(9)石油パイプラインと遊牧民 (冬)  Le petrole, Nomade

 ラグアットの町を過ぎれば、土地は平坦になり、木らしい物は見られなくなります。土漠のなかの一直線の道は、上下に波打ちながらどこまでも続きます。ところどころにある低い土地にだけ草が生えています。見えませんが、下に水脈があるのでしょう。

 葉がトゲに変化した
タマリスクも点々と生えています。さわるとチクッと痛いこの草(かん木)は、ラクダの大切な食料だそうです。口の中を血だらけにして食べるのでしょうか。ラクダといえば、羊の絵に代わってラクダの絵を描いた逆三角形の道路標識が目についてきました。「ラクダ(の道路横断)に注意!」と言うことなのでしょう。
 
 この砂漠への道は幹線なので、運転していても昼間は2,30分に何台もの自動車と出会います。砂漠の建設資材を満載した大型トレーラーや屋根の上に荷物を載せた長距離バスが砂煙を上げて行きます。よく見ると、その屋根には子羊がくくりつけてありました。不思議なことに、子羊は観念しているのかおとなしくしていました。

 やがて地平線に、風車らしいものが見えてきました。近づくと羽根は5mくらいもあり、そばの民家用の水を汲み上げていました。その家は土でできていて、戸口以外には窓は小さなものが、一つしかありません。真夏に外の気温が60℃以上にもなる砂漠ですので、窓は「明かり取り」以外では小さい方がよいのです。日本と違って湿度が大変低いので、この方が涼しいといいます。家の作り方の発想が全く逆*なのです。

     *(注) 日本の家は、湿度が高いため、窓を大きく風通しを考えて作られる。(風の道)
油田の炎
 (L'Algerie Aujourd'hui)

ハッシ・ルメル油田を空から見るとこうなります(クリック)
井戸のやぐらやパイプラインやタンクが見えていますね
 しばらくして、進行方向右手の地平線に黒い煙の筋が何本もが上がっているのが見えてきました。火事ではありません。油田のガスを燃やしているのでした。サハラは太古 海の底だったので、あちらこちらに油田があります。走っているうちに、直径1mくらいの太いパイプが、地平線からまっすぐ伸びてきて道路の下をもぐり、また反対方向の地平線に消えてゆくのに出会いました。石油のパイプラインです。延々600km走って、地中海の港スキクダにまで伸びているのです。そうして、そこから外国に輸出されています。石油や天然ガスは、この国いちばんの輸出品なのです。

 およそ数十kmも行ったころ、彼方から砂煙を上げて何かの集団がやってきます。車を停めて見ていると、6,7頭のラクダの背に家財道具や小さな子供をくくりつけた「
遊牧民」の一団でした。「家長」らしい男は馬に乗り、女性たちはなぜか歩いています。何人かの男たちは、ロバに乗って羊を追い回しながら進んでいます。彼らは、草のあるところに移動している最中でし た。

 ターバンを巻き陽に焼けたしわだらけの「家長」が、こちらへやって来ました。「
アッサラーム・アレイコム!」(こんにちわ)と言うと、うなずきます。何かアラビア語で言っていますが、意味は分かりません。身振りから「タバコはないか」と言っているらしいのですが、ありません。車につんでいたオレンジ2個を取り出し渡すと、一団は砂煙を上げてさっさと行ってしまいました。
遊牧民(ベドウィン)と筆者 右はラクダ  遊牧民の住居とその骨組み
ひとこぶラクダとふたこぶラクダの違いは?(ウィキ・リンク)
 車で30分ほど行った所に、遊牧民のテントがありました。娘達がラクダや羊など草食動物の乾いたフンを拾って、袋に入れています。フンが燃料になるのです。ここには、もちろん電気もガスも水道もありません。周りを見ると、山羊と羊が少ない草を必死で食べていました。こうして、この砂漠で、現在最もこの国を表すような油田、パイプラインと遊牧民という新旧の2つのものを、ほぼ同時に見ることができました。このような対比が、この国のおもしろいところです。

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