(12) 砂まみれの街エル・ゴレア<今回の旅の終点>(冬)
El Golea 地中海岸のアルジェから850km
エル・ゴレア オアシス
エル・ゴレアを空の衛星から見るとこうなります(写真は道路上から撮っています・クリック)

写真の緑の林は「なつめやし」で、さばくの大切な食料・ナツメヤシの実・ダーツ(ダッツ)がとれる

 走るのに飽(あ)きたころ、いきなり目の下にオアシスの緑が飛び込んできました。アルジェから850kmのエル・ゴレア オアシスです。ずっと走ってきた土色の世界から緑色の世界へ入ると、正直「ホッ」とします。昔の旅人たちは、同じ距離を何十倍の時間をかけて旅をしたのでしょう。長い旅の終わりに、オアシスが見えてきた時の彼らの気持ちが、ほんの少しだけ分かるような気がします。

 坂を下りて街に入って行きましたが、高度計の針は400mを切っています。アフリカは、内陸に入るほど高度が下がってゆくのです。私はここまで頑張った愛車に感謝し、むかしの「砂漠の旅人」がラクダに水を飲ませるように、ガソリンスタンドへ入り、タンクいっぱいにガソリンを入れました。
 
 それにしてもこのオアシスは、今までのものとは異なり、少々砂っぽい感じがします。町中の道路は、すべて砂が厚く表面を覆(おお)っており、ハンドルが取られて車で走るのも苦労しますし、空気そのものが砂っぽく、口の中がジャリジャリします。生暖かい「モワッ」とした空気のため、モスクの尖塔のある景色がかすんで見えます。何か沙漠で「霧」の景色を見ているようです。
フランスの宣教師フーコーが埋葬されている元キリスト教会
 
 街から4kmくらい沙漠に出ると、小さななヤシ畑があり、むかしキリスト教徒が住んだ古い村と、サハラでいちばん古いキリスト教会が残っています。地元の若者が鍵を持って管理していますが、現在はもう使われてはいません。中に入ると、質素な造りの礼拝室には、キリスト像やマリア像が飾ってありました。教会の前の広場様になった場所に、砂に半分埋もれた石の墓がありました。墓の主はシャルル・ド・フーコー*というフランス人の神父(宣教師)でした。




教会内のマリアと幼子


←現在の教会内の様子
 しかし現在、イスラム全盛のこの地に、キリスト教を広めようとした宣教師たちも、このアフリカの地を132年間支配したフランスの「帝国主義も、すべて歴史上の過去の事実となりました。



*帝国主義ていこくしゅぎ・・武力などによって弱小国の領土や利益を取ろうとする大国のやり方
*宣教師せんきょうし・・キリスト教を外国に伝え、広める仕事をする宗教者


*シャルル・ド・フーコー(Charles De Foucauld)
 
1858年ストラスブール生まれのフランス人で元軍人、後にキリスト教に入信後、修道士となり隠者となる。1901年フランスで司祭になり、アルジェリアのタマンラセットで布教した。高潔な人柄はイスラム教徒にも愛されたが、第一次大戦の1916年原住民の反乱で殺害された。
                 (アルジェリアハンドブックより)

シャルルドフーコーの写真は下記サイトより転載
 
 町外れの家並みのあるところで、裸足の子供たちから「化石」とサソリをゆずってもらいました。化石は巻き貝やアンモナイトの破片です。聞くと、数十q離れた山にいくらでもあるのだそうです。行きたかったのですが、時間がなかったので止めました。この大サハラも太古は海の底だったのです。何か不思議な感じがしました。

 
サソリ(蠍、英語名:スコーピオン Scorpion)
刺されるとほぼ即死のものから、ただはれるだけのものまでたくさんの種類があるといわれる
 
 
一日中風の吹き続けるこの風の街も、なぜか夜になると風がピタッと止みます。空を見上げると、地平線から地平線までまるで「降ってくる」ぐらい星が近くに見えます。ネオンサインも街の明かりもなく、空は真っ暗です。よく見ると南半球しか見えない南十字星(サザンクロス)も見えます。ここではプラネタリウムは要りません。その美しさにしばらくは見とれていました。

 朝になると、空をオレンジ色に染めた沙漠の朝陽が、雄大な地平線から大きくゆっくりと昇ってきます。不思議なことに、沙漠の町なのに遠くで
めんどりが、朝を告げています。まだ街が寝ているころ、今日も建設資材を積んだ大型トラックや食料品を積んだトラックが、さらに南のオアシスへ向け、砂ほこりを上げながら出発して行きます。大サハラはまだほんの四分の一くらい入ったばかりです。沙漠の旅はまだまだ続くのです。果てのない旅はつづいてゆきます (おわり)


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