Part2 私たちが旅で訪れた場所を「独断」で勝手に並べてみました |
大きな川があるところには、かならず多くの人が集まる。これは四大文明以来の事実である。川には必ず多くの橋がある。なぜか映画や小説でも必ず登場する。 橋を大きく分けると・・・・1)歴史的に意味のあるもの、2)姿形が美しいもの、3)特に長いまたは規模が大きいもの、4)機能的で便利なもの、5)小説、映画などで有名になったもの-などがあろうが、ここでは1と2と5に絞って扱いたい。 (注:表中一部近代的実用的な橋など例外がある) |
橋の名前 | 都市・河川名 | 国名 | 写真・コメント |
ベッキオ Vecchio |
フィレンツェ アルノ川 |
イタリア | 歴史も古く、形も面白く、昔は「肉市場」であったのできれいではないが、雑然とした人間の生活があり、味のあるすてきな橋。むかしは橋の上にも人が住んでいて、その名残があるらしい ウフィッツィ美術館から近い ルネサンスの多くの芸術家やメディチ家の人々もここを歩いたと想像するだけでも楽しい Transferred from http://www.exibart.com/PonteVecchio/より転載 |
カレル (カルル・モスト、 チャールズブリッジ) Karel Most |
プラハ ヴルタヴァ川 (モルダウ川) |
チェコ | ヴルタヴァ(モルダウ)川に架かる石橋で川も素敵、傍の塔や並ぶ聖人たちも雰囲気を作る 日本人に馴染みのフランシスコ・ザヴィエルの像もある 観光客はまず100%この橋を渡って王宮に向かう 河畔にスメタナ博物館がある 英語名:Charles
Bridge |
ポン・デュ・ガール 水道橋 (ローマ時代) L'aqueduc romain Pont du Gard |
南フランス ニーム近郊 ガール川 |
フランス | http://www.pontdugard.fr/より転載 南フランスの田舎にあるローマ時代の水道橋 これはローマ諸都市にはあった物だから無数にある(因みに北アフリカにも多い)が、現代まで完全な姿で残っているのは此処とセゴヴィアである 当時のローマ文化の水準の高さが実感できる 上まで上がって歩くことが出来る |
水道橋 (ローマ時代) Roman aqueduct of Segovia |
セゴビア | スペイン | ROUTE OF CITIES: SEGOVIAより転載 ローマ時代の水道橋がこれほどまで完全に残っているのも少ない 町中にあり、よい観光のランドマークとなっている どこから写真を撮っても様になっている |
リアルト Ponte di Rialto |
ヴェネツィア アドリア海の 干潟 |
イタリア | 歴史の中で活躍したヴェネツイア(英語名ヴェニス)の中央部にある3つの大橋のひとつである左右バランスの良い白い橋でサンマルコ広場に向かう観光客のほとんどがこの下を通過する ゴンドラも観光船も行き交う白色の橋 橋上には店もあるところがフィレンツェのヴェッキオと似ている |
カール・ テオドール (アルテ) Carl Theodor, Alte bruecke |
ハイデルベルグ ネッカー川 |
ドイツ | ドイツ最古の大学都市の石の橋が美しいネッカー川にかかる。中腹に見えるハイデルベルク城も様になるし、何よりこの町の雰囲気がよい 小説「アルト・ハイデルベルク」の主人公たちも歩いたのだろうか? |
くさり橋 (セーチェニの鎖橋) Szecheny Lanchid |
ブダペスト ドナウ川 |
ハンガリー | 「ドナウの真珠」と呼ばれるブダペストのブダ王宮と下町ペストをつなげるチャーミングな橋。これがないとこの町は様にならない。車も人も一日中行き交う大切な橋だ |
ロンドン London |
ロンドン テームズ川 |
イギリス | あまりにも有名な橋 歌にも歌われるし、形がいいし、霧が出ると絵にもなる 多くの人がこのような写真を無数に撮ったことだろう |
ポン・ヌフ Pont nuef |
パリ セーヌ川 |
フランス | パリの起源となったシテ島に渡る橋。新しくはなったが歴史は非常に古い。ルーブルも見える。ノートルダム寺院も「すぐ、そこ、Thanks!」 歩く人にはこの橋がパリ観光の起点にもなる |
ウエストミンスター Westminster |
ロンドン テームズ川 |
イギリス | The photo downloaded from "FreeFoto.com" なんと言っても、この橋と国会議事堂(時計台)の組み合わせは絵として様になるし、歴史も古い。ニュースにも映画にもたびたび登場するロンドンの象徴・時計台そばの橋 |
アヴィニョン (サン・ベネゼ) St.Benezet, le pont d'Avinion "♪Sur le pont d'Avignon♪" |
アヴィニョン ローヌ川 |
