世界各地の トイレの話
Toilet stories from the world
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Latest update: Sept.02, 2018


オランダ・アムステルダムの街角に立つ「巨大な花入れ」?


英国ローマ遺跡のトイレ:古代ローマの「水洗便所」

まえがき
 世界を旅すると、「所変われば、品変わる」というくらいトイレも種々様々である。 少しだけ「ウンちく」を傾けてみたい。このページは、「トイレ・便所」にまつわる話がいっぱいで誠に恐縮だが、まさかこれを見ながら食事をしている人はいないと思うので、下ネタの話も笑ってお許しいただきたい。なおこれらは、すべて筆者の体験による話、または筆者が見聞した話である。

ご注意!
 文中に上品でない単語・表現が多々登場します この手の話がお好きでない方は読むのをご遠慮願います

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 韓国の便器のテントウムシ他
 チェコの背伸びする小便器
 台湾のロール紙も流せない「水洗」
 中国「旧満州」の棒の置いてある便所
 紙のないアルジェリアの便所
         (補追・トルコの便所・イタリアの便所)
 長野の旧家の便所「紙」
 ヨーロッパではお金がないと「ウ**」もできない
 カリフォルニア・バス駅のびっくりしたトイレ
 東北・湯治場の本当の水洗トイレ
 グアムの丸見え公衆トイレ
 オーストラリアのオートキャンプ場のトイレ
 タイの「厠・かわや」
 日本のキャンプ場トイレのコワイ「おつり」
 インドの便所とクソブタの話
 日本の中学校トイレの「超大物」
 日本のトイレは「自由主義」
 ルクセンブルグ中央駅の有料トイレ
 アムステルダムの「むき出し簡易型移動式」トイレ
 水洗トイレの元祖・ローマのトイレ
 「ハムレット」の城・いったいどんな恰好で?
 (付録)蝋燭が屁で消えた?話!
 ま・と・め


壁紙写真はポーランド・オシフィエンチムにある「アウシュヴィッツ強制収容所」の「囚人用トイレ」



1韓国の男子用小便器
のテントウムシ

 上の写真はソウルの空港トイレの男子小便器である。どの便器の底の部分にも、テントウムシのステッカーが貼られている。「テントウムシ、てんとうむし、♪テントウムシむしカタツムリ♪・・・・」と鼻歌交じりで考えたが、さっぱり意味が分からない。「韓国では、テントウムシがトイレや便に関係あるのだろうか・・?」

 中央アジアやアフリカには、「馬糞コロガシ」なる虫がいるが、テントウムシはいったいどんなことをするんだろうか?・・用を足しながら考えたが、やはり分からなかった。その結果、貼ってある位置が同じことから、「ここに向かって撃て!」ということらしいと、想像した。「入射角と反射角」の関係かも知れない・・。でも本当は何なの?

ベルギーの男子用小便器のハエ 2006・10・12追記)
便器のハエの絵
 写真はベルギーの自動車道・サービスエリアのトイレ内のものである。最初は、「あれっ、ハエが・・・!」と思ったが、よく見ると便器にプリントしてある。やはり、「そこに向かって<発射>すると撥ねませんよ」ということ
関西空港の男子小便器の的と矢 2008・5・27追記)

 関西空港のトイレに入ったら、なんと的に矢が当たったデザインがあった まさに、日本的である うまく命中すると「当たり!」という声が聞こえるかと思ったが・・・
ニュージーランド・オークランド空港の「飛行機に向かって撃て!」(2008・8・30追記)

海外でやっと出会った「空港トイレ」らしい的である この手が意外と少ないのだ

壁紙写真はポーランド・オシフィエンチムにある「アウシュヴィッツ強制収容所」の「囚人用トイレ」





2 チェコの背伸びする小便器(日本人にはつらい便器)

 「背伸びする」といっても、便器が伸びたり縮んだりはしない。「小男短足」の筆者は、海外旅行のたびに、日本国内ではあまり困ったことがない問題に悩まされる。アジアはまあいいのだが、ヨーロッパやカナダ・アメリカではいつも困っている。小便器の高さのことである。

 男子用小便器は、ふつう国内では、位置が少々高くても低くてもあまり困ることはない。それは「的」の高さに幅があって、手作業によって「照準」を合わせられるからである。ところが、白人の国、なおかつ「北」の国では、困ったことに、器が壁の大変高い位置に備え付けられている。

 背の低い人が多い南欧と較べて、「北」=カナダ、オランダ、ドイツ、イギリス、スイスなどはおおむね高い。そして更に高いのがチェコである。隣のドイツ、ポーランドよりいっそう高い。そういえば、チェコに入国してからはチェコ人の背の高さに驚いた。そしておしなべて足も長い。

 ここの小便器は、筆者が手をまったく使わなくても、ハスの縁に載せたままで「用が足せる」高さである。まわりを見ても、低い便器はひとつもない。みな同じ高さである。だからといって、手放しでハスの縁に「置いたまま」したくはない。私にもいささかのプライドがある。いきおい「つま先立ち」状態になる。バレリーナの姿である。だから私の放物線は小刻みに震えながら、少し上方に向かって弧を描く。

 こうして「一仕事」終えた時には、足先がどっと疲れてしまうのだ。それにしても、この国の子どもや小男たちは、いったいどうしているのだろうか?いまもって謎のままである。





3 台湾のロール紙も流せない「水洗」(郷に入りては郷に従え)

 私たちは旅行するたびに、当然ながらいろんな国でトイレを経験する。たいていの国では、「使った紙」はそのまま水に流していた。それが普通のことで、なんの不都合もなかった。

 ところが日本と生活文化が大変似ている台湾で、ちょった困ったことがあった。この国では、基本的に「使った紙」は便器ではなく、置いてあるバケツか大きな空き缶に入れることになっていると、観光書で読んだことはあったが、「まさか」と思っていた。

 現地に行ってみると、確かにバケツに紙が入っていたが、あまり気に留めずにそのまま便器内に流していた。ところがある日、とうとう「事件」が起こってしまったのだ。その時の様子を、わたしの「台湾一周・鉄道の旅」から抜粋する。
                           
 
 ・・・さて翌朝、私たちは出発の準備に大童だった。いざ部屋を出る段になって、妻が「トイレが流れない!」と慌ててでてきた。トイレを覗くと、「もと妻の所有物」は満水の陶器中でくるくると踊っていた。そこでやっと訳が分かった。ふき取った紙は便器の中にではなく、そばのゴミカンの中に入れるのだった。台北以外のどのホテルにもあったけれど、それが嫌でそうしていなかったのだ。しかし、直前にわたしが紙を流したこともあり、とうとう詰まってしまった。大変だ、バスの時間もない!あわてて下に降りて、カウンターにいた奥さんに「便器が詰まった!」と伝えたが、またまた意味が通じない。仕方がないので、わたしは便器に座る格好や便が流れない様子を、ジェスチャーでやって見せた。やっと意味が通じたので、「すみませーん!」と言って、逃げるようにバスセンターに走った。あとでその時の自分の格好を思うと、笑いがこみ上げてきた。しかし妻の方は、「迷惑かけた」と真剣に悩んでいた。いや、じつにウンが悪かった!。

 いま考えても、あのホテルには大変迷惑をかけたと思う。それにしても、台湾のあの「使用済み」の紙は、他の不燃ゴミと一緒に、処理場で焼かれることになる訳であろうか。きっと、香ばしい臭いなのだろう。これは下水処理場で「多すぎる紙の処理に手こずっている現状」からいうと、台湾の方が日本より進んでいるのかも知れない。もう「ヤケクソ」どころの話ではなくなるのだ。




4 中国「旧満州」の便所棒のこと(古い懐かしい話)

 この話は、直接筆者には関係がない、筆者の生まれていない時代の話である。中高年の方なら、ひょっとして知っておられるかも知れない。

 さて、筆者は戦後すぐの生まれ、第一次「ベイビー・ブーマー」のメンバーである。筆者の小・中学校時代は、教師の中にも多くの「兵隊帰り」がいた。小学校で子どもたちから、いちばん恐れられていた生徒指導の教師は、号令も軍隊式で気合いが入っていた。その教師は常々、「わしは怖いものはなんにもない。」と言っていた。戦地で一度死にかけて生き残り、それ以後何も怖くなくなったらしい。

