ベネルクス三国 縦断ドライヴ 2006 Vol.3

ベネルクス三国・ドライヴ・マップ

Day 8 眠い眼をこすって町中に アメリカ軍墓地に墓参り
ルクセンブルグ−ベルギー通過−(オランダ入国)マーストリヒト−アイントホーフェン泊
車中泊の駐車場の朝(ルクセンブルグ)
寒くてそしてトイレで目が覚めた カミさんは後部座席で海老状態でぐっすり寝ている
トイレの後、東の方が明るく日の出前なのに気が付く 車に走って帰りカメラを取り出した


日の出の写真
は上をクリック

カメラをもって一気に十数枚を連写した こういう写真は三脚なしではブレて良いものは撮れないが、トランクを開ける時間はなかった 夢中で撮っていたら、いつの間にかカミさんが起きて、自分のカメラで上の写真を撮っていた

ルクセンブルグ中央駅コンコース
中央駅はインフォーメーション、有料トイレ、レストラン、売店など一通り揃っている


ルクセンブルグ中央駅一階のインフォーメイション
地図や各種案内が無料で、係員も親切で英語が上手い 宿の予約も出来る


見晴らしが抜群の憲法広場 「第一次世界大戦慰霊塔」が中心にある
ここから見ると、この町が起伏に富み、谷底と丘上の二つの地域から成り立っているのがよく分かる


憲法広場からみたアドルフ橋 高さ46m、長さ84m
町で見晴らしがよい場所で、紅葉が始まりかけていた 下を流れるのはペトリュス川


憲法広場からみたノートルダム寺院
10:33 1204.5km

郊外にある米軍墓地のパットン将軍の墓で
米陸軍・第三軍司令官・パットン将軍は映画「パットン」(邦名「パットン大戦車軍団」)にもなった第二次大戦の英雄 この近くの「アルデンヌの森(高原)」攻防戦でめざましい功績を挙げた このあたりは映画「バルジ大作戦」に詳しく描かれる 彼の名は「M48パットン戦車」で残っている 生粋の軍人で「勇猛果敢」で鳴らしたが、それ以上にはなれなかった 彼は古代史が好きで戦術に引用した「ロマンティスト」の反面、「退却」ということばと共産主義の」「ソ連」が大嫌いだった それが彼の限界だった 映画「パットン」のなかで、ドイツ軍の副官がパットンを「偉大なるアナクロニズム(時代錯誤)」と評していた このあたりが後に米大統領になった当時の連合軍総司令官アイゼンハワー大将などとは大いに異なる パットンはドイツ降伏後半年ほどで交通事故で入院死亡したが、「事故死」するのを大変悔やんでいた(軍人の美学は戦死)という話が残っている

インナーリンク:パットン将軍の眠る米軍墓地

米軍墓地 11:05〜11:54 1213.8km

どんどん飛ばしたオート・ルート(自動車道)






オート・ルートを飛ばさなければならなかった状況と理由
まだルクセンブルグにいるのに、明日の夕方には、スキポール空港でレンタカーを返さなければならない−というオソロシイ状況になっていた しかもそこに直行ではなく、もう一度デン・ハーグに寄って「マウリッツ・ハウス美術館」に行かねばならなかった この間に行った時は、運悪く「休館日の月曜日」で、いちばん見たかったフェルメールの絵が見られていなかった 何が何でも見ると決めていた とにかくここからは観光抜きで飛ばすことにした

12:35 PAで給油 19.17L(E19.92) その後昼食サンド、地図など購入 1242.2km


途中で休憩と食事のため寄ったオート・ルート上に跨るサーヴィス・エリア(上下とも・ベルギー)



今回のドライヴで初めて見た交通事故(ベルギー)
14:17 1325.0km

途中の町バストーニュは鉄鋼業の町らしかったが、何となく寂れて見えた(ベルギー)
第二次大戦中にドイツ軍に包囲されこの町に立てこもった米軍101空挺師団が
不眠不休で進軍したパットンの第三軍に救出されるエピソードはあまりにも有名だ



オート・ルートをのんびり走っていたベルギー陸軍の迷彩ジープ
演習の帰りだろうか、私たちの追い越しの際手を振ってくれた


オランダ(Pay-bas, Nederland)に入る 16:27 1437.0km
マーストリヒトで渋滞に遭遇
16:51 1450.3km マーストリヒトで給油 16:54 1454.4km 15.05L=E22.39

マーストリヒトは地方の小都市だが、現在のヨーロッパを作る条約「マーストリヒト条約」がここで締結されて、
ECからEU(欧州連合)になった 本来ならいくらかは見学するところだが、時間がないため通過してしまった


今夜の宿泊予定地:アイントホーフェンに到着
デン・ハーグまでの距離を逆算して、今日はここ辺りでよいだろうと決定した町である 昨晩が「野宿」だったので、今日は奮発して町中の四つ星ホテルにした この町はアルンヘム、ニイメーヘンとともに第二次大戦中に激戦地となった町で、それは映画「遠すぎた橋」"A Bridge too far"に出てくる 地元の年輩者に訊くと、「橋の争奪戦はアルンヘム、ニイメーヘン(ナイメーヘン)の方が中心だが、映画の撮影の時は、この近くの郊外の川に実際に撮影用の橋を架けて爆破した」という 実際は米第10師団がここの橋の争奪に関与したらしい しかし現在その橋は取り壊されて新しくなっているという 因みに「遠すぎた橋」とは、その作戦「マーケット・ガーデン作戦」の立案者、英のB.モントゴメリー元帥が作戦が失敗した時に言った「作戦は成功だった だが橋が遠すぎたのだ」という言葉から来ている

18:00 トリップ・メーター:1536.9km



  

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