フランス | 現在は有名な歌で知られる橋の半分が流失し使用不能である 「アヴィニオンの幽囚」に登場する旧「法王庁」と合わせて、川の向かいから見ると美しい絵になっている |
サン・マルティン Puente de San Martin |
トレド タホ川 |
スペイン |
イベリア半島の大河タホ川に架かるトレドの町の入り口に当たる橋 14世紀の中世の雰囲気が残る石橋で、特に長くはないが雰囲気がある 20年前に行った時は川は洗剤?の泡で汚れまくっていて良い印象はないが、水がきれいだとすてきな感じになるだろう |
モンブラン Mont Blanc |
ジュネーヴ レマン湖 |
スイス | レマン湖の橋、湖の高くまで吹き上がる噴水もよく見えるし、湖の景色と遠くの雪をかぶったアルプスが借景になる。J.J.ルソー像のある小島が傍らにある。。橋そのものの魅力よりそこから見えるアルプスを含むトータルな景色は忘れがたいほど美しい。 |
ウォータールー Waterloo |
ロンドン テームズ川 |
イギリス | 戦前の白黒映画「哀愁」の舞台になった橋。ヴィヴィアン・リーが美しかった。但し今の橋は架け替えられて、味も素っ気もない現代の橋になってしまった 従ってこれは過去の順位 |
下は厳密には橋ではないが、巨大な締めきり堤防なので同等の扱いとする | |||
大堤防 Afswluitdijk |
ヴァッデン海− アイセル湖 |
オランダ | オランダ人は巨大な湾をしめきって海面から低い土地の干拓地を作ったが、この偉大な仕事を成し遂げた締めきり大堤防である 魅力的ではないが、オランダ人には重要な堤防である 「世界は神が作ったが、オランダだけは人が作った」といわれる |
以下は鉄骨で出来た近代的な橋だが、観光客にも有名なので掲載する | |||
ゴールデンゲート Goldengate |
サンフランシスコ (湾) |
アメリカ | 有名すぎるだけのタダ長いだけのつり橋ではない。遠くからでも望め、絵になる。船の目印にもなる。 |
ハーバー Harbour |
シドニー (港、湾) |
オーストラリア | 橋そのものは無骨だが、シドニー湾と世界遺産オペラハウスの取り合わせが美しい。シドニーの観光写真には必ず出てくる 夜景がまた素晴らしい |
ムバーラク平和大橋 | スエズ運河 | エジプト | 2001年10月9日に開通 スエズ運河を縦断し、アフリカ大陸とアジア大陸を結ぶ唯一の道路大橋・・ということだけでも値打ちがある 2001年10月9日に開通 下をスエズ運河を航行する貨物船が悠々通る 高い橋の上からは遠く砂漠が360度広がるのは壮観 |
ボスポラス大橋 | イスタンブール ボスポラス海峡 |
トルコ | 大きな近代的鉄の橋で魅力はあまりなく本来は載せないが、「アジアとヨーロッパを繋ぐ橋」なので載せた |
マカオ・タイパ橋 | マカオ (海) |
中国 | マカオ本島からフランシスコ・ザビエルの骨があったという教会の島へ渡る橋。鉄橋で魅力ある橋ではないが、周りの景色と合わせると近代的で雰囲気がよい。 |
塔、鐘楼、尖塔 (Towers) 注:ドーム、寺院欄と一部重複があります注:タージマハールはまだ行っていません
人は誰しもが高い物に憧れる。見上げる場合はその権威や荘厳さを感じるが、それは支配者から見ると好都合で、宗教的権威であるドームや教会で大いに使われたり(特にゴシック様式)、世俗的権威である王たちの城や宮殿に併設された また宗教においては、高いところは神・創造者に近づけるメリットがあった(伝説の「バベルの塔」も同一発想) 世俗的な城では平和でない時代には高い塔は敵に対する見張り台として利用された こうして世俗的・宗教的支配者たちは、歴史の中で争って高い建造物を造っていった それらが現在では観光や町の統一性、国民のアイデンティティーのシンボルとして存在しているのである
塔の名前 国名/都市 写真・コメント ピサの斜塔
イタリア
ピサ
多くの不思議と共に話題性ではこれがやはり1位 すべての点で世界で一位をあげたい 私たちが行った1984年頃は人数制限しながら最上階まで登ることが出来たジョットの鐘楼
イタリア
フィレンツェ
ドゥオーモ(花のドォーモ)付属の塔 1359年完成 決して高くはないが、美しい壁の花のドゥオーモと合わせて一つの完成品であろうアヤ・ソフィアの尖塔
(ミナレット)
トルコ
イスタンブール
元来は東ローマ帝国のキリスト教のドームとして作られたが、オスマントルコ支配後は改造されモスクとなった。イスラム寺院(アヤ/ジャミー)としては下の「ブルー・モスケ)が格上(尖塔=ミナレットの数が多い方が上)だが、外国人にはこちらの方が有名である。「007/ロシアから愛をこめて」のシーンでは内部まで描写され、よく知られている。現在は博物館となっていて、観光客も気軽に見学できる。スルタン・アフメット・ジャミー
(ブルー・モスク)
の尖塔(ミナレット)
トルコ
イスタンブール