 そういう教師たちの中に、戦争の話で授業が「脱線」したりする社会科の教師がいた。その先生は喋りが多くて授業が進まず、いつも進度が遅れていた。それでも生徒はけっこう喜んで聞いていた。そういう話の中に「満州」の話があった。

「満州はものすごう寒いところでな。−30〜−40℃にもなる。タオルは外でパンと干したとたんにパリッと固まる。だから乾かない。なんでも凍るんじゃ。たとえば、ウンコでも凍るんじゃ。」

 「オー」、ここで生徒たちは感心したような声を出す。その当時、昭和20、30年頃は、今より寒く、町中でも雪が積もっていた時代であった。しかし子どもたちは「氷」や霜柱は見たことがあっても、「ウンコの氷」は見たことがなかった。まずそこで感動する。

 「満州の便所も日本のようなくみ取り式でな、穴が開いとんじゃ。ところがあんまり寒いんで、した直後の湯気がたっとるような物でも、すぐに固まってしまう。した後すぐ固まるから、だんだんそれが盛り上がってきて、塔になってゆくんじゃ。そのうちクソ穴からも塔の先が出てくる。そうなると、次の人は用が足せない。どうするか?そのために壁に棒が立てかけてあるんじゃ。する前にはかならず棒で突いて、ウンコを崩すのが日課じゃ。あまり勢いよくやると、茶色の破片が飛び散るから気をつけないといけない。・・」
 
 
教師の話は微に入り細に入り続いた。彼は生徒の反応を見て、更に勢いづく。

 「外は寒いから、めったなことでは外で小便をしてはならん。長く先を出すと、凍傷で先が腐ってしまう。そうなるともう切り落とすしかない。」
 
 ここで、男子達がニヤッとする。「先がない姿」を想像したのだろう。しかし、その後の教師の話は、いささか「まゆつば」であった。

 「あまりに寒い日は、出たばかりの液体がすぐ凍って、地面までアーチができる。そうなると、手でポキッと折るしかないな。・・」

 世界には本当に寒いところがある-ということは、この話でよく分かったのだが、筆者はその教師の授業は、これだけしか覚えていないのである。大人になって、いろいろな方と話をすると、よその県出身の方も、「そういえば似た話を聞いたことがある。」という方が何人もいた。あれは全国の社会科教師の「授業ネタ」だったのだろうか?ずっと後になって、私もそのネタを使ってしまったが・・・。





5 紙のない!アルジェリアの便所(アラビア式トイレのヒミツ)

 これは、「アルジェリアにはトイレット・ロールがない」という話ではない。以前、「世界中で、紙を使って<事後の処理>をする人口は、世界総人口の半分に満たない。」というすごい統計を見たことがある。私はその「半分以下」という事実より、それを丁寧に調査した人に敬意を払ってしまうのだ。大変忍耐強い人だ。いちいちその現場を覗いたのだろうか?しかしこれでは「学者」というより、ただの「のぞき魔」になってしまう。

 少し脱線してしまったが、私が住んでいたアルジェリアでは、外国人の住宅トイレはまったく「西洋式」であった。ただ現地の人が使っている便所は、ある意味で日本の旧式便所に似ていた。しゃがんでするのは同じだが、後ろ半分に直径10cmくらいの円形の小さな穴があった。それに向かって真っ直ぐ個体を落とす(らしい)。それに加えて「キンカクシ」がないのが通例だった。まあ風通しはよい。

 そこまではたいしたことではないが、なんとロール紙を置くペーパー・ホールダーがない。紙もない。だいたい紙は使わないのだ。代わりに、空き缶がかならず置いてある。水道の蛇口が壁についているのもあった。私の勤め先の現地使用人を見ていたら、外で缶に水を入れ、手に持って中に入っている。出る時は缶は空なので、まさかその最中に喉が渇き、水を飲んでいる訳ではないだろうから、あれは「水洗用」と判断した。

 だからといって、「見せてくれ」とか「実演頼む」とは言えないので、どういう使い方かと想像してみた。たぶん手に水をつけて、局部を流すのだろうと思われた。では、どちらの手で洗うのだろうか?赴任したばかりの頃、先任が「握手は右手で・・。」とか言っていたから。たぶん左手だろう。

 そういえば、前に「印度では左手が不浄の手で、右手でカレーをつかんで食べる」というのを読んだことがあった。しかし赴任当初、私は彼らと何度も左手で握手をしていた時期があった。後から考えると、冷や汗がどっと出る。それにしても、濡れた局部は一体どうやって乾かすのだろうか? 

 むかしは紙は高級品で、中近東、アフリカでは入手も困難であっただろう。それに水で洗うのは清潔かも知れない。現代の「お尻を洗う便器」の先駆者であろうか。それでも水もない南のサハラでは、「野**」の後は、まわりの砂で「拭く」と聞いたことがある。これならどこでも無限にあるし、痛そうではあるが色合いも同じである。

            →関連ページ「サハラ・オアシスの商人宿のトイレ

            

 (以下補追) やはり紙のないトルコの便所

                   

                              アラビア式トイレ
(トルコ国内で撮影) 
 
 この写真はトルコ国内で撮ったものだ。この手の便所はアラブ共通の様だ。この国ではほとんどのトイレが有料。料金は250000〜500000トルコリラ。ウ○○するにもお金がいるのだ。お金のない人は野原でするしかない。写真を見ていただくと分かるが、何か日本の旧式便所と似ている。座る方向はこちら向き。急にドアが開くと恥ずかしいのだ。但し穴は小さく後ろの真下部分のみ。だからネライを定めないと引っかかる。これでも日本の中老年には全く抵抗はない。

 問題はここからだ。ロール(紙)が全くない。ではどうするのか?右にある水栓をひねってブルーのプラスティックに注ぎ、それを右手に持って左手で「清める」のだ。これがホントの「水洗便所」。更に水仙の花でも飾ってあると最高!。済んだ紙はどうするか?そばに「ゴミかご」がある場合はそこに入れる。これは台湾と同じだ。いずれにしても左手は「不浄の手」、間違っても握手はされない方が・・・。

                                   (2004/8)

               
                    さらに「進化」したアラビア式

 この二枚目の写真を見ていただきたい。上に書いた物よりさらに「進化」したトイレをついに発見した。旅も終わりになってからだ。何とトイレットペーパーと水洗式水タンクと「拭いた紙用ゴミ箱」まで完備している。それに伝統的な処理法の水ポットまでが左下に見える。うれしいことにポットは素焼きだから、こういう乾燥した国では気化熱の作用もあって、水そのものが冷たいであろう。ヒヤッとして気持ちがいいかも知れない。何という素晴らしいトイレであろうか。どちらの方式でも選べる所が、押しつけがましくなくて良い。

 私なら「
最高殊勲トイレ」の称号を与えたい。こんな素晴らしい代物だが、たったひとつ欠点がある。それは足載せ台の幅がやや狭いことだ。しかも陶器だから、水に濡れている場合や「つっかけ」の場合は足が内部に滑ってしまいそうだ。これがあの直後なら悲惨なことになる。
                                    (2004/8)

               
                            イタリア・ナポリでみつけだ「アラビア式」


 これは2009年、イタリアのナポリ近郊で見つけた「アラビア式」トイレである。私は驚いたが、嬉しくもあった。まさに「アラブ文化」そのものである。なぜ類似した「日本式」ではないのか?理由は二つある。まず「ロールペーパー」がないのである。水洗になってはいるが、ロール・ホルダーを付けた痕跡さえないのだ。更に穴が小さいことだ。「日本式」では通常こういうタイプは見られない。

 以前に「ナポリ(またはローマ)から南は「アラブ」である」という記述を読んだことがある。特に「北イタリア人が南を見下して」言うセリフらしい 確かにナポリなどにはアラブ系が多いのも事実である。長い歴史の中でもここら辺りに「アラブ」が顔を出したことがあった。

 それにしても陶器製というのを含めても、上方写真のトルコ製と同じだ。(「キンカクシ」の小型が付いているのでこちらが「進化形」) しかも前向き! 最中にドアは開いて欲しくない。これの場所も「アラブ系の家」ではない。れっきとした町中のレストラン(公衆の場所)である。トイレだけ見ても、「南イタリアは<アラブ系文化>」ということができよう。

