(10)サハラの大えくぼ(サハラ最大のオアシスの町、ガルダイア)(冬)
                        
Ghardaia Oasis アルジェから600km



 サハラ最大のガルダイア・オアシスを空から見てみましょう(クリック)・・ここがくぼ地にあるのがよく分かりますね


オアシスとナツメヤシ


 道の前方に「なつめやし」の林が見えてきました。なつめやしは世界中にたくさんあるヤシの仲間で、乾燥気候の土地に生えているのはすべてこのやしです。

 葉の下には、小さな干し柿(ほしがき)大の実がブドウより大きい房でたくさんぶら下がっています。これを
ダーツ(ダッツ)と呼んでいます。大変栄養があり、むかし、ラクダを連れた沙漠を渡る商人たち、隊商 (キャラバン)の主な食料でした。
 やし園の近くには必ず小川らしいものが流れています。正確に言うと、「フォガラ」からきた水です。遠くアトラス山脈で降った雨が地下水となり、それが地表に近づいたところで取り出し、人工的な地下水路「フォガラ」で何十q、時には何百qもオアシスまで引いてくるのです。同じようなものは世界中の乾燥気候の土地に決まって見られますが、中国のシルクロードでは「カレーズ」、イラン辺では「カナート」といっています。 
 
 このオアシスは小さなものでしたが、いくつかの小さなオアシスを通り過ぎているうちに、突然目の前が急に開け、巨大な窪地(くぼち)*1 が現れました。褐色(かっしょく)の世界に、いきなり白く輝く大集落の大きな固まりが出現したのです。緑のヤシ林も見えます。

 これが
サハラ最大と言われるオアシス、ガルダイア(ガルダイーア)です。地中海岸のアルジェからは、ちょうど600kmのところです。お椀(わん)の底のような土地に5つの丘があり、その丘のふもとから頂上に向かって白やベージュ、黄土色の壁の家々がせり上がってゆきます。それぞれの丘の頂上には白や茶色の尖塔(せんとう)*2 があり、これらを上からみると、まるで大きなカンバスに描いた油絵そのものように見えます
*1 窪地 くぼち・・地面のへこんだ所   *2 尖塔 せんとう・・先のとがった塔
          
ガルダイアの一部  丘のイメージ
(下はナツメヤシ)
 フランスの大建築家コルビュジェはこの都市づくりを絶賛したといわれています。この火口の底のような街に入るには、急な坂を降りてゆかねばなりません。降りるにしたがって、幅5mくらいの涸れたウェッド=ムザブ(川)が広がって見えます。小石だらけの底には、ほとんど水らしいものはありません。このように「オアシス」とはいっても、町の中心部には水の影もありません。

砂漠のバラ ジュータンを売る店
「ハイク」の女性  (C)1995MaskoKakehi
 街は信号機もあり、通りもかなり広いものです。土産物を売っている商店では、砂漠の動物でカモシカの仲間ガゼルの毛皮や、鉱物の結晶「砂漠のバラ」や、手織りの大きなジュータンを売っています。「スーク(市場)広場」へ出ました。一辺が100m近くもある大きな広場には、この町はずれ、近くのオアシスの農園から運ばれた野菜、ダーツ、オレンジ、長型の西瓜などが並べられ、頭に白のターバン、そして白いガウンに身を包んだ男たちが買い物をしています。

 イスラム圏に共通のことですが、日常の買い物は男性の仕事です。女性は家の中にいて、「家」を守ることとされているのです。アラブでも最も伝統を守るここの
ムザブ人たちは、古くからの宗教的教えをがんこに守る人達なのです。もちろん、タバコも酒も飲みません。女性は家からほとんど外出せず、かりに出る場合も、家族以外に肌を見られないようにすべてを黒布で隠し、上の絵のように片目だけを出して歩いています。


ガルダイーアのスーク広場
上の場所を宇宙(衛星)から見るとこうなります(クリック)
 広場を取り囲む店みせでは、ほとんどジュータンを売っています。小さいものは花びん敷きから、大きいものは20畳ぐらいのものまであり、織り込まれた柄は、サソリや土を耕す「スキ」や花など意味を持った伝統的な模様が中心です。これらは遊牧民や近隣の農家の奥さん、娘さんの家内作業で作られる大切な資金源なのです。男達は、それらを何百q離れたところからもこの町に待ってきて金に換え、小麦粉や砂糖、野菜や果物、なべなどの生活必需品と交換するのです。

          街中のアーケード
        
 
  ここで窪地の中の一つの丘、ベニ・イスゲンへ行ってみましょう。およそ20分ほども歩くと、土でできた高い城壁がめぐらされ正面に大きな門がある丘の入り口の前にでます。その門を入ると、くねくね曲がりながら狭い階段や道が丘の上を目指してゆきます。日本のものに例えると、戦国時代の城の大手門を入って天守閣を目指しているようなものです。大きな違いは、日本と違って空が見えず、昼でも薄暗いことです。仮に「敵」が門を破って侵入しても、途中で撃退できるようにしています。

 そういう意味では、丘が自然の要塞(とりで)になっているのです。街ができた時代が、どんな時代であったかが容易に想像できます。このせまいくねくね道は、尖塔のある頂上まで続きます。聞くところによると、下の大門は夕方の決まった時間が来ると閉められ、朝まで開かないそうです。まるで江戸の町の「大木戸」(出入り口)のようですし、中世のヨーロッパの
城郭都市のようでもあります。
 城壁内の狭い通路

  *城郭都市(じょうかくとし)  
街の周りが石などの壁に囲まれた都市 敵から守りやすい 所々に大きな門がある 
日本以外の国ではこのような町づくりが多いが 日本では城の回りだけを守るところが異なる
現存の物では南フランスのカルカッソンヌ
 ドイツ・ロマンティック街道の各都市 中国西安(旧長安)などが有名