サウジアラビア以外の「外国」ではいちばん格上のモスクで尖塔が6本、ミナレットの数で格が決まるという 重厚さはまさに超弩級聖家族教会
(サグラダ・ファミリア)
スペイン
バルセロナ
鬼才アントニオ・ガウディの代表作、まだ完成までに何年かかるか分からないという怪物のような尖塔群 歩いて上まで登ると息が切れる高さだ 未だに建築中であるワット・アルン
タイ
バンコック
外壁の美しさはフィレンツェのドーモに匹敵する 特に川を挟んで見るのがおススメ 遠くから見てもよく見える町のランドマーク鐘楼 中国
西安(C)ニイハオチャイナ
シルクロードの発着点、西安(長安)の城壁にたくさんある鐘楼は高さは低いが、迫力がある多くの中国史を眺めてきた鐘楼であるワット・プララーム
タイ
アユッタヤ
タイの古都・文化遺産・アユッタヤにある仏教遺跡 石製の仏塔は表面の彫刻を含めて熱帯性の環境にとけ込み魅力的な外見である大雁塔 中国
西安
三蔵法師・玄奘縁の寺/大慈恩寺の塔で、歴史好きには堪えられない ここからは唐の首都・長安、現在の西安の姿が十分見渡せる 階段部は結構広い瑠璃光寺 日本
山口
「日本三名塔」のひとつ、屋根の線の曲線的美しさは日本一であろうか 一見の価値ありメスキータのミナレット
スペイン
コルドバ
世界遺産のメスキータのシンボルとも言えるミナレット(尖塔) スペインの聖堂はイスラム・モスクの改造が多く、その尖塔は鐘をつけて鐘楼となることが多い教王護国寺(東寺)
五重塔
日本
京都
世界遺産の京都の寺社の内でもっともシンボル的な五重塔 京都駅や市内各所からも見える日本一の高さを誇る名塔 特に桜の時期の庭池に写る姿は絶品醍醐寺・五重塔
日本
京都
「日本三名塔」のひとつ、平安期の国宝の五重塔でこの寺でたったひとつ戦火等で消失しなかった 木々に囲まれた優しい姿形が美しく心に残る塔である
法隆寺・五重塔
日本
奈良
「日本三名塔」のひとつ、聖徳太子縁の日本人ならだれでも知っている寺の中央に立つ塔
寺は日本最初の「ユネスコ世界遺産」で国宝・重要文化財でもある国会議事堂・時計台
"BigBen"イギリス
ロンドン
姿も端正であまりに有名な時計台・ビッグベンの音は日本の学校の始業チャイムのメロディーで知られる興福寺・五重塔
日本
奈良
日本を代表する建物 高さ50.8メートルの五重塔は、京都・東寺の五重塔に次いで日本で2番目の高さ 世界的歴史建造物では木造は少ないので希少価値があるチェスキー・クルムロフ
城の塔
チェコ
チェスキー・
クルムロフ
丘上の城の塔は町いちばんの高さで360度の眺望はステキ 外観もたいへん美しいベレム(ベレン)の塔 ポルトガル
リスボン
16c初マヌエル一世の命によりテージョ川(スペイン名タホ川)を通行する艦船監視の役割で作られた 司馬遼太郎はこれを「テージョ川の公女」と名付けた聖バルトロミェイ教会 チェコ
ピルゼン
1470年完成のゴシック、塔の高さが107mでチェコ一の高さである 尖塔の階段は狭い四天王寺・五重塔 日本
大阪
聖徳太子ゆかりの四天王寺の塔で華やかな美しさがある厳島神社・五重塔
日本
広島
平清盛縁の神社、平舞台から望む五重塔 海からもよく見える桜が似合う塔であるストックホルム
市庁舎の塔
スウェーデン
ストックホルム
「ノーベル」賞授与式が行われる市庁舎の塔 狭い階段を上るとストックホルムの町が一望できるクズ塔 トルコ
イスタンブール
東西文化の接点、イスタンブールのボスボラス海峡中にある小さな灯台 今はレストランだが、360度の景色が素晴らしい
劇場・ホール(Theater,ConcertHall,Saal,OperHouse,Teatro)
「劇場、ホール」といっても世界中には無数にある ここでは私たちが旅行中に実際に訪問した音楽、演劇関係施設に絞っているので、ご覧になっている方の評価とは異なるかもしれない 表中11位以内は建物の規模、雰囲気、歴史などの観点からかなりレヴェルが高い物を掲載しているので、世界的評価から言っても相当であろう |
劇場・ホールの名前 | 国名・都市名 | 鑑賞したオーケストラ等・コメント |
ウィーン国立歌劇場 Wiener Staats Oper |
オーストリア ウィーン |
見学ツアー参加のみ (訪問日にコンサートがなかった、またはチケット入手困難のため) 歴史から言っても外観・内装・設備・規模からいっても、本来ならこの劇場が堂々1位になっても決しておかしくない。有名な「音楽の都・ヴィーン」の音楽センターであるが、見学だけだったので敢えてここに置いてある。ウィーンは何度も行ったが、「ニューイヤーコンサート」を始め、ここの人気プロのティケットの入手がなかなか難しい。 |
(C)Photofromofficialsite バイロイト歌劇場 (バイロイト音楽祭) Bayreuther Festspiele |
ドイツ バイロイト |