 ただ不思議なことがひとつある。アラブ諸国で通常見られる「事後処理用水栓または空き缶」が見あたらないのだ。まさか事後拭かないとは考えにくいが・・・・。
                                          (2009/12)

 2010年、レバノン・シリア・ヨルダンの中東三ヵ国に世界遺産七つを見に行った。その際エミレーツ航空をアラブ首長国連邦ドバイで乗り換えた。写真はそのドバイ空港のアラブ圏としては「チョー進んだトイレ」である

 今まで説明したような日本旧式トイレ様のしゃがみ式ではない 全く西洋風で、ちゃんと巻紙やハンドソープも壁に付けてある ではこれが何故「アラビア式」トイレなのか? それは「事後局部を水で洗う」という基本要素が残っているからである。 写真中央にシャワーのノズルみたいな物が見える

 だから外国人以外のアラブ系は事後に、ノズルを手に持ち水栓をひねって水を局所に向けて洗い流すのである。これは最大に進化系アラビア式であろう。つまり
外国人もアラブ系も躊躇なく思い切り***できる「異文化共存協調型」なのだ。

 さらに最近日本でも主流になりつつある「局部を水で洗う」という最も清潔な方式に酷似している。こちらの方が進んでいることは、ターゲットに正確にピンポイントで照準を合わせられることだ。痔のある方ならこちらが良いと言うことは自明の理である。

 ここからは想像だが、ノズル形状からみてシャワーパターン調節レバーがあるかもしれない。例えば、拡散・直射・強弱按摩型などだ。こうなると好みに合わせて変えられる。最後のだったらマッサージ気分で気持ちよすぎて、しばらくは個室からは出られないだろう。

 もう一つのメリットはこの場所で頭も洗えそうなことだ。幸いソープもある。***した後に、ついでに頭もキレイししてしまう-のだ。体の上下とも清潔になる・・なんと素晴らしいことだ!。

 しかし問題も残る。このシャワーヘッドは不特定多数が「不浄の手」で触りまくっている。そうなるといろいろなことが想像できる・・・・・。此処はそういう想像が尽きない楽しいトイレなのである。
                                      (2010/09)
 




6 長野の旧家の便所「紙」(いろんなもので尻が拭けるのだ)

 筆者は海外だけでなく、国内の旅も好きである。ドライヴで信濃路、木曽路、飛騨路や会津路などに行くと、古い宿場町の町並みが残っていたりする。そういう辺では、古い民家を修復・移築した「江戸村・明治村」のような重要文化財風の建物がある。

 ずっと前に行った信州のある保存民家では、大きな藁葺き屋根の母屋があり、実際に蚕を飼って実演をしていた。その母屋から少し離れて「厠かわや」があった。むかしの家では大体トイレは、大きな庭の反対側にあったりする。そして時として、家畜小屋に隣り合わせていたりする。

 好奇心がある筆者は、こういうところは大好きだ。覗くと流石むかしの「大庄屋」、立派な造りである。「総檜そうひのき」とは言わないが、ちゃんと床も板を張って、壁も土壁である。便器も木製である。その便器の前に箱があった。その中に「木のヘラ」様の物が、十数本入っていた。これが「紙代わり」であった。

 手にとってよく見ると、100円のアイスキャンデーのスティックに似て、角を削って少し丸みをつけていた。これを局部に当て、シゴクのだろう。また洗っても使えないことはないが、この棒はたぶん「使い切り」だろう。何となく納得して見ていた。

 しかし、また別の保存民家で、「これ」を見た時は流石に唸った。本で読んだことはあったが、「まさか!」と思っていた代物だった。その家の便所の箱に、「杉の葉」が入っていたのだ。杉の葉を知らない人はいないだろう。細く尖った葉で、持つとチクチク痛い-あれである。これでお尻を拭くとどうなるのだろうか?流石にやってみることはできなかったが、本の話には信憑性があったのだ。それにしても、一方向に滑らせている内はいいが、すこしでも逆方向に行くと、さぞ痛いだろう-と思われた。

 そうなると、本に書いてあることでもう一つ確かめたいことがある。それは「二本の木の間に荒縄を張り、それにまたがって歩くと、お尻が拭ける」という物だ。これは大変痛そうだ。しかし残念ながら、現在まで実物を目にしたことはない。ご存知の方は、お教えいただきたい。それにしても、人類はいろんな物で尻を拭くものだ。感心してしまう。

 





7 ヨーロッパではお金がないと★★★もできない!(基本的人権の侵害)

 日本国内で「用を足す」のに、ふつうお金は要らない。出先で催してくれば、デパートやスーパー、またはレストラン、喫茶店、ファーストフッド店などに駆け込めばよい。そこでは金を取られることもない。しかも、たいていは水洗で紙もあって掃除が行き届き、むかしのように下を見れば「固形物」が見える-なんてことは、「田舎の公園のくみ取り式公衆トイレ」以外では見られない。そういう意味では、日本はすばらしい国である。☆☆☆や★★★が、したい時にいくらでもできるのだ。まさに「自由の国」だ。

 しかし海外旅行をすると、コインがなければトイレにも行けないことがよくある。とくにドイツ辺の国では、トイレの入り口にオバサンが立っていて、または座っていて、その前にコインを入れる小皿がおいてある。値段が決まっていることもあるし、お布施みたいに自由に入れられることもある。

 黙って通り過ぎようとしたら、「*****!!」と怒鳴られたりする。たまたま小銭がない時は我慢をするか、またはオバサンが隣の女子用トイレの掃除に入った時を見計らって、男子用に駆け込んで慌ててすることになる。他の人からも、「小銭がなくて、海外のトイレで困った」という話はよく聞く。

 この春、ポーランドの田舎で雪の残るショパンの生家に行った。その日は寒い北風の吹く日で、客と言えば私だけの寒々とした日であった。受付のオバサンに「トイレット」と言ったら、「ここにはない。あの向こう。」と広い敷地の対角線を指し示した。

 公園になっているその場所は、木々が林になっている。雪が溶けてぬかるみ状態になった黒土を注意深く歩いて、公園の端にある一軒家風のトイレに行った。入ろうとすると、オバサンが立っていて、手を差し出す。これには驚いた。オバサンは「一日に一人来るか二人来るかのさびしい場所」に、朝から一人でじっと居たのだ。日本では考えられないことだった。

 この後、ポーランド、チェコのどこに行っても、どこの駅、レストラン、デパート、ファーストフッドなどに行っても、かならず「トイレ・オバサン」はいた。コインも常備しておかなければならなず、最初はそれが煩わしかった。しかし途中から、少しずつ考え方が変わった。利点もあるのだ。

1 いつもトイレに人間がいるので、安心で治安が良い。
2 いつもトイレに人間がいるので、日本やアメリカのような落書きがない
3 いつもオバサンが掃除をしているので、内部がきれいである。
4 ひとつのトイレに一人が担当なので、オバサンは責任感をもって仕事をしている。
5 トイレのお金が、オバサンの生活を保障している。

ただ不便なことは、以下の点であろう。
1 夜遅くなると閉まってしまうので、トイレが使えない。
  (仕方なく外でするが・・)
2 お金がないとトイレが使えないので、人権問題になる。
  (貧乏な人は☆☆☆する権利もないのか?!)
3 紙はお金を出して買わなければならない。
  (紙が買えない人は一体どうするのだろう?)

 以上のことを考えると、上記の問題が残るが、全体的には必ずしも「不要」とも言い切れない。メリットもあるので、「ところ変われば品変わる」と考えるしかないのだろう。

 





8 カリフォルニア・バスディーポ(駅)のびっくりした!トイレ(トイレは怖いぞ!)

