(5)ローマの遺跡へ(ティパサとシェルシェル)
       Tipasa and Cherchell, Roman Ruins (Rouines Romaines)

                 ・・・・・・・・アルジェからそれぞれ71kmと98km


    下の場所を空から衛星写真で見るとこうなります(クリック)

(ティパサのローマ遺跡)
 高い崖のある海岸や白い砂浜が見える海岸沿いの国道を走ってゆくと、海沿いにホテルやリゾート施設が目についてきます。しばらく行くと、道路の両側に水道橋の跡らしい崩れた柱様のものが見えてきます。やがて海岸のそばには、大理石の柱など明らかに遺跡 と思われる広い区域が広がってきます。まわりを金網で囲ってあります。青い海のそばで明るい太陽の光を浴びて、白い大理石が輝いています。

 この国に数多くある*
ローマ帝国の遺跡の一つです。ローマの遺跡では、他に東方のティムガドやジャミラにも大きなものがあります。この町はティパサといい、ローマはこの町の西およそ27kmにあるシェルシェルを都として、「モーリタニア」を支配しました。      













ティパサの水道橋
<ローマ時代>
(筆者写)
  「ローマ帝国」はB.C.500年頃(今から2500年前)イタリア半島に興った都市国家(ポリス)です。有名な英雄カエサル(シーザー)以後は大発展をし、1ー2世紀には地中海を取り囲む大帝国が完成しました。ベルベル人によって建設された「モーリタニア王国」と呼ばれていたこの一帯もローマの支配下に入り、ローマ風の建造物が多く造られました。

 このような「ローマの遺跡」はこの国のあちこちにあるばかりでなく、スペイン、フランス、イギリス、ドイツ、チュニジア、エジプト、中近東に広く残っています。「ローマ」がいかに大帝国であったかが容易に想像できます。そして ローマの後は、429年にゲルマン人の一派で荒々しいヴァンダル人がやってきて、この一帯を征服しました。

 さて、ティパサで水道橋を見た後、西方わずか27kmにある「カエサリア」と呼ばれた当時の首都、シェルシェルへ行ってみましょう。道は海岸から少し離れて走ります。そして海が見えてきたら、シェルシェルの町で、ちょっと大きな港もあります。この町は後の時代に破壊(はかい)はされましたが、見所はたくさんあるローマ時代の建築物です。町の中心は当時の雰囲気が残っているローマ広場で、中心部に彫刻がある泉があります。









シェルシェル
ローマ広場

(筆者写)

ここを空から衛星写真で見るとこうなります(クリック)













シェルシェル
博物館
(筆者写)
 博物館があったので、入ってみました。日本やアメリカ、ヨーロッパの博物館と比較すると、決して豪華でも大規模でもありません。むしろみすぼらしい感じがします。発掘した大理石の胸像や全身像が、無造作に庭に転がされています。

 考えてみると、パリのルーブル博物館やロンドンの大英博物館のような先進国の博物館が、遺物(いぶつ)を金(かね)で買ったり、各地の遺跡から「奪って」きたのに対し、地元で出土したものを並べているのです。やはり、歴史的遺物は、その元あった場所にあるのがふさわしいのです。





クレオパトラと
いわれる胸像
(筆者写)
 中に入ってみると、大理石像を中心に並べてありましたが、予算が十分でないのか、説明や修復は十分ではありませんでした。その中で目を引いたのが、「クレオパトラの胸像」でした。歴史の中で、あのパスカルに、「もしクレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていたであろう」といわせたエジプトの女王です。しかしその像は決して「美人」ではありませんでした。確かに上品な顔ですが、カエサルアントニウスといったローマの英雄二人を、惹(ひ)きつけた「超美人女性」とは思えません。本によると、ギリシャ系の彼女は十何カ国語を話したと言いますから、語学や内面的な「美しさ」やものごしで人々を魅了(みりょう)したのでしょうか。


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