ヴァーグナー:パルジファル ホルシュト・シュタイン/バイロイト祝祭管弦楽団 ドイツの地方都市、バイロイトの自然の中にある由緒ある「ヴァーグナー専門劇場」?古い建物で木の椅子で、長い間座るのでお尻が痛いが、舞台の下にあるオケの音が湧き上がってくる独特な雰囲気が素晴らしい。 NHK響客演指揮者でもあったシュタインの独特の風貌が舞台下に見え隠れして印象に残った 近くにヴァーグナーの家と庭に彼の墓がある。私たちは1980年新婚旅行でこの音楽祭に参加した |
(C)PhotofromWikipedia ザルツブルク祝祭大劇場 (ザルツブルク音楽祭) Salzburger Festspiele |
オーストリア ザルツブルク |
モーツァルト:フィガロの結婚 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 フィガロはヘルマン・プライ スザンナはミレッラ・フレーニ モーツァルト生誕の地ザルツブルグにある山の岩盤をくりぬいた様な場所にある。外観、内部自体は決して派手ではないが、この音楽祭に集まる世界の音楽家たちの一覧を見たら、納得がゆくはずだ。 私たちは1980年新婚旅行でこの音楽祭に参加した このときは小劇場でのカール・ベームのウィーンフィル「ナクソス島のアリアドネ」と同時進行で、どちらを見るか大変迷った記憶がある |
(C)Photofromofficialsite ロイヤル・オペラ・ハウス Royal Opera House,Covent Garden |
イギリス ロンドン |
バレー・チャイコフスキー「白鳥の湖」 コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団 外観も内部ロビー等の装飾もゴージャスで素敵な劇場である。HPからティケットを買ったが、一週間以内に航空便で送られてきた。私の大好きな曲なので分かりやすい。この時は、オデット姫が日本人プリマ吉田嬢(現在日本帰国)で、可憐な姿で観客から好評だった。 |
(C)PhotofromPariscityrama パリ・オペラ座 Opera National de Paris |
フランス パリ |
オムニバス・バレー/プリマ:ノエラ・ポントワ オペラ座管弦楽団 「オペラ」という地名になるほど、パリ中心部の良いロケーションにある。元は「ガルニエ宮」という宮殿である。外観も内部もオシャレで、いかにもフランスらしい。客席天井にシャガールの絵があるが、少し他の装飾と若干の違和感がある。以前の重厚な絵の方が良い。 |
ミラノ・スカラ座 Teatro La Scala |
イタリア ミラノ |
見学のみ 雪の積もった寒い日に行った ミラノの冬は大変寒い 「イタリアのオペラはスカラ座だ」といわれる歴史と伝統があるイタリアの大劇場 ここで学んでここで演奏された作曲家・演奏家も多い |
エステート劇場 (スタヴォフスケー劇場) |
チェコ プラハ |
見学のみ 世界の有名な大劇場からいうとカワイイ劇場だが、あの映画「アマデウス」にたびたび登場した-といえば分かりやすいだろう 一見(一聴?)の価値があるところ 参考リンク:プラハのクラシック 音楽関係の建物写真集 (ベルトラムカ、国民劇場、市民会館など) |
芸術家の家・ルドルフィヌム Rudolfinum, Dvorakova sin,Praha |
チェコ プラハ |
ベートーヴェンSymNo7 クーカル/チェコフィルハーモニー 美しい町プラハのヴルタヴァ(モルダウ)川河畔にある重厚な建物ドヴォルザークホール。内部もヨーロッパらしい歴史を感じさせる造り。正面に立派なパイプオルガンがある。木製の感じが暖かい 隣り合わせて「スメタナホール」という小ホールがある。玄関前にはドヴォルザーク全身像がある。 |
シェーンブルン宮殿・ホール Schloss Schoenbrunn |
オーストリア ウィーン |
(C)Photofromofficialsite エドゥアルト・メルクス/カペラ・アカデミカ 本来はハプスブルク家(マリア・テレジア)の離宮のホールで、劇場ではない。ウィーンなどでは多くの演奏会がこのような王宮などの歴史的建物でもたれているが、大変よいことだ。歴史的にも宮廷演奏会は元来の姿である 音よりも優雅な雰囲気を楽しむコンサートだ。 |
ロイヤル・シェークスピア大劇場 The Royal Shakespeare Theatre(RST) |
イギリス ストラトフォード ・アポン・ エイヴォン |
シェークスピア劇「リチャード3世」 エイヴォン川傍にある立派な大きな建物。古典演劇のメッカでもあろうが、私のようにシェークスピアを読まない者には内容がやや難解である。 |
(C)PhotofromPanoramio ウィーン・楽友協会・大ホール Geselshaft der Musikfreunde in Wien |
オーストリア ウィーン |
