(禁煙教育、分煙、タバコと人権)
  こういう時代だから、君たちの学校でも、「禁煙教育」をやっている所がたくさんあると思う。その結果、「自分は絶対にタバコは吸わないぞ!」と思った人もいるだろう。かなり関心ができた君たちが、インターネットを使って、「禁煙」や「タバコの害」などを調べることができるサイトを紹介しよう。


(下線部クリック)

どうしてタバコはいけないの? (財)東京都健康推進財団本部事務局

子どもにタバコのけむりのない無煙環境を!(喫煙防止と教育のためのホームページ)

 小学生でもわかりやすくておもしろい!(公衆衛生ネットワーク)
小中学生教材1
(683KB)
小中学生教材2
(389KB)
ミミズの実験
(7KB)
 あんちすもーくさいと・きっず!!(子ども対象禁煙サイト)

 たばこのリスクQ&A (朝日新聞/アサヒドットコム)
(以下は参考までに)

1 関西医大健康科学センター
  (禁煙外来・大人のタバコを止めたくても止められない人対象)

2 禁煙教育をすすめる会
  (禁煙に熱心な先生方のホームページ)



 これだけみると、吸っている人もそうでない人も、「タバコのほんとうの怖ろしさ」が実感できたことと思う。ほんとうに「他人事」ではない感じだ。残念なことに、もし君のまわりにタバコを吸う人がいたとしたら、問題は深刻だ。家庭にタバコを吸う人がいない人はそれだけでじゅうぶん「幸せ」だが、家の中に一人でもいたら、これが問題だ。<吸っている人は自分の「意思、意志」で吸っているのだから、「個人の自由」だ。他人にとやかく言われることではない。>という意見もある。だがそれは本当だろうか?もしそれが、君の愛するお父さんや、お母さんだったらどうだろうか?他のタバコを吸わない人より、何倍もガンになりやすいとしたらどう思うだろうか?また万が一、だれかがガンで亡くなったとしたら、その家族は「生活に困る」かもしれない。そうしたら、やはり「喫煙は個人の自由」とは言えなくなる。君たちはやはり、「大切な人にタバコは吸わせたくない」と思うにちがいない。

(C )しばためぐみ・きょうと分煙生活舎より(2002/11転載許可済)

 またよくあるケースだが、前のページの下にあるグラフのように、タバコを吸う家では吸わない家よりも、3.4倍も幼児の「ぜんそく様気管支炎」が多いという。このことは、愛している自分の子どもを、病気にするのを「親が手伝っている」ということになる。これらのことから、タバコを吸う人もにも、はっきり「タバコはいけない」ことが、わかってくる。しかし、「世の中からタバコをなくするということが、いちばん大切なこと」であることは分かっても、まだタバコを吸いたい人たちがたくさんいるのも現実だ。「将来の死の恐怖」よりも、「イライラして仕事ができなくなる」方がマズイ−と考える人たちだ。

 その場合は、
「分煙」という手がある。文字通り、「吸う人と吸わない人を分ける」ことである。現在、日本の会社のなかには、全面禁煙、時間禁煙、喫煙室を作る、屋上などのオープンスペースだけOK、「空気清浄器」を置いたコーナーを作る・・などと、さまざまな対応をとっている。しかし、いずれにしても、いまのところ、「完全な対策」にはなっていない。場所、時間の制約、制限やいずれかの側にストレスが残るからだ。しかし、大切なことは、「吸いたくない人には、絶対煙を吸わせない」という基本原則だろう。しばらくの間の目標は、「分煙」という形の「共存」かもしれない。

                                           

 
もう一つ、ここまでに触(ふ)れていないことがある。それは他の「人権問題じんけんもんだい」にもつながっている。皆さんも知っているように、長い歴史のなかで、「少数者や体の弱い人間、社会的弱者(女性、子ども、老人、身体障害者、妊婦など)」は、つねに「圧迫、迫害、差別」、かんたんに言うと、「しいたげられ、いじめられてきた」。歴史の上では、いつも「強い者」が勝ってきた。中世以後の日本の歴史も、「男性中心の武士の歴史」であった。また、戦争の時代はとうぜんとして、明治以後の「民主政治」といわれた時期でも、「強い者=多数派」が世の中の中心であった。そういう考え方の世の中では、「弱い人たち」の立場に立って考えにくい。

 さて、前の方のページで、「ドイツの列車内の禁煙」の話が出たが、みなさんは覚えているだろうか?。くどいようだが、くり返そう。
<・・「ここでタバコを吸っていいですか?」とまわりの者に聞き、ひとりでも「ダメ」と言うと吸えない。・・いま考えると、「一人でも反対があると、タバコが吸えない。」というのは、「多数決」ではない。タバコの嫌いな、または気管や体の弱い人、妊婦など<社会的弱者>の立場に立っているのだ。日本人は、「多数決が民主主義」なんて思っているが、とんでもない話である。ここドイツで、「成熟した民主主義」を見ることができるのだ。本当の「民主主義」は数ではない。少数の弱い人たち(社会的弱者)でも「しあわせ」に暮らせることである人間は「弱肉強食」の動物とは違うはずである。「共存」できてこそ「にんげん」なのである。

 「
先進国」という言葉があるが、いったいどんな国だろうか?工業の発達した国?お金持ちの国?物があふれた国?世界で発言力がある国?どれも当たってはいるだろう。しかし私(筆者)が「先進国」と考える国は、「ものではなく、こころが豊かな国」だと考える。別の言い方でいうと、「社会の中の<全員>がしあわせに暮らせる国」であろう。タバコでも、暴力でも、他のこまった問題も、すべての根っこは同じである。目標は、煙くてセキが出てつらかったり、強い人の「暴力」で泣く人のいない世の中だと思える。そのためにはまず、皆が「人間らしいこころや思いやり、やさしさ、相手の立場で考える姿勢」をもつことであろう。