南無大師遍照金剛 合掌
第三十六番~第四十五番 岡山県倉敷市
第三十六番 医王山 吉祥院 丘上の風格ある寺で石垣も見事 倉敷市児島塩生
第三十六番 医王山 吉祥院 山門下の小地蔵さま ここからは水島工業地帯が一望できる トイレあり
第三十六番 医王山 吉祥院 大師堂 境内には花があふれていた
寺務所にお座りのご住職から親切にお話し頂き、御接待で頂いた煎餅には寺の焼き印がありました 合掌
医王山 吉祥院 大師堂 山号額 正月らしい装いである
第三十六番 吉祥院 境内の表示 中国・西安、善通寺、当寺本山の仁和寺など空海縁の場所・方向を指し示す
観光地ではなく寺ではこの手の物はめずらしい
吉祥院近隣の塩生疫神社
第三十七番への路傍に残る常夜灯と道標 右の道を進む この後は工業地帯に沿って北上する
第三十七番 常慶庵 住宅地の端にある無住庵 何と裏にはソーラーパネルが設置され電源にされていた 倉敷市児島宇野津
第三十七番 常慶庵 屋根付きの像
第三十八番 真言宗御室派 嶋向山 安楽寺 山門 倉敷市呼松
第三十八番 安楽院 山門下の「大師稚児像」
第三十八番 安楽院 山門脇の地蔵菩薩
第三十八番 安楽寺 客殿 写真外左側には当寺経営の「真言保育園」がある 「しんごん」ではなく「まこと」と読む
第三十八番 安楽寺 本堂 本尊:千手観音
第三十八番 安楽寺 墓地より見下ろす水島工業地帯
第三十九番 持命院(持命寺) 倉敷市広江
第三十九番 持命院 本堂 左隣にある保育園を経営する
長い第四十番への路傍の風景 主に古くからある住宅地だが、ときどき現れる墓地には新しい供花が多い
墓石の年号から見ると江戸期後半の物も多い
第四十番 般若寺 山門 石垣も見事 ちょっとした砦風である 倉敷市福田町
第四十番 般若寺 鐘楼(左)と客殿 山門脇にロール付き水洗トイレあり
第四十番 般若寺 鐘楼内部 鐘はむかし由加山蓮台寺より譲り受けた物という
第四十番 般若寺 立派な唐破風の客殿玄関 当寺本山の御室派大本山仁和寺のポスターが掲示される
般若寺 本堂 寺号額
第四十番 般若寺 本堂 ちょうど中から読経が流れていた この高台より水島工業地帯のほとんど全貌が見渡せる
倉敷市立第二福田小学校の運動場脇の大きい菩薩像
集落路傍の石像たち 倉敷市福田町
路傍の残柿 どうやら渋柿らしい たくさんあるので野鳥も見向きをしない?
第四十一番 蓮花院 山門 正月らしい風情 倉敷市福田町
第四十一番 蓮花院 本堂 しっかりした建物である
第四十一番 蓮花院 前の駐車場が広いが、せっかくある立派なトイレは施錠されていた 歩き遍路者には必要です
第四十二番 順木庵 農家風の造りに親近感がもてる 倉敷市粒江
第四十二番 順木庵
第四十三番への道 丘上の僧尼の墓地を横目で見ながら
第四十三番 西明院 左上にロール付きの広いトイレあり 倉敷市粒江
第四十三番 西明院 児島八十八ヵ所創設時代(江戸・天保十年)からある古刹
第四十三番 西明院 ここは丘の中腹で、かつて向こうは海(吉備の穴海)で遠くに見える小山が島であった
第四十四番 先陣庵 西明院と同じ境内にあるが、先陣庵の方が古いらしい 源平藤戸合戦縁の庵 倉敷市粒江
浮洲岩(うきすいわ) 倉敷市藤戸町
源平合戦時代はここは海峡であった ここにあった名石・(浮洲岩)藤戸石は足利義満が金閣寺に運び、のち管領の細川家に移り、
信長が二条城に、さらに秀吉の目にとまり聚楽第にと点々とし、江戸期京都の醍醐寺の門跡塔頭の三宝院庭園に、現在にいたる
藤戸石(現地の説明石の刻)
<関連写真>
秀吉縁の醍醐寺・塔頭三宝院の庭園 写真左奥が天下の名石「藤戸石」
両側の二石とあわせ阿弥陀三尊をあらわす (京都市伏見区)
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<内部リンク>
児島八十八ヵ所霊場めぐり (1)
児島八十八ヵ所霊場めぐり (2)
児島八十八ヵ所霊場めぐり (3)
児島八十八ヵ所霊場めぐり (4)
児島八十八ヵ所霊場めぐり (5)
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