シベリウス:SymNo2 ヴォルフガンク・ザヴァリッシュ/ウィーン交響楽団 「楽友協会」のこのホールも伝統があるが、有名な割には内部の装飾がシンプルで豪華さがなく、少し物足りない。蛇足ながら、すぐ外の道路脇にベートーヴェンの像がある |
大阪・フェスティヴァル・ホール | 日本 大阪 |
ブラームス:SymNo4、大学祝典序曲 ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリンフィル 「大阪フェスティヴァル」が開かれる有名ホール。この時はフェスティヴァル初日で最後部しか席が取れず、音の抜けはもう一つだった。カラヤンのアンコールはなく、さっさとホテルに戻ってしまった 楽屋にサインをもらいに行った私は代わりにコンマスのミッシェル・シュヴァルツのサインをもらった。彼の人間性が感じられた 彼の演奏ではDGG旧録音「シェヘラザード」のVn独奏の甘美さが大好きである |
ロイヤル・プリマス・シアター Theatre Royal Plymouth |
イギリス プリマス |
ミュージカル「ショウ・ボート」 上記はもともとはアメリカのミュージカルである イギリス地方都市の劇場で、クラシックバレーもミュージカルも同様に扱う イギリスとしては新しい感じの市民会館風建物。 |
倉敷市民会館・大ホール |
日本 倉敷 |
ムソルグスキー「展覧会の絵」 ユージン・オーマンディー/フィラデルフィアオーケストラ *当劇場の「こけら落とし」演奏会 ベートーヴェン・Sym7 クラウディア・アッバード/ウィーンフィル ベートーヴェンsymNo6 クルト・ザンデルリンク/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 ベルナルト・ハイティンク/アムステルダム・コンツェルトヘボー ベートーヴェン作品集・クリストフ・エッシェンバッハ 他演奏団体 多目的ホール。今は岡山市に「シンフォニー・ホール」が出来たが、それまでは長い間岡山県では音が比較的良いホールであった。最初の故オーマンディーはこの劇場の「こけら落とし」の演奏で印象が深い。 |
神奈川県民ホール | 日本 横浜 |
ブラームス:SymNo4 チェリビダッケ/読売日響 海のそばにあるが、指揮者チェリビダッケの超スローテンポの演奏が記憶されるが、同年に聴いた大阪フェスのカラヤンの演奏とは対極的であった、 建物そのものは赤い絨毯だけが印象に残った。 |
ジ・アザー・プレイス "The other place,"stratford u.A |
イギリス ストラトフォード ・アポン・ エイヴォン |
シェークスピア劇「真夏の夜の夢」 エイヴォンの「場末にある倉庫」のような「劇場」だったが、妖精が傍まで来て走り回り、臨場感があったし、楽しかった。大劇場にはない魅力がある |
バービカン・センター Barbican centre, London |
イギリス ロンドン |
イギリス室内管弦楽団 (曲名等詳細不明・記録なし) 規模は大きいが、日本でいう地方都市の市民会館風建物 |
エドヴァルト・グリークの家 (博物館)の小ホール Edvard Grieg Hus Museet, Bergen, Norway |
ノルウェー ベルゲン |
敷地内に建てられた小ホール 階段状の座席から見下ろすピアノはスタインウェイ製 毎日のようにグリークのピアノ小品が演奏される ピアノ越しにはグリークの作曲小屋が見下ろせ、その向こうにはフィヨルドが広がるという素晴らしいロケーション |
注:メトロポリタン歌劇場(N.Y, USA)は行っていません
遺跡・古跡(Ruins)
テレビの番組で見る遺跡も解説が詳しくて良いが、自分の脚で歩く肌で感じる遺跡は最高である 歴史好きの方には「百聞は一見に如かず」でぜひ現場を訪問されることをお薦めする (注・登場順は価値順ではありません)
遺跡・古跡の名前 国名・都市名 写真・コメント
ピラミッド群とスフィンクス
エジプト
ギザ(カイロ)歴史の古さ、文化的内容、多様性、規模などどれをとっても、エジプト文明の右に出る物はない エジプト博物館
敦煌遺跡(洞窟群)
中国
敦煌
シルクロード史、仏教史、壁画、仏像等の東西交流、変遷などで重要な位置にある 特に唐代の物がレヴェルが高い
ポンペイ遺跡
イタリア
ポンペイ
ローマ時代にヴェスヴィオ火山の噴火で全滅した町を掘り起こし復元している 規模の壮大さは世界の遺跡でもトップクラスであろう 一見の価値有り
ストーン・ヘンジ
(C)Englishheritage
イギリス
ソールズベリー
平原(牧場)の中にポツンと立っている環状列石(巨石)。それだけのことだけれど、別の世界が呼んでいるような不思議な感覚になる。
トロイ遺跡
トルコ
トロイイリオス遺跡の別名で、こちらの名の方が有名。シュリーマンの発掘秘話や木馬で知られる。
イスタンブール歴史地区
