1 ヴィーンの墓地全体について
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"Wien on line"(以下WOL)という、ヴィーン市のホームページを開けてみた。それによると、ヴィーン市には現在、市営墓地(Staedtischen Friedhoefe)が全部で46箇所ある。なかで市の直営が9つ。その中で最大のものが"Zentral Friedhof"(中央墓地)である。規模はヨーロッパでは最大のロンドンのシティ・オブ・ロンドンに次ぎ二位、これにパリのペール・ラシェーズ墓地が三位と続く。
中央墓地について「地球の歩き方・36・ ウィーンとオーストリア」はこう書いている。
「ウィーン市の発展と衛生学的な観点から、市内の5つの墓地をここに集め、1874年、万聖節の11月1日に開設した・・・。」
また、"euromap” というホームページサイトはこう言っている。
「フランクフルトの2人の建築家によって設計された。1.5平方キロメートルに250万人が33万の墓に埋められている。作家や作曲家、芸術家などの名誉墓地(honour graves)が338ある。」
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(上)以前、マルクス墓地にあったW.A.モーツァルトの墓(記念碑)
ここが作られた1874年は、フランツ=ヨーゼフ一世の治世下にあり、「ワルツ王」と呼ばれたヨハン=シュトラウス(子)が活躍していた時代である。しかし、この時代はこの国にとっては、決して良い時代ではなかった。それは、少し前にフランスやプロシアとの戦争に敗れ、労働者が勢力を拡大しストライキが勃発していた。前年には全ヨーロッパ的恐慌が起こっている。要するに内外ともに大変な波乱の時代であった。
それにもかかわらず、ヴィーンの街は発展し人口は増大しつつあった。そのため、墓地と住宅地が近接するようになり、伝染病など衛生的にも問題になっていた。キリスト教も、キリスト以来ずっと「土葬」だったのである。そこで町中の五つの墓地を廃止し、当時は郊外であった今の場所(中央墓地)に統合した。こうしてヨーロッパ最大級の大墓地が出現した。さてこれから、往年の名作映画「第三の男」の最後のシーンでも登場した並木をもつ中央墓地を中心に、ヴィーン市内の音楽に関係ある墓地を見てゆこう。
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