 あれはもう23年くらい前だろうか。妻と鉄道とバスで「アメリカ横断」をしていた時の話である。飛行機は当時一番安かった大韓航空機で、大阪国際(伊丹)空港からソウル金浦空港経由で、長時間かかってロスアンジェルス(LA)に着いた。夜のLAから全米ネットの長距離バス、「グレイハウンド」を使って、早朝にサンフランシスコ(SFO)のバス・ディーポ(バスの駅)に到着した。

 実は、妻はそれより10年ほど前に、大学生の時、このバスを使って大陸横断をすませていた。しかしその時、私自身はアメリカは初めてで、交通機関などの使い方もよく分かっていなかった。だいたいLAからSFOまでは夜通し6〜7時間走りっぱなしである。途中に数回のトイレストップがあり、軽い食事も取れる。しかしまったく熟睡はできない。SFOに着いたとき、私は頭に霞がかかっていた。

 そして、もう一つ理由があった。それはバスの中に原因があった。もともと徹夜の長距離バスを利用する人たちは、お金がない人たちだと言われる。金のある人たちは飛行機に乗る。時間のある人たちは、「アムトラック」列車に乗る。妻は「私が乗った時は、いちばん安全な運転手の真後ろに座っていた。いちばん後ろのトイレの辺は危ないらしい。」と言う。「バス経験の先輩」にそういわれると、後ろのトイレは行きたくない。それに寝ていたら、物がなくなるかも知れない。疲れているのに、神経は妙に張っていた。

 私の「頭の霞」はこういう理由だった。だから「バス・ディーポ」に着くと、「朝のお勤め」に急いでトイレを探した。トイレ内はいろんな人がいて、なかには「胡散うさん」臭い人もいたし、目つきの悪い人もいた。しかしここで出る訳には行かない。ところが、「個室」に入ろうとして驚いた。ドアが閉まっていて、コインを入れなければ入れないのだ。幸い何とかコインはあった。中から鍵もかかったので、まずは一安心。しかし、日本よりドアの下の隙間が大きい。覗こうと思ったら覗けるだろう。下から手が出てきそうで、何となく落ち着かなかった。

 それでもなんとか「仕事」がすんで、カチャッと鍵を外した時だった。外から黒い手が入ってきて、ドアがいきなり開いた。「わっ!」と思っていると、一人の黒人が入ってこようとしていた。私は焦った。「襲われた!」と思った。私は慌てて飛び出したが、彼はひと言も発しないで個室に入って、中から鍵をかけた。何のことはない。要するに、彼はタダでウ*コをしようとしたのだった。それにしても、もっと平和的にひとこと言って欲しかった。あとで膝が震えた。

 




9 東北・湯治場の本当の「水洗」トイレ(気持ちの良いトイレとは?)

 東北地方には実に多くの温泉がある。とくに奥羽山脈の山中には、西日本の人が聞いたこともないようなマイナーな湯治場が並んでいたりする。私たちは車で北海道に行く途中に、深い山中で夕方になってしまった。もちろん宿の予約などない。山道は行けども行けども、建物ひとつなかった。しかも辺りが見えなくなるほど暗くなっていた。やっと向こうに、明かり一つが見えた。

 急いで国道から離れ、熊笹の茂る細い道に入ると、温泉宿泊施設のものらしい事務所があった。「部屋はありますか?」と訊ねると、「泊まれるが、部屋はない」との返事であった。「ン?!」そこはいわゆる「温泉旅館」ではなく、「医療法人**会」が運営している「温泉療養施設」であった。簡単に言うと、親病院の患者のリハビリに使っているのである。

 「夕食がまだなんですが・・。」というと、「ここに食堂はありません。ここの客はすべて持ち込みで自炊です。この棚にあるインスタント麺や缶詰を買って食べてください。」といわれた。つぎに「泊まる場所」を見せてもらった。一般旅館の小広間くらいのスペースに、低い屋根が架かっている。ドアを開けた途端、むっとした熱気が体を包んだ。地面の砂からはなんと、うっすらと湯気が出ていた。その上に浮かせて床があった。たった一人いた長逗留のおじいさんは、「どこでも好きなところで寝たらいいよ」と言った。

 私たちは車に積んであったガスバーナーで湯を沸かし、カップ・ヌードルを啜った。なにか「山の中のキャンプ気分」だった。妻はここが気に入ったらしく、珍しくはしゃいでいる。外に出ると、小川が流れていいムードを出していた。その横にトイレがあった。こうして私たちはすばらしい自然に包まれて、温泉の熱に助けられ眠りについた。

 朝早くから鳥たちが姦しい。自然のなかでは目覚めも早い。朝の「おつとめ」にトイレに行った。驚いたことに、昨夜は暗くて分からなかったが、何とトイレが小さな小川の真上にあったのだ。川の上に丸太を渡し、その上に小屋を建てて、3つに個室にしている。私は下側の部屋に入って、真下を流れる清流に向かって、ザアザアという音を聞きながら、固形物を落下させていた。物体は岩に当たりながら、ずり落ち流れていった。実に爽快である。

 そうしたら、上流側の部屋に入っている人の物が、ドンブラコッコと流れてきた。そして私の物と合流した。「旅は道づれ」であろう。下から吹き上げてくる沢の風が、爽やかにお尻を撫でる。ウーン、イイ!自然のなかで、物体が自然に還っている感じがするのだ。こういうのが本当の「水洗トイレ」なのだ!。こういう生活をしていたら、ストレスは溜まらない。ここが大変気に入った私たちは、「またあそこに行こうね」と話しあっている。





10 グアムの丸見え公衆トイレ(「羞恥心」も民族で様々)

 アメリカ領のグアム島は小さな島である。私たちはディスカウントのコンティネンタル・エアーの券を買ったので、目的地のオーストラリアに行くのも帰るのも、グアム空港での乗り継ぎが必要だった。行きはまあよかったが、帰りはグアム着が明け方の4時だったかで、大阪行きは午後の便だった。

 このままじっと空港のベンチに居るわけにいかず、といって歩き回るには空港はあまりに小さすぎ、また店舗もほとんど閉まっていた。朝の5時前に開いていたのは、レンタ・カーのカウンターだけだった。そこで「島を一周でもするか」と軽い気持ちで、ミドルサイズのアメ車を借りた。スキー道具一式をカウンターに預けて、大きなバッグを車に載せて出発した。こういう時でないと、「こんな車」に乗るチャンスはないからである。だいたい筆者はアメ車など、「重い、大きい、燃費が悪い、コーナリングが悪い、ふわふわした乗り心地・・」と、むかしからバカにしていたのである。

 まだ薄暗い空港を出て、もらった地図を見ながら国道に出た。地図といっても簡単な物であったが、狭い島なので余程でないと迷うことはない。ただ、右側通行と左ハンドル、大きなボディーに違和感があり、慣れるためにしばらくはノロノロ走った。やがて車に慣れてくる頃には、まわりは明るくなった。確かに交通量は少なかったが、島を取り囲む環状道路は狭い道路で、「ここもアメリカ」とは思えないくらいだった。面白いのは、空軍基地の中を国道が通っていたりすることだった。

 島を半分くらい回った頃、自然が「朝のお勤め」の信号を送って来だした。しばらく走っていると、小さな公園があって公衆トイレがあった。喜んでその前に車を停めて、入ってみて驚いた。男子用トイレの「大」セクションの壁がないのである。いたずらで壊れているのではなく、はじめから壁がないのである。大便器が三つ、横一列に並んでいる。

 これは困った!今までこういう経験がないのである。もし「あの最中」に他人が入ってきたら恥ずかしい。特にモノがぶら下がっている時だったら、嫌だ。そして目があったらどういうのだろうか?「ハイ!」とか「ハワユー?」とか挨拶するのだろうか?見た人は「グレイト!」とか言うのだろうか?

