ポーランド・チェコ旅日記(Day13+14+おわりに)
ウィーン・シュヴェヒャート空港 (オフィシャル・HPより) オーストリア航空のAirbus A340-211 (オフィシャルHPより転載) |
いよいよ旅の13日目、帰国の日だ。うれしいことに、帰国便の関空直行便OS55は13:45だ。午後の便はホテルを出てもゆとりがあって、心も体も楽なのである。 脱線するが、あれは前回の「ウィーンの音楽家の墓」を「取材」に来た時だった。<アリタリア航空のミラノ経由ウィーン往復航空券>がなんと38000円で出たことがあった。ヨーロッパまでこの値段は、ふつうはないことである。「ラッキー!」気分で出発した。ところが、行きにミラノ・マルペンサ空港のトランジット(乗り継ぎ)で長く待たされ、しかも機体トラブルで更に延びてウィーンに延着した。ホテルのキャンセルが怖くて、国際電話までかけたのだった。次のトラブルは荷物がなかったことだ。「バッゲージ・クレイム」に訊くと、まだミラノにあるようであった。翌日も荷物は着かず、おかげで同じパンツを三日間もはいた!のだ。更に帰国の折りは、朝一番の7時台の便だった。国際線で「おきまり」の出発2時間前に空港に来るのは大変だった。寝過ごしても大変だ。そこでウィーン空港のベンチで徹夜することにした。これでホテル代も浮くとも考えた。寝ると、物がなくなるかも知れない。歩きまわったり、本を読んだり、コーヒーを飲んだりして睡魔と戦った。さいわい空港は警戒厳重で、自動小銃を持った兵士二名が、シェパードをつれて巡回していた。何とか朝まで持ちこたえた。飛行機に乗ってアルプスを見ていたら、すぐに深い眠りに落ちた。ところが、またミラノの乗り継ぎで3時間以上待たされて、やっと20時間近くかかって帰国したことがあった。「格安航空券」には往々にしてこういうデメリットがある。こうして電車で中心部の「リンク」まで出て、地下鉄U3でウィーン中央駅に出た。ここはいままで何回も利用していて分かっているので、背中の荷物の重さは気にならなかった。しかしホームに降りてから、景色がいつもと違うのがすぐに分かった。ウィーン・シュヴェヒャート空港方面の乗り場全体が「工事中」で、人も電車の姿もないのである。二週間前に来た時は、何にも変化がなく普通の状態だったのに・・。何か表示や情報があるかと思い、階段を上がって隣のホームへ降りていった。しばらく歩いたが、なにも「お知らせ」はなかった。そこで、ベンチに座って読書をしている若い女性に声をかけた。 ウィーン・ミッテ(中央)駅の女子大生 こうして彼女が言ったように、南駅行きの電車に乗った。流石に首都の中央駅だ。しばらく待ったらすぐに来た。しかし、南駅では空港行き電車の乗り場の表示がない。時間はどんどん経って焦りが出てくる。サラリーマンらしい男性に訊いてみた。「ここからは空港行きはでないよ。それなら中央駅の手前レンヴェーク駅だ。」お礼を言って、次の電車でもと来た方に戻った。 ところがレンヴェークでは電車の時間が悪く、しばらくは空港方面の電車がない。ここで焦りが最高潮になった。タクシーなら間に合うが、きっと金がかかるだろう。しかし飛行機に乗り遅れると、日本までの「格安」航空券は無効になる!その時、中央駅そばに「シティ−エアーターミナル」があるのを思いだした。買った切符は損だが、そんなことは言っていられない。次の電車にまた乗って中央駅まで帰ってきた。何のことはない。結果論だが、はじめからこうしておけば良かったのだ。 重いリュックに構わず走った。シティ−エアーターミナルは、駅前のヒルトンホテルの裏にあった。バスが来ていて、「Flughafen(空港)」と表示があった。運転手に訊くと、あと5分で出発だという。「よかった!」思わず声が出た。どっと汗ができた。疲れも追いかけてきた。バス料金5.80ユーロが余計にかかったが、そんなことはもうどうでもよかった。それにしても、「駅が工事中で電車が欠便」なんて、どこかに予告でもあったのだろうか?たぶん私の見落としだろうが・・。ホントに個人旅は、何が起こるか分からないから「楽しい」。何があっても、「個人の責任」なのだ。 意外にも渋滞もなく、リムジンバスのおかげで、何とかゆとりを持って空港に着くことができた。まだ2時間少しあったのだ。早くホテルを出ていてよかった。早めのチェックインだったが、OSカウンターは愛想よく受け付けてくれた。日本語を話す青い目のOS女性職員がいたのには驚いたが、多分「日本便」だけのサーヴィスなのだろう。。それにしても、何度も来る空港は、スーパーマーケットの位置まで分かっていて、心に大変ゆとりがあるのがうれしい。 この空港の「デューティー・フリー」は、空港全体の面積の割には広い。めったに土産を買わない私だが、有名な「モーツァルト・クーゲルン」を買った。これは意外とイケルのだ。その店前で、あの「自転車オジさん」と会った。帰国の日まで一緒になった。元気にオーストリアを回ってきたらしい。私より年上だが、ホントに元気だ。見習わなくては・・。搭乗ゲート待合室では、ヨーロッパ研修帰りの日本人「音楽療法師」やドイツ帰りの広島大学の院生などいろんなひとに会った。あらためて、いろんな目的の人たちが「それぞれの旅」をしていると感じた。 |
