この橋は第二次世界大戦中に、旧日本軍がタイからビルマに侵攻するために作らせた「泰緬鉄道」のクウェー川(通称「クワイ川」)に架かる橋である。泰緬鉄道は、六万五千の連合軍捕虜と三十万のアジア人を使い建設され、多くの死者を出して「死の鉄道」と呼ばれた。当時の東条英機首相は、「枕木の数だけ死者が出ても良い」と言ったという。(大月書店「日本の侵略」より)
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サー・アレック・ギネス |
映画「戦場にかける橋」といえば、1957年度アカデミー賞作品賞、監督賞他を獲得した名作である。名監督デヴィッド・リーンが担当した。主演男優賞を貰ったサー・アレック・ギネスは、後に「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」や近年では「スターウォーズ」に出ていた。つい最近亡くなったばかりだ。独特のしゃべり方の秀でた個性だった。
映画は私も小学校の頃に見た。大変インパクトが強かった。子供心にも日本軍の指揮官の残酷さ冷酷さが、そして英軍将校の誇り高さが心に残ったものだ。しかし、映画では不思議なことに、アジア人労働者は一人も出てこなかった。今から考えると、それはイギリス人の立場で描いた映画でなのであった。もう一つ、「アジア人の視点」から見た映画「戦場にかける橋」があっても良いと思った。
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バンコク・ノーイ駅から汽車3時間足らずで、橋近くの地方都市カンチャナブリに着く。外国人はここで降りず、短い停車の間にフランス人の大きな団体が乗り込んできた。主として中高年だが、若い人も少しはいる。タイ人の通訳兼ガイドが、巧くないフランス語で大声で説明している。中国の敦煌に行ったときには、ドイツ人の大団体が汽車に乗ってきたが、ヨーロッパ人は、結構アジアには関心を持っているらしい。
バンコク・ノーイ駅と市場(筆者写) |
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カンチャナブリから10分足らずで、クウェー川鉄橋駅に着く。外国人は「クワイ」と発音するが、現地では「クウェー」というらしい。それはともかく、この駅はプラットホームも申し訳ほどにある小さな駅である。STATIONではなくSTOPといってもよい。
クウエー川鉄橋駅(筆者写) |
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そこから橋まではわずか100m少しで、その間に旧日本軍が使っていたC56機関車他1台が展示されていた。写真を撮りながら橋を渡っていたら、さっき降りた汽車が追いかけてきた。カメラ片手に必死で走って、避難スペースに逃げ込んだ。橋の上は黒山の観光客で、カメラのシャッターを切りまくっている。戦争中はこの線路は山脈を越えて、ビルマ(現在のミャンマー)まで続いていたが、現在は両国の関係を反映してか、先の山中のナム・トク駅で切れているという。
クウエー川鉄橋駅の日本製C56(筆者写) |
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川幅はおよそ100mくらいで、鉄橋は陸上部分が長くて300mくらいある。映画の中では、川幅はもっと狭かったし、山も深かった。あの映画は、スリランカでロケをしたものだ。歩いていたら、反対側から来た自転車を押した男性、下校中の中学生と出会った。どうやら生活道路として使っているようだ。橋の下の陸上部分にはたくさんの土産物屋があったが、誰も寄りつかず店番が所在なさげにしていた。
クウェー川鉄橋とスカウトたち(筆者写)
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映画では橋の周りはジャングルで山がち*であったが、実際は両岸は切り開かれて耕地や宅地になっている。橋の大半は戦後のもので、ほんの一部分だけが当時のものという。なるほどペンキを塗り重ねた部分が時代を感じさせる。
*映画の撮影はスリランカ(旧セイロン島)の山間部で行われた
クウェー川鉄橋の端部/左は爆弾(筆者写) |
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その店から50mくらいの所に日本軍が建てた慰霊塔があった。橋を建設するときに亡くなった人を慰霊している。なるほど中央に日本語で書いてあって、まわりはマレー語、中国語、英語や見たことがない何種類かの言葉が彫られている。それにしても、無理矢理連れてこられ、ろくに食事も与えずこき使って死に至らしめて、「慰霊塔」とは、霊も浮かばれまい。
日本軍が建てた慰霊塔(筆者写)
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上写真:
クウェー川鉄橋の対岸部
土手下の土産物店
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橋の向こう側まで行って写真を撮り、元の袂まで戻ってくると、そこは日本の観光地と同様、土産物店が並んでいた。絵はがきを買おうとレジまでゆくと、店主の中年女性が日本語で話しかけてきた。大阪に住んでいたこともあるという。どこから来たのかというので岡山というと、「知ってる、倉敷は行ったことがある、友人がいる」と懐かしそうに言う。こんな郡部の人でも日本へ行ったのかと思うと、何かこの国を身近かに感じてしまう。
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