 幸い早朝なので誰もいなかったが、妻に外に立って「監視」するように言った。「もし来たらどうするの?」「来た!と叫んでくれ」これも後で考えると、おかしい。それが分かっても、どうにもならない時もあるのだ。まあ、「心の準備」くらいにはなるのであるが・・。

 以前読んだ本にこういうのがあった。アメリカの大学に留学経験のある人が書いた物だった。「・・・大学の便所には衝立がなかった。十以上ならぶ大便器の端までが見渡せた。全部が埋まった時は、それは壮観だった。ズボンを一斉におろした裸の尻がずらりと並ぶ。時には大学教官も学生とならんで、その姿のまま議論をしていることもあった。・・・・」

 「すごい!」とその時は思った。本当の「裸のつきあい」だ。もっと言うと、「ホントのしりあい」だ。小さいことに拘らない「開放的な気質」が見て取れた。開放的といえば、私が初めてカナダのスキー場に行ったとき、個室のドアの下四分の一がないのには驚いた。外からは、くつとズボンの下半分が見えている。外からちょいと屈めば、「そのポイント」も見えそうだった。この「開放感」は日本では味わえない物であったが、私には落ち着かなかった。

 私個人は「ナイーヴ」なので、他人に尻や自分の「物体」を見せるのは嫌であった。ましてカナダどころではない「丸出し」なんぞオゾマシイ限りである。外を車が通るたびにビクッとして、「まだ大丈夫か?」と叫んでいだ。おかげででるものが「お出まし」にならず、いつもの倍の時間がかかってしまった。しかしこの一件で、精神的に大変「もろい自分」を再発見したのであった。私には「クソ度胸」がないのである。





11 オーストラリアのオートキャンプ場のトイレ(カエルさんといっしょ)

 このHP内にある「オーストラリア一周・キャンピング・カーの旅」の時の話である。私たちが出発前に、レンタル会社の係りに言われていたことは、「絶対に国道脇や国道から離れた脇道や空き地でキャンプしてはいけない。途中でヒッチハイクなどを乗せてもいけない。人が立っていても、絶対に停めないように。」という厳しいものであった。

 普通なら、ヒッチハイクには停めて乗せてあげたい。当時はちょうど私たちの予定コースの町で、「中年男のヒゲの殺人犯」がキャンピング・カーを襲って何人か殺していたのだった。そして「指名手配中」だった。他の人にも嫌なことを告げられていた。「犯人はその町にはもう居ないだろう。車で移動するから、百キロ以上離れたところでも安心はできない。」

 こうして私たちは、キャンピングカーの旅のワクワクする気持ちと、「襲われるかもしれない」という不安が入り交じった複雑な気持ちで出発した。こうなると、「絶対安全」とはいえなくても、「オート・キャンプ場」に泊まるしかない。しかし、そのキャンプ場は塀に囲まれ鍵がかかるものから、国道脇のガソリンスタンド裏にある空き地様のものまで、ピンキリであった。

 そのキリの場所では、明るい内はともかく、夜中になると「トイレ通い」に細心の注意が要った。もっと上のクラスのキャンピング・カーなら、車内にトイレがついているが、私たちの車にはそんな上等なものはなかった。大自然のまっただ中の環境だから、夜中は真っ暗で、見上げると「プラネタリウムそのままの星空」が広がっている。南十字星も見える。何かの物音は、夜行性のカンガルーや他の動物が徘徊している音だろう。その度にふっと、「殺人犯」のことが脳裏をよぎる。

 他のキャンプの人を起こさないように、抜き足差し足で歩いてゆく。トイレの場所には裸電球があり、ありとあらゆる虫が集まって来ていた。足の長い蜘蛛やものすごく大きな蛾が、あちこちでうごめいている。ドアの軋む音にさえ肝が冷えた。妻が行く時にはたたき起こされて、「付き添い」として棒を持ってついて行った。下の囲み内は、その時の文の抜粋である。それでも、「自然」が大好きな方には、オーストラリアを強くお薦めする。
        

・・・・朝からきれいな青空だが、なんだか寒い。外がうるさいと思ったら、ガチョウと孔雀が餌を求めて、キャンプ場内を歩き回っている。孔雀は野生のようだが、蛇を退治するらしい。隣の車のおじさんが餌をやると、ガアガア鳴きながら集まる。昨晩は暗くて気がつかなかったが、裏は完全な荒野の大平原であった。

 妻が「便器の中に大きなガマガエルがいた!」と興奮している。そういえば、あたりにカエルやら虫やらがいくらでもはい回っている。水をいくらかけても、ビクともしなかったらしい。まさに便所だけに、「蛙の面に小便」といったところか。自然のど真ん中という感じで、キャンプの雰囲気は十分だ。・・・・

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12 タイの「かわや」(もともとトイレは川にしていたのだよ)

 タイは仏教のさかんな国で、町のどこからでも仏塔(パゴダ)が見える。金色や極彩色のその外観は、中国、日本のそれとはおおいに異なる。これはまさに、「小乗仏教」の世界である。そのパゴダと同様に、バンコク、アユタヤなどの町で、景観の中心を占めているのが川である。人家、商家も川や運河沿いにあり、大小の船が、最も重要な交通手段の一つとなっている。バンコクでも橋の数と同じくらい、渡し船が行き来しているし、水上のバスのように、上流と下流をつないでいるものもある。

 そういう船に乗ってみると、此処の人々の生活がさらによく分かる。川沿いの家はたいがいは川に張り出している。当然「家の足」は水の中である。洗濯物が干してあったり、家族がテラスで、テーブルを囲んで食事をしていたりする。野菜果物を積んだ農家の小舟は、家の前に横付けして「出張販売」をしている。オバサンたちの顔は黒いが、屈託がなく明るい。

 そういう場所に、とくに川に張り出した場所がある。船から見ると、足場が高く家からつながっているのが分かる。そのいっとう先には、低いしきりでまわりを囲んだ半畳くらいのスペースがある。その中央には穴があるように見える。そこへ人がやってきて、サッとしゃがんだ。それでも顔が見えている。やがて、何やら固形物がボトボトと川に落ちていた。しばらくして、その人は何事もなかったように平然と家に入っていった。これが「水上トイレ」なのであった。ある意味では、「水洗トイレ」でもある。水面下には、きっと魚が群がっていたことだろう。

 こういう型式のものは、古代の日本を含めて各国にあるらしい。これがホントの「川屋」「厠」である。ヴェトナムでは、家裏の池の上にこれを作り、池の中には魚を飼って、固形物を「餌」として「与えて」いるらしい。そしてその魚を市場に売りにゆくというのだ。これの地上版が、中国の「豚小屋」だ。人の住む二階の下には、ブタを飼うスペースがある。ここでも餌代はタダである。もともと「豚」という字も、家の中に動物がいるという意味の字なのだ。日本の古代条里制では、家の外をを流れる水路上にトイレを設けていたらしい。水路の特定の場所からは、大量の寄生虫の痕跡が見つかるという。

 筆者も好奇心が強く、「何でも話のネタに一回は経験してみたい人間」だが、このタイの「水上トイレ」は今後とも遠慮したい。それにしても、通りかかった船から多くの視線が集まっていたあの「用足し人」は、最初から最後まで強い視線をまったく気にせず、周りに一瞥さえせず「行動」していた。あの図太い神経には、「ウーン」となぜか尊敬をしてしまう。





13 日本のキャンプ場トイレのコワイ「おつり」(欲しいおつりと欲しくないおつり)

 あれは四十年ほど前、私が高校の時だった。友人と瀬戸内海の島にキャンプに行った時の話だ。しかし、当時は今のように「アウトドア」という名前もなく、「キャンピング・グッズ」というシャレタ名前もなかった。家にあった古い帆布製の重いテントと鍋、アルミ製の皿セットそれに食料を担いで、海水浴場行きの小さな船に乗った。

 平日でもあり、「夏休み」といってもまだ始まったばかりで、浜にはほとんど人影はなかった。浜に沿って植わっている松並みの奥に、少しばかりの空き地があり、昨年キャンプをした人たちの痕跡があった。そこに一応屋根も壁もついているトイレがあった。それはもう管理をされていないのか、壁の一部ははげ落ち、ドアの立て付けも悪かった。それでも野原で「自然の姿」でするよりはずっとマシだった。一つうれしいことは、壁の裸の水道栓をひねると、なんと細々と水が出たことであった。

 みんなが朝の用意をしていた時に「自然のお呼び」がかかって、その個室に入った。壁にはさまざまな落書きがあった。とても声に出して読めないような卑猥なモノもあった。今でも忘れられない面白いモノは、「もし汝、カミに見放されたなら、自らの手でウンをつかめ」というのであった。その他には、局部の拡大抽象画もいくつかあった。ある「アホな人間」は、「来場記念」に自分の名前と日付まで書いていた。

 さて、しゃがんで下を見ると、壺には固体、液体があふれている。夏なので小さな白い虫もたくさん蠢いている。それが嫌だったが、ことは急を告げていた。急いで力を入れると、殊の外大きな物体が、ドボンと落ちた。その瞬間、大きな水柱が上がり、あっという間もなく、「ビシッビシッ」と何かが、私の露出している部分に付着した。それは何とも形容できない未経験の感覚だった。誰のモノか分からない物質がこびりついてしまったのだ。慌てて紙で拭きまくったが、被害範囲はかなり広い範囲に渡っていて時間がかかった。大変惨めだった。

 外へ出てから、周りに悟られないように、密かに水道水で拭いた。幸い誰も気付かなかった。それからは、まず古新聞をよく揉んで先に落とし、それの上の落とすか、または「物体」が離れる瞬間、尻を前後に振って遠心力をつけて、真下に落ちないように工夫した。学習である。こうして私は、失敗を生かして、同じ過ちは二度と犯さなかったのである。





14 インドの便所と「クソブタ」の話(インドはさすがに文明を生んだ国!)