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関西国際空港 (オフィシャル・HPより) |
機内で飲んだビールやワインのおかげで、機内映画も見ずぐっすり眠れた。最近は機内では座席はいつも「通路側」なので、外の景色も見ることはないが、大阪湾の海が近づいてきたのは分かった。久しぶりの関空は雨だった。雨は心がなんとなく落ち着く。 電車で大阪に向かうが、毎度のことながら窓外の日本の家々は小さいし狭い。庭のスペースの無さに加えて、全体的に緑が極端に少ない、そして電信柱が煩わしい、看板がきたないし多すぎる。そして町全体の造りや色に統一性がない。これは「アジア的カオス」の世界だ。看板がウルサイ点では、アメリカにも似ている。 今回は「歴史の都」で落ち着いた美しいウィーンから帰ったので、日本の町並みの乱雑さには辟易する。郊外の「ニュータウン」だけは若干例外だが、全体的に「町づくりのコンセプト」がない感じなのだ。私はいつも帰国するたびにホッとするとともに、何か精神的に遅れていて「ゆとりのない日本」を感じてしまう。 |
終わりに 「このたびのたび」は、懸案の「アウシュヴィッツ強制収容所」訪問とチェコ・ポーランド・オーストリアの音楽家たちの「墓詣で」が二本柱であった。スケジュールが決まっていない「ひとり旅」は大変気が楽だが、いつも「予期せぬ出来事」に出会う。これを「苦痛」と取るか、それとも「安価と自由の代償」と取るかは人によって異なるだろう。しかし私の場合は後者で、ひとつの「旅の経験」と捉えることにしている。それらが嫌なら、日本の自宅にいることがいちばん良いのだ。 それにしても、今回もいろいろな方と出会うことができた。タバコが苦手なため、現役の頃は人とつきあうことがやや苦手であったが、「しがらみ」のない旅先での「出会い」は、今回も私の旅を豊かにしてくれた。あらためて、お話ししてくださった方々にお礼申し上げたい。「一期一会」ということばも好きだが、毎回旅先で新しい「発見」ができるのが楽しい。また、今回回った国の方々の優しい眼差しは、心に残るものがあった。それに、人々の動作、立ち居振る舞いが、のんびりしていた。脱線するが、20年前にいたアルジェの大家さん宅のおばあさんが、現地アルジェリア・テレヴィの「日本紹介番組」を見ていみじくもこう言った。「すごいねえ。でもなぜ日本人はあんなにせせこましいのかネエ。?わたしゃ、お金がなくても此地の方が良いねえ」と。 旅をするたびに思うのは、当然ながら「世界は広い」ということである。生きている間に、世界をどれだけ回れるかは分からない。旅では知らない景色にも出会えるし、少しだけ知っていることについても多大の再認識ができる。しかし就中素敵なのは、知らない人たちと知り合い、話ができる・・ことであろう。顔の色は違っても、言葉があまり通じなくても、ジェスチャーを含めて何とか分かりあえる。やはり「人間」のいない世界はつまらない。しかしまた、こういう素敵な人間ではあるが、「取り返しのつかないこと」をするのもまた人間だ。人間の「罪深さ=業ごう」を知らされた「この旅」でもあった。 |
第二次世界大戦前夜から終戦時まで、 ドイツ・ナチスによって強制収容所に連行拘留され、 人権を抹殺され、毒ガス、射殺等によって殺戮された数百万に及ぶ ポーランド人、チェコ人、ユダヤ人、ロマ(ジプシー)および他の少数民族、 そしてファシスト勢力と闘い、抵抗運動をしていて亡くなったレジスタンスの方々、 さらに爆撃・戦闘に巻き込まれて死亡した一般市民の方々、および ソビエト赤衛軍によって「カティンの森」で銃殺されたポーランド軍将兵の ご冥福を心よりお祈りいたします。 May all the souls that were killed by NAZI and Soviet Red Army, ever rest in peace. |
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地球の歩き方A17 ウィーンとオーストリア |
「地球の歩き方」編集室編 | ダイアモンド社 ダイアモンド・ビッグ社 |
地球の歩き方A26 チェコ ポーランド スロヴァキア |
同上 | 同上 |
VYSEHRADSKY HRBITOV(ヴィシェフラド墓地) | BORIVOJ NECHVATAL | ANTIPOL, Brno, Czech Rep. |
Thomas Cook; European Timetable 2003 | (Japanese Version) | ダイアモンド社 ダイアモンド・ビッグ社 |
旅に出たくなる地図(世界編) | (五訂版) | 帝国書院 |
New Universal World Atlas | Rand Mcnally | 1995 USA |