(含東ローマ帝国史跡)
トルコ
イスタンブール
元東ローマ帝国、オスマントルコ帝国の首都として、コンシタンティノープル、ビザンチンなどとして歴史に名前が残る歴史の舞台。海峡の景色も魅力的だ。 ペトラ遺跡
ヨルダン
ペトラ
「新・世界七不思議」でもある古代ナバテア人の古代都市 後ローマに支配されたが発展した 特にエル・カズネ(宝物殿)は映画「インディ・ジョーンズ」で有名になった 規模も大きく魅力のある遺跡である アユタヤの遺跡群
タイ
アユタヤ
ワットプラシー・サンペット寺院跡、王宮跡など。アユタヤはアユタヤ王朝の首都 町全体が良く整備され美しい景観を保っている 日本人には山田長政で知られるが、町はずれに旧日本人町跡がある フォロ・ロマーノ
イタリア
ローマ
偉大なローマ帝国の原型、全てはここから始まった。 ベゼクリク千仏洞 中国
ベゼクリクトルファン近郊にある谷間岩壁洞窟にある仏教壁画群。残念なことに、西欧の探検隊が切り取ったり、後の時代にイスラム教徒に壁画顔面が削り取られているのが残念だ。 パルミラ遺跡
シリア
タドモル
(パルミラ)
ローマ帝国の遺跡 本来はタドモルというのが正しいようだ AD1〜3cにシルクロード中継都市として発展 3cゼノビア女王の時代には最盛期を迎えたが、のちローマに陥落した 規模も大きく周辺の遺跡群と合わせて見所も多い バールベック遺跡
レバノン
バアルベック
ベカー高原にあるBC1Cのローマ遺跡(宗教都市) 世界有数のローマ神殿跡 後にアラブ人に支配される 複数の神殿跡が見られるが、破壊が進み当時の面影はない 高昌故城 中国
トルファン高昌はシルクロードのただ中にあって、歴史の栄枯盛衰を経た所。三蔵法師が講義をした部屋も残っている遺跡。 兵馬俑坑博物館 中国
西安秦の始皇帝が作らせた兵馬俑が発掘された場所に屋根を架けて、発掘と見学の両方が出来る場所。中国人の見学者の多い。 ベルガマ(ベルガモン)遺跡 トルコ
ベルガマBC2アッタロス朝ペルガモン王国の都として栄えた。ローマ帝国の属州となった後もアナトリアに置かれた属州アシアの中心となり、ローマ都市として繁栄を続けた。山上にあって見晴らしが良いが、神殿等はベルリンに運ばれて展示されている。
エフェソス遺跡 トルコ
セルチュク
エーゲ海沿岸最大といわれるローマ遺跡。劇場、図書館、神殿、大道路が残っていて壮観である。面白いのは「売春宿」の場所までちゃんとあったことで、流石「人類最古の職業」と思わせられる。 交河故城 中国
トルファン二つの河に挟まれた城のような遺跡。唐〜高昌国時代に栄えた。 地下墳墓(カタコンベ) イタリア
ローマキリスト教弾圧時代の地下住居。教会から墳墓、住居跡まである。 ティムガド・ローマ遺跡
アルジェリア
ティムガド北アフリカのアルジェリアにあるローマ遺跡。サハラに近い内陸部にあり凱旋門や都市住居、神殿などが残っている。 ティパサ・ローマ遺跡
アルジェリア
ティパサ北アフリカのアルジェリアにあるローマ遺跡。現在地中海脇に都市跡や水道橋の部分が残っている。しかし崩壊が進んでいて保存が望まれる ボスラ古代都市
シリア
ボスラ古代エジプトからアレクサンダー、ローマ時代までわたる遺跡群 保存状態はかなり良く、特に小振りなローマ劇場はよく復元して現状に近い ジャミラ(ジェミラ)・ローマ遺跡
アルジェリア
ジャミラ
北アフリカのアルジェリアにあるローマ遺跡。内陸部にあり神殿やモザイク画なども残っている ジェラシュ(ゲラシ)ローマ遺跡 ヨルダン
ジェラッシュ
標高600mにある丘上にあるローマの遺跡 全体的には良く保存されており、凱旋門、フォーラム、劇場、神殿、列柱道路など当時を彷彿とさせる 特に戦車競技場は観客席は半分しか残っていないが魅力的である カルナック環状列石(巨石文化) フランス
カルナックブルターニュ地方にある 海に近い丘上にある巨石群 石の大きさはイギリスのストーン・ヘンジが上だが、面積規模ではこちらが遙かに広い 高松塚古墳
日本
奈良日本を代表する宝、保存状態が問題となっている 三内丸山遺跡 日本
青森古代の当時の生活が偲ばれる雰囲気が大変良い。
同様の物として、九州の「吉野ヶ里遺跡」(現・歴史公園)がある。安平(アンピン)古堡 台湾
安平(台南)安平古堡(ゼーランシア城残跡)、「国姓爺合戦」で知られる日本人の血を引くという明の遺臣、鄭成功など台湾史が詰まっている場所。 地下宮殿
トルコ
イスタンブール「007/ロシアから愛をこめて」にも登場した地下の貯水池で「宮殿」ではない。いろんな所から大理石の柱を持ってきて支えにしていることから、「宮殿」と呼ばれた。
以下に掲載した項目は概してやや特殊な物が多い こういう物は個人によって感性が違うので、それをお含みの上ご覧いただきたい |
名前 | 国名・場所 | 写真・コメント等 |
アウシュヴィッツ強制収容所 "Auschwitz-Birkenau Concentration camp"state mueum |
