(参考資料)6 オーストリア国内にある他の作曲家(音楽家)の墓地
以下の墓地は、本題「ヴィーンの音楽家の墓」からは外れるが、参考までに列記して読者の便に供したい
下のような著名な音楽家が眠っている。なお出典、引用はおもに”FIND A GRAVE”(英語)である
Karl Boehm (Dr. Karl August Leopold Boehm)
<筆者注>2003年3月23日グラーツに赴き、シュタインフェルト墓地
のカール・ベームの墓の写真を撮影、文とともに追加した
ベーム家の墓
シュタインフェルト墓地の道路側から反対奥の壁際にある家族墓
同ベーム家の墓碑拡大
カール・ベームは墓碑下段右中にある
上は墓碑銘の部分拡大 下はその文面の訳
オーストリア国総音楽監督
グラーツ市、ザルツブルク市、並 ヴィーン市、各名誉市民
1894年8月28日生 1981年8月14日没
(筆者注)
戦後長い間、ベームはウィーン・フィルを中心としたヨーロッパのオーケストラを指揮、
ドイツのベルリン・フィルを率いるヘルベルト・フォン・カラヤンと人気を二分した
|
都市名 |
墓地名 |
人 物 名 |
説 明 |
ザルツブルグ
Salzburg |
ザンクトペーター St.Peter
衛星写真と地図(Google)
注:映画「サウンドオブミュージック」
の最後の逃亡シーンに出た墓地である
|
モーツァルト家
コンタンツェ
マリア=アンナ
レオポルド 写真1A,B
|
モーツアルトの妻、後再婚
姉、ナンネルとして知られる
i.e.「−の練習帳」(音楽帳)
父レオポルト 母アンナマリア
|
同上 |
同 |
ミヒャエル・ハイドン
"Find-a-grave"リンク
|
作曲家 Jハイドンの弟 |
グラーツ
Graz |
シュタインフェルト Steinfeld
衛星写真と地図(Google)
|
カール・ベーム
写真2
|
20世紀最大のオーストリアの指揮者の一人
長い間ウィーンフィルの常任であった
来日多数
|
リンツ
Linz |
ザンクトフローリアン修道院
St.florian
衛星写真と地図(Google) |
アントン・ブルックナー
写真4
|
作曲家・オルガニスト
自分が務めた修道院の
オルガン下の地下室に眠る
|
アイゼンシュタット
Eisenstadt |
ベルク教会 Berg Kirche
衛星写真と地図(Google)
|
ヨーゼフ・ハイドン
写真3
|
彼のパトロン、エスターハーズイー候の城下町
ハイドン博物館もある。
|
<名指揮者・カール・ベームの墓参り>
|
|
From(C)"Graz" official web-site” |
→電車・旧市街へ
|
*グラーツ・シュタインフェルド墓地への行き方・・・・
ウィーン南駅からグラーツ行きは日に17便あり(半分はBruck/Murで乗り継ぎ、2003/3/23現在)約2時間半 グラーツ駅をでて、正面のBahnhofguertelで右折、つづくEggenberger
Guertelの通りをまっすぐ南下、計4つ目の通りで右折、踏切を越えると左手に墓地の塀が見える 徒歩で10〜15分 因みに右手は操車場である 夕方には閉門するので注意 目当ての墓は西側の塀にくっついて真中辺にある あまり地元の人でも知られていないし、英語が通じにくいので自分で探すしかないが、平日なら近くに事務所があり、そこで訊けるらしい。
(墓参りをされる方は左の地図と上別欄記載のGoogle衛星写真・地図を参照されたい)
|
(参考資料)上記作曲家に関係ある国外の関連墓地
下の人の墓はオーストリア国内ではないが、元はヴィーンに住んでいて、
ヴィーンの宮廷詩人作家であり、モーツァルトと特に関係が深い人なので、掲げておきたい。
★ カルヴァリーCalvary墓地(米国・ニューヨーク市・クイーンズ区: Queens, NYC, NY, USA)
衛星写真と地図(Google)
|
ロレンツォ・ダ・ポンテ Da Ponte
(本名Emanuele Conegliano)
ユダヤ系イタリア人である。名前を変えた。ウィーンで帝室劇場付詩人のときに、モーツァルトと出会った。「フィガロ」「ドンジョバンニ」「コシファントッテ」など名作は、全てポンテの台本である。晩年はニューヨークのコロンビア大で教師をし、彼の地で死去した。
(標準音楽辞典抄)
←Photo from "Find-a-Grave" |
|