モーゼのシナイ山と世界遺産・聖カタリーナ修道院
モーゼが神から十戒を授かったシナイ山と燃える柴の聖カタリーナ修道院



「神にいちばん近い山」・シナイ山と聖カタリーナ修道院

衛星写真と地図(Google)
 シナイ山・修道院の地図


モーゼと旧約聖書
みなさんは預言者モーゼを知っていますか?キリスト教徒が比較的少ない日本ではよくは知られてはいませんが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の国ぐにでは、彼は大変重要な人物です。聖書には「旧約」と「新約」の二つがあり、アダムとイブの話やノアの箱船、モーゼの十戒などの物語があるのが、旧約聖書です。これに対して、イエス・キリストと弟子たちの話が書かれているのが、新約聖書です。「約」とは「契約けいやく」で、神との約束のことです。

 旧約聖書でモーゼの行いがよく分かるのが、「出エジプト記」です。エジプトに捕らわれになっていたイスラエルの民をひきいてエジプトから脱出し、長い流浪の末に彼らを「約束の地」に導く物語です。それまでに、彼はシナイ山(ホレブの山)に登って神から「十戒じゅっかい」(十条の戒めのことば)を授かります。これが有名な「モーゼの十戒」です。
               

十戒 (出エジプト記:20.3-17)
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あなたには、わたしをおいてほかには神があってはならない
あなたはいかなる像も造ってはならない
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない
安息日を心に留め、これを聖別せよ
あなたの父母を敬え
殺してはならない
姦淫してはならない
盗んではならない
隣人に関して偽証してはならない
隣人の家を欲してはならない

(るるぶ・ワールドガイド・エジプトより)

 このモーゼが通ったと思われる道を通って、シナイ山に行って登りました。またそのふもとにあるモーゼの「燃える柴」がある聖カタリーナ修道院(ユネスコ世界遺産)も訪ねてみました。
         (聖書などのくわしいことは下にあるリンクで読んでください。リンク被許可済
                     Rabitanの聖書ワールド                  

←文中、これが横についているのはモーゼ(Moses)に関係があります
カイロからスエズ運河へ、そしてアイン・ムーサへ


 車はカイロから真東に向かい、スエズの町をめざします。この道はかなり大きな国道で、交通量も大変多いです。やがて、高速道路の料金所のようなものが見えてきましたが、警察の検問所でした。すべても車が止められ、行く先などを聞かれます。時には荷物の検査もあります。この国はいたる所に警察官がいて、いつも通る車をチェックしています。

       

 アフリカ最長の大河ナイル川の支流です。こういう運河のような川が網の目のようにあり、この大平野の農業用水となっています。

      

 途中の国道から見えた大きなハト小屋です。伝書バトではなく、食用ハトだそうです。この国では金持ちがハトを食べるといいます。ハトはこの国だけでなく、スペインなどの南ヨーロッパや北アフリカで食べる習慣があります。

           

 バスの前を走る護衛ごえいの軍人です。トラックに4人が乗り、自動小銃を持って防弾チョッキをつけています。この護衛もある区間を過ぎると、いつの間にかいなくなりました。この国は何年も前に、有名観光地の「ハトシェプスト葬祭殿」で、たくさんの外国人観光客が殺されました。観光で収入の多くを得ているこの国では、観光客の安全は大切な問題です。

 
 

 カイロから140km走って、スエズの町を横目で見ながら、瀬戸大橋のように長い橋を渡ります。下はスエズ運河です。この運河は中央アメリカ・パナマのパナマ運河とともに、世界の二大運河です。フランス人のレセップスが中心となって1859年から作り始め、1869年に開通しました。

         くわしい説明リンク:スエズ運河 - Wikipedia



 スエズ運河を橋の上から見た所です。意外に幅が広いのに驚かされます。大きな機械も十分にない時代に、こういう感じで地中海側のポート・サイードから紅海(スエズ湾)側のスエズまで、190kmの砂漠を掘ったのです。