ポーランド オシフィエンチム |
左写真中、"Arbeit macht Frei."「働けば自由になれる」の文字が空々しい!ここを訪問し、いろいろ見た日は食事もあまり出来ず、なかなか寝付かれなかった。「人間とは?」「戦争とは?」・・・・が頭を駆けめぐった。若い人にはぜひ見て欲しい施設である。人類は二度とこういうことは起こしてはいけないのだが・・・。 詳しくは当サイト内にある:「アウシュヴィッツ強制収容所」 |
チャーリー検問所 (通称) Check point Charlie 本当の名は「C検問所」 West-East Berlin,"Cold War"times |
東ドイツ- 西ドイツ (現ドイツ) ベルリン |
東西冷戦時代1984に西ベルリンから「一日観光(1-day-visit-visa)」で東ベルリンへ入った。連合国側(西側)検問所はよかったが、「東側」検問所は大型双眼鏡で監視され、12.7mm機関銃が配置され、鉄製バリケード、車両の下部を検査する鏡などが緊張を強いた。当時は「壁」を越えようとして射殺された人の話が報道されていた。東側に入ると、建物に無数の弾痕が残り、また町中は店などに商品が乏しく,、人々の服装も貧しい感じがした。「ウンターデンリンデン通り」を歩いて、ブランデンブルグ門反対側から「壁」を見た。今は壁も取り壊され、ドイツも統一された。今は昔・・ゲーテが表にある今は無き「東ドイツ紙幣」とともに記憶の角に残っている。 内部リンク:写真「東西冷戦時代の東ベルリン」 |
京城・西大門刑務所 (現・西大門刑務所歴史館) 刑務所入り口で日本語ガイドと |
大韓民国 ソウル |
「日本の朝鮮半島の植民地支配」に触れる時、必ず名前が登場する元・刑務所、現・歴史館−である。ソウルの小中高生は学校から見学に来る場所である。これを見たら、何故、現在でも事あるごとに、韓国人、朝鮮人の方々が「日帝(にってい)」、「日本人は我々に酷いことをした」というのかが理解できる。展示の一部には若干の誇張があるにしても、日本人もよく知っておく必要がある。その上で隣人との「日韓、日朝友好」を進めたいものだ。 詳しくは当サイト内にある:「京城・西大門刑務所」 |
「戦場にかける橋」 |
タイ カンチャナブリ |
旧日本軍がインドに侵攻しようとして、連合国軍捕虜やタイや近隣の現地民を酷使して作り上げようとした「泰緬鉄道」の一部。アカデミー賞作品賞映画「戦場にかける橋」の舞台。映画の撮影は、実際はスリランカ山中で行われたので、実際の景色とは異なる。やや平地といって良い。カンチャナブリの町中にある「連合国軍墓地」や橋近くの「第二次世界大戦博物館」と合わせて見ると、「侵略戦争」の意味がよく分かる。 詳しくは当サイト内にある:「戦場にかける橋」 |
「霧社山胞抗日起義紀年碑」 「反乱軍」リーダー・「モーナルーダオ像」(右) |
台湾・霧社 |
日清戦争で勝利した日本は、戦利品「台湾」の植民地統治を始めた。中には鉄道敷設、阿片撲滅などの善政もあるが、先住山地民・高山族(当時日本は「高砂族」というような差別用語で呼んでいた)の中には、資源収奪、強制労働などに対して抵抗し、日本人学校の運動会を襲撃した。これに対して日本軍は航空機を含む軍隊を大量投入し徹底的に弾圧した。住民の多くは捕らわれ、殺されたり死亡した。これを「霧社事件」という。こういう関係の像が山奥の霧社には多くある。この地では日本に反乱した者たちを「烈士」と呼ぶ。つまり彼らは「抗日の英雄」なのである。日本人としては複雑な気持ちで見ざるを得ない。 詳細はこのサイト内にある:「霧社事件」 |
「カウラ戦争捕虜収容所」 "P.O.W.Camp,Cowra" (日本人収容所) |
オーストラリア カウラ N.S.W |
首都キャンベラやシドニーから入った奥地に、第二次大戦時に作られた「捕虜収容所」があえう。日本人だけでなく、イタリア人、朝鮮人、インドネシア人など大戦時に連合国に「敵対した人たち」が入れられていた。しかし数キロ離れた墓地の粗末な墓を見て回っていると、あることに気づく。それは日本人の中に軍人だけでなく、民間人しかも老人と思しき人たちが含まれていたことだ。それに様々な年齢の女性たちもいた。彼らはインド洋に面したブルームの港で真珠養殖に関わっていた人と家族であった。真珠湾攻撃が起こると、オーストラリア国内にいた民間日本人は強制的に遠く山の中に連れてこられた。やがて捕虜になった兵士たちも入所した。そのうちの一部は「暁の脱走」で撃たれて死亡した。こういう環境で、故国に帰れず、思いを残しながら死んでいった人たちのことは忘れられない。 詳細はこのサイト内にある:「カウラ日本人収容所」 |
ブッヘンヴァルト強制収容所 K.Z.Buchenbald |
ドイツ ブッヘンヴァルト (ヴァイマール郊外) |
