中国人街と華人(華僑)piyo_i_013_02.gif

 日本の旅行案内書によると「中華街チャイナタウンといっても街全体がそのようなもので・・」と書いてあったが、なるほどホテルの人間に聞いてみても、「・・・・?」「・・・!」といった具合で要領を得ない。まちの人口の十分の一が華人<むかし学校では華僑(かきょう)と習った>というところである。バンコクのメインストリートにある銀行や大会社の看板は、中国語で書かれているものが多いことからもそれが分かる。
 
 案内書に中華街があると書かれている中央駅(フアランポーン駅)付近に行ってみることにした。バスに結構長く乗って駅の手前まで来ると、学校らしいものがあって、その中で楽隊がドンドンと演奏をしていた。これは何だろうと思って次のバス停で飛び降り、学校の方へ足早に進んだ。建物の入り口に「僑光公學」と大書してある。どうやら華人の学校らしい。顔も日本人に似ていて、浅黒いタイ人とは明らかに異なる。始業前らしく、ボーイスカウト風の制服を着た少年少女が整列をし、生徒楽団の太鼓に合わせて教室に入っているところであった。生徒は年格好からいって小中学生らしい。車で送ってきた家族も周りを取り囲んで見ている。生徒を送ってきた車もベンツなどの高級車も多く、何となく華人の経済力が分かりそうである。その中庭の四方の壁には、漢字と英語でモットーが書いてあった。
     
 禮猊佳  Good manner
 
勤學*  Love to Study (*の字は不明)
 
智慧高  Wisdom
 
品佳高  Virtue

−と書かれてある。中国外の世界中で働く華人たちの生活信条もこのようなものであろう。私も海外のいろんな国で華人を見てきた。顔だけは我々日本人と似てはいるが、その他の点においては、決して似てはいない。

 まず日本人もいない、どんな国のどんな田舎町でも、生活していることである。これに対して、日本人の方は現場(プラント工事など)を除けば、原則的に都会に集中する。職業としては、中華料理店をやっていることが多い。そして子供は地元の学校に通わせる。(地方には中国人学校はない。)できるだけ高等教育は受けさせる。子供は現地の言葉を苦もなく話す。そして家族経営の店を手伝う。家族同士はふるさとの言葉で話す。老人を大切にし、親戚、仲間同士の結束は堅く、互いに助け合う。儲けの一部を定期的にふるさとに送金する(といわれる)。こんな具合である。元々貧しいからもあろうが、なんと日本人と違うことか。 ある面では、ユダヤ人や現代ドイツにおける出稼ぎトルコ人たちとの類似も感じさせる。

 さて、表通りから一歩狭い路地に入ると、いきなりタイムスリップしてしまう。ゴミが散乱し、得体の知れない水が流れる路地は、歩く人もまばらで、猫が路上で昼寝をしていたりする。看板は中国語だけで、間口の狭い店が連なり、日本の戦前の雰囲気の町並みが続く。その雑然さに一瞬たじろぐが、それと同時に何か心が安らぐ。以前どこかで見た風景だ。たぶん心の「原風景」であろう。雑貨屋をのぞくと、いかにも安っぽい作りの品々が天井まで所狭しと棚に並んでいて、店番のおじさんはにこにこ笑って椅子に座っている。特に売ろうとする様子でもない。
 
 この店はいってみれば、昔の日本の「よろずや」なのである。あめ玉一つから買える。いかにも安そうなプラスティックの櫛を一本買ったら、とてもハッピーな気分になった。日本円で10円くらいだった。今の日本で100円グッズはあるが、10円で買えるものはない。それでもおじさんはにこにこ笑って「ありがとう」と日本語でいった。日本の商人には見られない笑顔だった。ここではお金は値打ちがある。もっともその様な鄙びた「中華街」は裏通りだけである。表の目抜き通りの銀行、商社は大会社が多く、何ら香港やシンガポールと変わらない。

   
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