 反対側を見ると、ちょうど貨物船がやってきました。この運河を作る時は、「・・・150万人のエジプト人が動員され、うち12万5000人が主にコレラによって亡くなった・・・」と言われています。



 じつは、スエズ運河を渡る方法は、もう一つあります。このアハマド・ハムディ・トンネルです。47mの海底を1.6kmも走っていて、1982年にできました。この写真は、シナイ半島からの帰りに撮ったものです。

 

 昼ごはんを食べたレストランの前です。ここはスエズ湾で、さらに南には紅海が広がっています。海はとても青くてきれいで、沖にはウィンドサーフィンもたくさん見えました。この一帯のシナイ半島の海岸には多くのホテルがあり、毎年外国からの観光客がたくさんやってきます。

   

 ここはスエズから50km南にあるアイン・ムーサの海岸近くです。旧約聖書によると、モーゼの一行が海を渡り、最初に宿営した所と言われています。ここの水が「苦くて飲めなかったが、神の示した木を投げ入れると甘くなった」と伝えられています。ここはもともと海のそばなので、水が「塩からかった」のかもしれません。

 
     

 そういう井戸がいくつか残っていますが、これはその一つです。井戸の底にはには土がたまり、水はありません。

      

 井戸の前にならんでいる土産物みやげもの店です。奥さんや娘たちが店番をしていました。主にアクセサリーが売られていました。

アインムーサからワディ・フィラン、聖カタリーナへ
   

 海岸に沿って道は南下します。沖には海底の石油を掘るやぐらがあります。このあたりは油田がたくさんあります。日本ではあまり知られていませんが、エジプトは原油産出国なのです。近くには石油関連の施設が見かけられます。



 長い間見なれたスエズ湾と別れをつげ、車は内陸に向かいます。写真で分かるように砂漠の気候で、岩だらけの山には草木はありません。

       

 岩山だらけの景色の中に、とつぜんオアシスのようにヤシが青々としげったくぼ地が現れます。フィラーン・オアシス(ワディ・フィラン)です。昔はレピデムと呼ばれていました。彼はここで飲み水がない時に、水をほとばしらせたという奇跡を行いました。またこの近くで、イスラエルの民がアマレク人と戦ったと言われています。

 
    

 シナイ山に近づくほど山は険しくなり、ますます緑はなくなってゆきます。当時、さまよっていたイスラエルの民は数万とも数十万とも言われていますが、こういう食べ物がない所(シンの荒野)では、飢えた時に「地表に薄くて甘い食べ物があらわれた」という奇跡が起きています。

      

 これは緑ひとつさえない岩山の写真です。道路のまわりはこういう山に囲まれています。今と違って道路もないこの環境は、モーゼたち大人数にとっては、生活も移動も大変だったと思われます。

  

 晩秋に近かったので、シナイ山そばの聖(セント)カタリーナの小さな集落に着いた時は、薄暗くなっていました。それでも目の前でそびえ立つ赤っぽい岩山は、たいへん迫力がありました。明日の朝は、真夜中の2時起きです。いよいよシナイ山に登ります。

シナイ山(ガバル・ムーサ)2285mに登山
     

 山頂でご来光(日の出)を見るには、夜中の2時〜2時半ごろにはふもとの修道院を出発しなければなりません。どこの国の人たちも、グループになって歩き始めます。

 
            

 足の弱い人たちは、ラクダに乗って8合目あたりまで登ることができます。狭い登山道に、歩く人に混ざってラクダが加わるのですから、大変です。それにラクダは歩きながらフンをします。それも踏まないように注意しなければなりません。



 日本の山にもありますが、ところどころに山小屋(売店)があります。ここでは、食べ物と飲み物を売っています。登山者は自分の足に合わせて休みを取ったり、歩き続けたりします。



 上がってゆくほどに温度は下がりますが、汗が出るほど歩いていますので、寒さは感じません。かいちゅう電灯の光が弱いので、まわりの景色がどうなっているのかも分かりません。



