だ それでも私たちはまたオート・ルートに乗り、
トリアーを目指した タンクも空になりかかったので、途中で給油
(23.75L/@23:10/@1060.2km) ところが何と言うことか!
着いてみれば、大きなホテルもやはり全部満室だった(12:00〜12:30) 「予約なし」がふつうの私たちのドライヴも、
とうとう「宿無し」の日がやってきた これはやはり不安だ

あ〜〜どこにも泊まるホテルがない!

考えてから、またルクセンブルグに戻ることにした またオート・ルートに乗って帰り、町に近いサーヴィス・エリアに
車をとめた 私なんぞは冬、信州にスキーに行く時、ときどき高速のSAで仮眠するから平気だが、ウチのカミさんは
体力がないから不安があるが、もうどうしょうもない トラックがたくさん停まっている近くなら安全だろう トイレも近い
こうして車の椅子を倒した時は、夜中の
1時49分@1168.2kmであった ある物を全部出して着込む エンジンを切ると、
室内はだんだん冷えてきて寒くなった それでも疲れていたのか、意外と早く寝付いてしまった

上写真:私たちがとめた駐車場(イメージ)



  

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