 これは弟がその友人と、二十台にバックパッカーをしていたときの話である。二人がある田舎の町を通りかかった時には、もう夕方になっていた。その頃になると、家の中から大きな瓶が前の道路に運び出されていた。よく見ると、それは家人の一日分の排泄物が入っている瓶であった。印度の貧しい家庭には、トイレといった高級なモノはなく、みんな瓶の中にするのだった。

 じっと見ていると、その瓶を路上で倒して中身をぶちまけていた。あたり一面に悪臭が漂った。しかしこれは一軒だけでなく、どの家も瓶を出してきてはぶちまけているのだった。固体はそのまま転がり、液体は低いところに流れて溜まった。あまりの臭さにたじろいだが、訳が分からないので訊ねると、「夜まで待って見ていなさい」といわれた。幸い「今夜の宿」にしたのは、その通りが窓から見下ろせるボロホテルの二階の一室であった。

 夜も更けると、通行人がいなくなる。そういう頃に、どこからともなく野豚が姿を現した。二頭三頭・・・十頭近くいる。たぶんファミリーなのであろう。クンクンとやっていたが、やがてバクバクとクソを食べ始めた。走り回りながら食べまくっている。子豚もいたが、小水の池に浸かって体を回転させて遊んでいる。水浴だ。まるで路上が「豚の饗宴会場」になってしまっていた。一時間して「食料」がなくなると、また一頭また一頭と暗やみに消えていった。

 その時点で、彼らは前日に前の町で食べた「豚ステーキ」を思いだした。印度で一番多いヒンズー教徒は、牛を神聖な物として食べない。イスラム教徒は下等動物と言って豚を食べない。だからカレーは牛肉でなくて、鶏肉が多い。そういうレストランで、「もうカレーも飽きたから、たまには豚を食べよう」と、「豚ステーキ」を注文した。そうすると、ウェイターは「ホントに食べるのか?」と何度も訊いた。「食べる」と言ったら、気のせいか「ニヤッ」とした。

 ステーキの味そのものはよかったが、インド人の客はこちらを見て笑っていた。「そんなに日本人が珍しいのか?」と思っていたが、「通りの豚たち」を見たらやっと意味が分かった。彼らはそれがどんな豚か知っているので、絶対に食べないのだ。あの「豚ステーキ」は「外国人用」だったのだ。後で訊いたら、彼らはその豚を「クソ豚」と呼んでいた。





15 日本の中学校トイレの「超大物」(聞くも涙、語るは・・・・笑い)

 日本の「学校」というところは、「客」に掃除をさせる数少ない施設である。アメリカなどでは、生徒はまず学校の掃除はしない。ただ、日本は「精神論」を重んじるので、その歴史的経緯からみて、いちがいに否定はできない。

 これをお読みになっている方も、むかしは「べんじょそーじ」を体験されているだろう。だいたい女子はまじめにする人が多く、男子は水を掛け合ったりほうきでチャンバラ−ということも多かった。最後に女子が「先生!男子が遊んでいます!叱ってください」なんてことも間々あることだった。そのくらい男子は掃除が嫌いだった。しかし、最近は「男女平等」が徹底したので、そういう「男女差」はなくなってきている。

 筆者が田舎の小さな学校にいた頃、「掃除の音楽」がなり始めてしばらくして、一人の女の子が職員室へ飛び込んできた。「あのー、すぐ来てください。便が流れないんです。」私は「水で流したら・・?」と普通に答えた。「ダメです。流れません。」「ではバケツに水をくんで、一気に流したら・・?」「それも駄目でした。」いろいろやってみたらしい。

 何のことか分からなかったが、とにかくその便所がある3階に上がっていった。すでに人だかりがして、その階の生徒がほとんど集まっていた。それをかき分け、男子の大きい方に行ってみて驚いた。長さ約25cm、直径約4.5cm位のどす黒い物体が一つと、長さ約20cm、直径約4cmくらいのもう一本が「×印」型になって、便器内に鎮座している。「固い丸太棒」と言ってもよい。これでは流れないわけだ。まわりの生徒は大騒ぎで、好奇心の強い女子も覗きに来ては、「きゃー」と言っては帰る。コトがコト、モノがモノだけに、誰も真剣な顔はしていない。

 こういうことが以前にもあった。その時も大騒ぎになった。結局誰が「犯人」かは分からずじまいだった。今回も誰の「仕業」かは分からなかったが、まさか校内放送で「大きなウンコをした人は、正直に名乗り出なさい」というわけにもいかなかった。あまり追求すると、「人権問題」にもなりかねない。しかし、「職員室まで本人が最初に来てくれればよかった。」という気持ちはあった。

 ここでは二つが考えられた。一つは「たまたま大きな物が出てしまった。恥ずかしくて、友人にも先生にも言えなかった。言ったらバカにされるのは目に見えている。」最近の風潮として、小中学校とも大便に行きたがらない子供が増えているという。「行くとみんなにバカにされるから・・」という。変な風潮だ。これは一種のいじめである。何かがおかしい。

 もう一つは、「確信犯」説である。「以前にしたら校内が大騒ぎになった。先生も生徒もわあわあ言っている。これを見るのは快感だった。」「今回もやってみよう。最近面白いこともないもんなあ。」こういうのを警察では、「愉快犯」と言っている。他人が困っている慌てているのを見るのはうれしい、愉快だ」というのである。された方は決して「愉快」でないので、本当は「不愉快犯」なのであるが・・。この呼び方は、「犯人の立場」に立っている。

 それにしても、どんな「努力」をしたら、あんな立派な物が生産できるのか?いちど訊いてみたかった。「石のようなウンコ」をする子だから、をきっと「意志」の強い子に違いない。







16 日本のトイレは「自由主義」(やっぱり日本はいい国だ!)

           デルフトの有料トイレ
 写真はオランダ・デルフトの新教会脇にある「有料公衆トイレ」である。朝からずっと自動車道を運転・移動してきた私たちは、焼き物で知られるこの町に入ってきた。オランダの自動車道は「無料」だが、反面「サーヴィス・エリア」が少なく、当然トイレも少ない。だからいったん自動車道にのると、少々はナニをガマンして運転せざるを得ない。

 デルフトに着いた頃には、わたしの「私物のフクロ」はパンパンに膨らんでいた。しかし小さな公園らしい所にも、そういう物は見られなかった。駐車スペースを何とか見つけ車をとめると、町の広場に向かって早足で歩き始めた。もうかなり限界に近づいていた。路上に石でもあってつまずいたら、一気に変化が起こってしまいそうであった。

 「もう建物の陰でやってしまおうか、あの壁の裏はどうか・・」と考え始めた頃、幅広い歩道の上に「有料トイレ」があった!しかし、その前には2人のご婦人が並んでいた。それでも「あと数分待てば・・・」と待つことにした。しかしご婦人のナニは長い。一人出てもまた次の婦人が・・・!私はいつしか無意識に足踏みをしていた。

 長い時間が過ぎた・・ような気がした。カチッと鍵が開いて、婦人が出てきた。やれやれと思ってポケットからコインを出して数えた。0.5ユーロ(日本円約75円)・・・あった!写真左の管理のオジさんが手を出してコインを取った。ここでもしコインが無かったら、もちろんトイレは使えない。ヤケクソで「自棄(ヤケ)小便」を物陰でするしかなかった。「あ〜」その後の快感は口では言えないが、少ししびれ感が残った。

         
          そのデルフトの有料トイレの内部 清潔だが無機質的

 ヨーロッパ諸国では、このような有料トイレが大変多い。下の「世界のトイレ」で書いているが、デメリットだけではなくそのメリットも多い。しかし本当に小銭の持ち合わせいない者だっている。そう言う者は「小便する権利」もないのか?!「人権侵害」ではないのか?こういうことについて、「アムネスティ」などの人権擁護団体は何も言わないのだろうか?