 ふつうの人で頂上まで2時間半〜3時間と言われていますが、2時間ちょうどで上がれました。すでに頂上の岩の上はたくさんの人で、足のふみ場もありません。あまりに寒いので、貸し毛布屋さんがはんじょうしていました。空は写真のように、まだまだやっと白みかけたばかりです。写真中央には、「明けの明星」がポツンと輝いています。汗が引くと、身体が冷えて寒さが身にしみてきました。

    

 およそ1時間待って、5時45分に朝日が昇り始めました。上の雲をそめ光のすじを放ちながら、赤く大きくゆっくりと上がってきます。

          くわしい大きい写真は→シナイ山の夜明け

    

 それまでおしゃべりや仮眠をしていた人たちは、その美しさに感嘆の声をあげ、カメラのシャッターをさかんに切ります。いろんな国のことばが聞こえてきます。世界中から人が集まっているのがよく分かります。

   

 これが山頂の岩(標高2285m)です。その向こうに見えるのが三位一体聖堂です。最初のものは6世紀に作られましたが、今世紀に立て直されたそうです。モーゼが神から「十戒」を与えられた「聖なる山」として、今でも人々から信仰されているのです。

  

 太陽が完全に上がりきってしまうと、人々は争うように下山を始めます。でも道は一、二人の幅しかないので、ノロノロとしか下りられません。

  

 真夜中に登っていた時は、まわりの景色はまったく見えませんでしたが、明るくなって下り始めると、道は急で岩がゴロゴロしているしていることに気づきました。

  

 下から登山道を見上げたところです。草一本、木一本ないような岩だらけの山なのでした。それでも岩を積んで道を作っていました。まことに信仰の力は偉大です。

           

 ラクダに乗った登山客です。それでも8合目までしか行けず、残りの800段は自分で登らなければいけません。

           

 二つある登山道のゆるやかなラクダ道は、大きな岩の割れ目を通って、反対側に抜けます。ここを通らずそのまま下りると、急な登山道で修道院まで下りてゆきます。

 
  

 目にもまばゆい朝の光の中、寝不足で空腹な人々は、それでも満足顔で道を下って行きます。

  

 下に下りてから上を見上げると、たった今下りてきた険しい岩の固まりが、せまって見えます。

     

 しばらくして、仕事を終えたラクダたちが家路につきます。お疲れさん!

 世界遺産・聖カタリーナ修道院を訪問


 このセント・カタリーナ修道院は、モーゼが神の使いに会った所にあった「燃える柴」の生えていた場所に建てられました。3世紀にローマ帝国の迫害を逃れたキリスト教徒が、このあたりに住み着いたことがその起こりだと言います。

               くわしい写真は:セント・カタリーナ修道院

       

 中庭の鐘楼(鐘つき塔)です。後ろのシナイ山がせまって見えます。

  
       

 修道院と言っても、まわりは高い石壁でかこまれ、まるでお城か要塞(ようさい)のようです。できた当時は、それが必要だったのでしょう。

     
                   「燃える柴」(中央下) 
 
 これが旧約聖書にでてくる「燃える柴(しば)」です。この場所でモーゼは神の使いと会いました。この柴はここでしか育たず、よそへもってゆくと枯れると言われています。

       
    

 これは修道女たちがおしゃべりしているところです。観光客や信仰で来る人も多いのですが、いまだにギリシャ正教の修行(しゅぎょう)の場でもあるのです。

        

 修道院から見たまわりの景色(シナイ山の反対側)です。きっとむかしはだれも近づかない人里離れた場所だったのでしょう。どの宗教でも、きびしい修行をする時は、このようなきびしい自然の場所ですることが多いのです。たとえば、日本の高野山(仏教)や羽黒山(修験道)などがそのよい例です。

モーゼの一生を映画で見たい人は:


「十戒」
チャールトン・ヘストン主演 セシル・B・デミル製作監督 米パラマウント 1956年 カラー231分
DVDで発売されています レンタルもあります


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