ルクセンブルグの旅・アメリカ軍墓地(アメリカ軍兵士と陸軍第三軍司令官パットン将軍の墓)


首都ルクセンブール・ヴィユの郊外にあるアメリカ軍墓地の正門





アメリカ軍墓地正門を反対側から見る 右は管理事務所兼小展示館





墓地前部中央にある礼拝室




礼拝室内部
「死者たちに永遠の生命を与えよう、さすれば彼らは決して消え去ることはない」





この墓地に祀られているアメリカ陸空軍兵士名と階級、所属および無名兵士たち




Genaral George Smith Patton, jr.   Photos from Wikipedia US & Germany

パットン将軍の墓はいちばん前にひとつだけある 意外にも、他の兵士の墓と変わらない「質素」なものである





墓碑銘:
ジョージ・S・パットン・ジュニア
陸軍第三軍/将軍
カリフォルニア(出身) 1945年12月21日(死亡)



パットン将軍の墓(手前)は彼が愛した第三軍兵士たちを見下ろす(閲兵している)ように配置されている





兵士たちの墓:十字架に混ざって、ユダヤをあらわす「ダヴィデの星」のものもみられる






墓地の手入れはたいへん良く、当日も作業員が数名作業をしていた





「アルデンヌ−ラインラント」の戦況地図が大きく掲示されている 墓地に葬られた兵士もこの辺りの戦死者
パットンを有名にした「バルジ大作戦」「バストーニュ解放」の作戦もこの頃のもの 映画「パットン」にも出てくる 





<パットンという人物>

 「パットンは基本的に幼少期の英雄願望を生涯引きずっていたと考えられる。彼の思考能力での軍人・軍隊像の限界は第二次世界大戦初期までで、それまでは機甲部隊の重要性を提唱したりするなど先見の明があったが、そこで彼の思考は進化が止まったと思われる。彼の中での「軍人」は「盲進・盲信」とも言うべき突撃精神の持ち主である。スポーツに例えるなら、竹刀で叩いてしごきあげる監督であり、スポーツ科学や心理学を併用した合理的コーチングで選手を育てる指導者ではなかった、ということだろう。また、「軍人はこうでなければならない」という確固とした信念を持っていた。柔軟な発想ができて政治家に転向できたアイゼンハワーとは正反対の「融通の利かないコチコチの軍人」になる。最後の言葉は「(自動車事故は)軍人の死に様ではないな」だったという。」(この項:Wikipedia日本語版より転載)

 パットンについては、アカデミー賞(作品賞、監督賞など6賞)受賞の映画「パットン大戦車軍団」(原題"Patton"の中で、脚本のF.コッポラ、E.ノースと監督F.シャフナーは、ドイツ軍参謀副官に終わりの方でこう語らせている。「・・パットン、偉大なるアナクロニスム(時代錯誤)。私たち(ナチス)もこれで終わりだが、おまえ(パットン)ももう終わりだ・・・。」(意味:戦争がすむとお払い箱になる運命だ)(この項筆者)

<墓地への行き方>
中央駅からアルゼット川方向に行き、Boulevard General Patton(パットン将軍通り)を通って橋を渡る
しばらく行くと、右へ曲がるが "American Cemetery and Memorial"の表示がある そんなに遠くないので、
中央駅からタクシーで行っても問題ないし、それをお勧めする 車の方は墓地前に広い駐車場がある
蛇足ながら、列車が着くと中央駅一階に「i」があり、無料で地図などをくれる 宿も頼めるし英語が安心して通ずる
<外部リンクと参考写真>
ジョージ・パットン George S. Patton(Wikipedia) パットン・ミュージアム Patton Museum OfficialHP
パットン・ソサエティー Patton Society OfficialHP 
映画「パットン大戦車軍団」Movie:"Patton"(Wikipedia)
US M48 "Patton "Tank   Fm Patton Museum HP
「パットン戦車」


   
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