 日本は良い国である。ヨーロッパを旅するごとに、日本の良さを知らされる。トイレに行きたくなったら、どこにでもあるコンビニ、コーヒーショップ、スーパー、デパートなどに飛び込めば、無料(タダ)で「大も小」も自由に気の済むまで心おきなく用が足せる。紙もちゃんと置いてある。こんな素晴らしい国が世界にあろうか?!コインが無くても、決して卑屈にならずにすむ。こういう国こそが、世界に胸を張って「自由主義」を誇って良いのである。

 昨年、東京・銀座を歩いていて、「自然が私を呼び出した」 そこで、近くにあったその業界では老舗に属する有名なデパートに飛び込んだ。階段を早足で上がって、個室に飛び込んだ。小綺麗な部屋で、掃除も良くできている、家庭の個室の雰囲気さえあった。その後、私は大満足の気持ちで出ていった。

 その時は店で買い物はしなかった。玄関を出た時に「きれいなおねえさん」がこう言った。「ありがとうございました。また、お越し下さいませ」 お金もチップもいらず、いつでも自由に〇ン〇ができる日本はたいへん素晴らしい国である。

                       (マイブログ「このたびのたび」10月より転載)






17 ルクセンブルグ中央駅のトイレ(清潔なトイレならお金を払ってもいい?)
          ルクセンブルグ中央駅のきれいな公衆トイレ
 以前にも書いたが、私はトイレが好きだ−と書くと、かなり「アブナイオジさん」になりそうだ だが名誉のために言うが、「覗き」が趣味ではない 「トイレのシステム」と「トイレから分かる民族性、生活」の比較・考証がおもしろいのだ

 さらに言うと、私は「墓めぐり」も好きだ。だがこれらは「普通の人間」が興味を持って文を書く対象ではない−ことは確かである 人間が毎日数回以上行く場所で、世界中の人々が必ずお世話になっているのがトイレである(便秘の人は毎日行かないが、小の方はやはり世話になっている また砂漠の人たちは大自然がトイレだが・・) ということは民族性や民俗を知るには、トイレがいちばんなのだと私は思う

 前置きはともかく、今回ヨーロッパに来て「いちばん困ったのはトイレ」とはマイ・ブログで書いたが、そのヨーロッパの「有料トイレ」で最も最新で清潔な部類に属するのが、ルクセンブルグ中央駅のトイレである
 
 まず入り口はガラス張りの自動ドアでガラスはピカピカに拭いてある そこに「小E0.6、大E1.10、シャワーE7.0」と書いてある これは「高級トイレ」である 「小」するだけで90円、「大」なら180円、「シャワーをあびる」のは350円が要るのだ ふつう町中ならトイレはE0.4〜0.5くらいが相場だ 

 ドアを抜けて階段を下りると、そこには上写真のような新しく出来たばかりの駅の改札のような風景が目に入る まず駅と同じく「ノースモーキング」のサイン、そして回転式バーがある ここの上の機械にコインを入れてバーを押すと、中に入れる お札しかない人も、写真奥にある両替機でコインに換えられる もちろんお金がない人は、このトイレは使えない 日本と違って、「路上生活者」には不便に違いない  

 中は清潔で、洗面台などはホテルの洗面台と同じくらい光っている 鏡はもちろん便器もピカピカで、するのをためらうような「余分な物」はなにも着いていない まるでホテルのように、のびのび気持ちよくできる 女性なら安心して化粧も直せるのだ なぜなら口うるさそうなおばさんが、見張っているからだ 変な客はすぐに追い出される これらはどう見ても、「公衆便所の五つ星トイレ」である 「ミシュラン」に載せてもいい

 小国ルクセンブルグは日本人にはあまり知られていないが、ヨーロッパでは有名な金融・ビジネスの中心地である 会社のオフィス・ビル、銀行もたくさんあり、世界からビジネスマンが集まってくる その中心の中央駅のトイレは、国の体面からいっても、美しく清潔でなければならないのである 「満足できるサーヴィス」には、それに見合う対価が必要なのだ

                           (マイブログ「このたびのたび」10月より転載)

 







18 アムステルダムの「むき出し簡易型移動式トイレ」(羞恥心のない人はデキます)
            アムスのむき出し簡易型男子トイレ

 アムステルダムの「アンネの家」(現博物館)に行った時のこと、傍の西教会の回りにトラックが何台も停まって大きな物体を下ろしています それが写真の物です それが何か分からなくて、教会の周りを回るとなんと10以上もあるのです かなり世界を旅した私ですが、これは見たことがありません 

 そばによってシゲシゲと観察しました 高さは人間より高く、90度ごとにアナが一個開いています 間はしきり風になっています カミさんは「大きな花入れのようね」といいますが、何か少し違うようです

 アナは20cmくらいで、底は見えないくらい深いのです でも、なんか臭うーのです 「あっひょっとして!」 そうなのです 「男子用の屋外トイレ」だったのです でも日本だったら、例え「男子小」用でも周りをもう少しは囲っています

 ここは公の歩道の上ですから、若い女性も当たり前に歩いています 通りすがりに「ちらっ」と見れば、「最中のナニ」(何?)がしっかり見えてしまいます 恥を忘れかけている年配オジさんの私でさえも大変恥ずかしいのです 「すごいなあーここの男は!」と妙に感心 

 そうこうしていると、20代の若い男性がやってきて、極当たり前にジッパーを下ろしてあの「作業」を始めました 回りを窺う様子もありません 何でも面白がって写真に撮る私も、ちょっと撮れませんでした (撮ったら大問題ですが・・)

 感心しながら「女性用」を探しました 覗くためではありません 「知的研究心」のためです ありました! さすがに「むき出し」ではありませんでした 日本の簡易型と同じ感じです 「やっぱりなあ」というと、カミさんは「当たり前でしょう!」とさらっと言いましたが、何か誤解されています・・

 それにしても、他の町ではドライヴ中にトイレがなくて困った国なのに、なぜアムスだけ一カ所に十数台もあるのでしょうか? よく見ると、歩道脇の広場に小さな舞台が作られている最中でした コンサートか何かのイヴェントがあるのでしょう それにしても、オランダ男性は「自分自身」によほど自信があるのでしょうか? また、この国では、「わいせつ物ちん列罪」は適用されないのでしょうか?

                       (マイブログ「このたびのたび」10月より転載)









19 「水洗トイレの元祖:ローマ帝国のトイレ」(トルコ・エフェス<エフェソス>)
 

 
「水洗トイレは近代・現代の物」と思っていたら間違いである 世界のあちこちを旅していると、旧「ローマ帝国」関係の場所を訪れることもままある 地中海を中心に北アフリカ、トルコ、北・西ヨーロッパなど広範な地域に、あの大ローマの遺跡があるが、そういう場所には、凱旋門、神殿、図書館、市場、円形劇場などのポピュラーな物から、売春宿や何だかよく分からない建物という特殊な物まで残っている いくら「2000年前の物」-といってもそこはそれ石や大理石製であるので、想像以上にきれいに残っていることが多い

 そして大方の遺跡にあるのが、写真のようなトイレである もう使い方の説明は要らないだろう 穴の中を覗くと、下の方に水路や小川の跡が見られる つまり本当の「水洗トイレ」である アフリカでもこのトルコでも、どこの遺跡を見てもこういう形である 
 皆さんもすでにご存じと思うが、その水そのものが水道橋や長い水路で送られていることも多い そう考えると、これはすごいことである 以前にイタリアのナポリ郊外のポンペイ遺跡に行ったが、そこにはきちんと区割りした町並みだけでなく、車道・歩道、そして横断歩道まであった そして大きな屋敷跡には中庭、回廊、立派な風呂などが残っていた 生活レヴェルが高い

 私たち日本人の2000年前は弥生時代であり、静岡県の登呂遺跡などが残っているが、残念なことに訪れても水田跡や住居の痕跡しか残っていない これから考えると、ローマの偉大さがよく分かるのだ もちろん木の文化より石の文化の方が保存されやすいことはよく分かる それを割り引いても、この都市計画の壮大さや計画性はスゴイ

 それにしても、再度写真を見ると別の意味でもスゴイ これが使われている様子を想像していただきたい 遺跡の中には後世に失われる物もあるが、どう見てもこのトイレには相互の便器間には衝立やしきりがない ということは、あのローマ式の布を巻いたような衣装を身につけた男たちが、尻を出して並んで用を足しているのであろう  会話をしていたであろうし、時には熱い政治的議論をしていたかも知れない また例の音がいっしょに存在もしたであろうことを考えると、まことに壮観であったであろう まさに「ローマ文明恐るべし」である 

           内部リンク:トルコの歴史遺跡「エフェス遺跡」





20 デンマーク・世界遺産・クロンボー城のトイレ (一体どんな恰好で?)