悪名高いポーランドの「アウシュヴィッツ」に行ってからすでに8年が経った あの時は映画「戦場のピアニスト」を見た直後に行ったこともあって、かなりインパクトが強かったことはこの欄トップを見ていただければお分かりであろう 今回はドイツ国内の強制収容所である ドイツは戦後「ナチスの戦争犯罪」の反省からユダヤ人たちに補償をし、公のマスコミからナチ関係の言葉を削除し、ナチ関係の旗やシンボルを使用することを禁止してきた この施設も「入場無料」で国家あげて反省している姿勢を見せている 展示物も自分たちドイツ人がしたことでも懺悔の意味で展示している 施設の規模自体はやや小さめだが、収容棟が完全に無いこと以外はかなり保存状態が良い 訪問当日もフランス人、イギリス人、東ヨーロッパ人など外国人が多数訪れており、未だに決して「戦争は終わった」のではないことを示している 詳細写真はサイト内の「ブッヘンヴァルト強制収容所」 |
ライオン像の丘 La Butte du Lion |
ベルギー ワーテルロー Waterloo |
あのナポレオンがウェリントン将軍率いる英・独などの連合軍に負けたのが、ベルギーの首都ブリュッセルから少し行ったワーテルローの村である 彼の没後しばらくして1826年、高さ40.5mの人工の丘である フランス人には面白くない記念碑かも知れないが、この田園で大会戦が行われたことを思いめぐらすことも意味があるだろう 内部リンク:写真「ナポレオンの没落・ワーテルロー」 |
鄭成功像 (ていせいこう) |
台湾 安平(台南) |
鄭成功は母が日本人ということで日本人にもよく知られる。近松門左衛門の「国姓爺合戦」はその物語である。明の「遺臣」として清やオランダと戦った。ここ安平古堡はオランダの作ったゼーランジャ城の跡であるが、後に成功が追放した。台湾が日本の支配下(植民地)に入ってから、この廃墟は復元されたそうであるが、その点に若干胡散臭さを感じざるを得ない。にもかかわらず、現在でも此処は観光地で、鄭成功は英雄で、「台湾人」のアイデンティティーにもなっている。台湾人の彼へのまなざしは優しい。「日台中関係史」としても、まことに歴史は面白い。 詳細はこのサイト内にある:「台湾一周・列車の旅・/安平」 |
サンタ・マリア号 (復元) Columbus' Santa Maria (Reconstruction) |
スペイン バルセロナ |
バルセロナ港にある「サンタマリア号復元船」・・内部に入れるので、当時のコロン(コロンブス)の航海についてのイメージがわいてくる。あまりの小ささに単純に驚いた。因みにコロンブスは、イタリア人であるが、これは日本語表記で、英語表記は「カランバス」、本国では「コロンボ」、ここスペインでは「コロン」と呼ばれる。 内部リンク:写真「バルセロナ」 |
トロイの木馬(復元) トロイ遺跡自体は |
トルコ トロイ |
(左)木馬=現在の復元・・上のエッチングの方がリアリティーがある (上)木馬=19Cのエッチング(Wikipediaより転載) 子どもも知っている「トロイの木馬」はギリシャ神話である。実際の所は実話かどうかも疑わしいが、それでもトロイに置いてあると何となく嬉しい。実際、見学の子どもたちには大変人気があった。 詳細はこのサイト内にある:「私の写真館:トロイ」 |
ワディ・ラム |
ヨルダン ワディ・ラム |
イギリス士官としてオスマントルコと戦った実在の人物「アラビアのロレンス」が活躍した場所 アカデミー作品賞受賞映画「アラビアのロレンス」でも実際に撮影された場所である オレンジ色の砂漠と奇岩群が織りなす世界は印象的でツアーでなければもっと居たかったスポットである 詳細はこのサイト内にある:「私の写真館:ワディ・ラム」 |
ネボ山 |
ヨルダン ネボ山 |
簡単に言えば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という大宗教の最重要人物であるモーゼ(モウジーズ、ムーサ)が、イスラエルの民を引き連れてエジプトを脱出し荒野を彷徨うこと数十年、やっと「密と乳の流れる約束の地カナン」を前に、神にその地への立ち入りを禁ぜられ死去する山である 未だに彼の墓は見つかっていないが、此処は前のローマ法王・ヨハネ=パウロ2世も詣でた大切な聖地である 詳細はこのサイト内にある:「私の写真館:ネボ山とモーゼの泉」 |
リトアニア カウナス 旧日本国領事館 |
昨今映画にもなり、全国にも名前が知られた杉原千畝、戦前外務省に勤務し対ロシアの諜報活動にも従事していたが、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害で逃亡してきたユダヤ人に対して、本省の許可なくして通過ヴィザを発行し、約6000人の命を救ったと言われる その旧領事館は現在「杉原記念館」としてささやかな展示をしている 詳細はこのサイト内にある「日本のシンドラー」杉原千畝の「旧日本国領事館 |
|