4)「クレオパトラの娘の墓」(地中海に沿って西へ)(秋冬)
              
Tombeau Royal Mauretanien アルジェから63km


 アルジェの街から地中海岸にそって西に走ります。海岸線の道は当然ながらくねくねと曲がりますが、運転する身には変化があって飽きが来ません。カーブを曲がると、突然真っ白な灯台が現れたり、古いレストランが現れたりと、楽しいものです。やがて、岬の高台に立派な教会が見えてきました。ノートルダム・ダフリーク教会(下写真)です。

 フランスのパリにある「ノートルダム教会」は大変有名ですが、海をはさんだアフリカに同じ名前の教会が、フランスの方に向かって立っていることが、なにか象徴的(しょうちょうてき)*です。まるで、イスラム教の土地にキリスト教を広める足がかりのようでもあります。また、
フランス植民地時代のシンボルのようにも見えます。ちなみに「ノートル・ダム」とは、フランス語で「私たちのご婦人=マリア様のこと」なのです。本当に、立派な「黒いマリア像」があります。

*象徴的 しょうちょうてき・・何かを表すのに役立つそれと関係が深かったり、連想させやすい具体的な物(例)平和←ハト
地中海を見下ろす丘の上にあるノートルダム・ダフリーク教会 Notre Dame d'Afrique (筆者写)
 地中海はどこまでも碧(あお)く、180度に広がる大海原には島影一つ見えませんし、船一つ見えないこともあります。そしてそれがいつの間にか青空とつながっています。水平線と空は同じ色で区別がしにくいのです。赤黒い土がみえる崖(がけ)の斜面の畑には、オレンジやビワなどがたわわになっていたりします。陽に焼けたハダシの子供たちが、親の仕事の手伝いをしています。
クレオパトラ=セレーネ

「クレオパトラの娘の墓」
と伝えられる
モーリタニア国王家の墓
(筆者写)
        
 
 やがて進行方向左手の丘の上に、石造りの大きな遺跡が見えてきました。俗に「クレオパトラの娘の墓」といわれているものです。
クレオパトラとローマの指導者アントニウスの娘で、ヌミディア王ジュバ二世の夫人となったクレオパトラ=セレーネのものといわれています。

 いったん国道から離れて260mほど上がってみましょう。オリーブ畑の中を通って近くに寄ると、この墓の大きさが分かってきます。円周63mの「円墳」で、上部には盗掘(とうくつ)した跡も残っています。中に入れるというので、入ってみました。頭を低くして歩き、狭い石の廊下をくねくね歩くと、小さな教室くらいの石室に出ますが、中には何もありません。盗掘されたり、博物館へ行ったのでしょう。ただ、外は汗がにじむほどなのに、ここはひんやりして快い涼しさでした。