 写真はデンマークのヘルシンオアにあるクロンボー城のトイレである クロンボー城はシェークスピアの名作「ハムレット」の舞台になった城である

 この城は17cにデンマーク王クリスチャン4世によって修復されたが、後の幾多の戦争で破壊され現代に改修された

 なるほど世界遺産の名城だけあって内部の各部屋は装飾も壁画もタピスツリーも立派である

 そういうなかである部屋隅にトイレがあった 木製ドアがついていて、内部は幅60cm、奥行き1m、高さ2mほどである 便座は木製で中心部には直径20cmくらいの円形の穴が開き、木のふたがしてある 用を足す人はドアの方に向かってしゃがむ

 そこまでは良いのだが、ふとあることが気になった 当時の貴族・王族女性は堅いコルセットをして裾広がりの大きなスカートを穿いていた

 そうなると、事の始めにはスカートはどうするのか?まさか「逆さクラゲ」状態ではないだろうし、スカートのままでは入れないから、小部屋に入る前に脱いでしまわなければならない

 ところがこのトイレは大きな部屋の隅にあるからスカートを脱ぐったって周りの目があるのだ 周りに人がいなくなって、いきなり下着姿になりコソコソと入ったのだろうか? その場合、脱ぎ捨てたドレスはどういう形で置かれるのだろうか?・・・・

 いろんな疑問が湧いてくるトイレなのである







21(付録) 蝋燭が屁で消えた!話? (日本・明治時代)

 この話は本題からやや逸れる。「舞台」はトイレではないからである。しかし私が中学一年の時に聞いて、大変印象に残っているので、この機会に書き留めておきたい。これは、私の家によく来ていた「護国神社」の役職にあった方(現在は死去)が、「自分の若い時の話」と前置きして、語ったものである。したがって、時代は90年以上前である。

 その人をKさんとしよう。Kさんは元気がよく、茶目っ気がある青年だったらしい。その当時はまだ古い時代で、若者は「男女一緒」ということは少なかった。村では男は男で、女は女で集まっていたらしい。若者の男同士が集まれば、そこはエネルギーをもてあましていた者同士、酒を飲んではバカなことをしたり、大声で歌ったりしたものらしい。いわゆる「蛮カラ*」である。

          *筆者注・・蛮カラ=「ハイカラ」の反対で、言動が粗野なこと

 ある夏の夜、酒盛りをしてかなり酒が回ったところで、ある男が「屁でロウソクの火が消せる」と言いだした。他の者は、「消せる」「いや消せない」と意見が真っ二つに分かれた。そこで実際に「やってみよう」ということになった。こういうことでも、うまくいった者は仲間内でしばらくは「大きな顔」ができる。そういう時代であった。

 「もし消えても、風か屁か分からない」ということで、部屋を閉め切った。たちまち室温が上がってきて、アルコールと両方の作用で体は火照ってきた。それでも若者の誰一人「暑いから止めよう」とは言い出さなかった。こういうところで最初にそれを言った人間は、当分仲間から軽蔑される。「そういう世界」であった。

 こうして部屋の真ん中に、仏壇にあげる大きなロウソクが一本用意され、火がつけられた。皆がそれを取り囲んだ。最初に挑戦したのは、もちろん「言い出しっ屁の男」だった。しかし、「プーー!」と大きな音はしたが、炎が揺れただけでまったく消えなかった。

 次に、Kさんが挑んだ。前の人間が失敗したので、尻を近づけていった。ところが、近づきすぎて、「アチッ!!」と言って倒れ込んだ。なんと襞の多い後ろの局部を火傷していた。そこが痛いわ、みんなはギャーギャー笑うわと、Kさんは散々であった。

 三番目はリーダー格の男であった。彼はその晩は少々酩酊気味であったが、皆が失敗するものだから、「ここは一丁、リーダーの貫禄を見せよう」と思って前へ出てきたのだった。彼は皆と同じように尻を近づけていった。そしてひとつ大きく深呼吸をして、下腹に力を入れた。「プーー!」と音はしたが、何も変化がなかった。炎はまったく動かなかった。

 しかしここで止めたら「男が廃る」と思った彼は、コップの酒を一気に呷ると、更に下腹に力を入れて一気にガスを放出した。「ブッーーーー!」という長めの大きな音とともに、一瞬で部屋は真っ暗になった。・・・・・・・・・・・「クサッ!」誰かが叫ぶ。何か臭い。たしかに臭う。誰かが「電気をつけろ!」と叫ぶ。誰かが立ち上がった。

 部屋がまた明るくなった。そしてそこに皆が見たのは、蝋燭の上に覆いかぶさっている黄色い大便であった。確かに火は消えたが、それはガスの勢いではなく、芯に便がのしかかったため消えたものであった。「彼が朝から下痢気味だった」とみんなが知ったのは、その後のことだった。

 







22 ま・と・め

  お手洗い、化粧室、厠、川屋、ご不浄、雪隠、WC、手水場、はばかり、おしも、トイレット、おトイレ、便所、高野山、小部屋、スタジオ、あそこ・・・など、トイレについての呼び名は多い。それというのも、人間が毎日何回もする行為の場所で、もっとも人間と関わりがあるのに、もっともキチンと呼ばない場所なのである。排便、排尿は不潔、下品と見なされている行為のため、ひとがいちばん隠そうとする行為の場所だからである。

 だから本来は言いたくない単語であり、それを口にする場合は直接的でなく、間接的に表現することになる。そうなると、いかに婉曲に表現するかが問題となる。特に儒教道徳が長く続いた日本では、性表現とならんで敬遠された概念・単語である。

 例えば、厠、ご不浄、雪隠、はばかり(憚り)、おしも、などという表現は古い表現で、今の若い人には分かりにくい。その表現は厠(川屋*)は別として、「汚いもの、隠す、遠慮して人目を遠ざける」意である。また化粧室、お手洗いなどは、他の行為を表現して、排泄行為を間接的に表現している。これは外国でも同様で、「ウォッシング・ルーム」「バス・ルーム」「WC」と表示がある。

  *厠(川屋)かわや・・もともとは川の上に張り出した場所で、用を足していたことから、
               そう呼ばれるらしい。今でも東南アジアの国々ではよく見られる。

 さて、ここまで書いたいくつかの小文は、いろいろな国に分かれているが、あくまで筆者の数少ない見聞を元にして書いてある。更に筆者のたまたまの体験の話もある。従ってこれだけで、「世界の便所」と題するのも、本来はおこがましいことだ。

 それでも読んでいただいて、「世界は広いな」と思っていただければ結構だし、みなさんの体験も合わせて考えれば、更に世界は広がるだろう。これをお読みになった方で、もっと面白い、もっと変わった見聞・体験をお持ちだったら、ご連絡頂ければ幸いである。

<お・ま・け>

チェコ・ドライヴ中に入ったレストランの男子トイレ 「なんじゃ、こりゃ!」

壁紙写真はポーランド・オシフィエンチムにある「アウシュヴィッツ強制収容所」の「囚人用トイレ」(筆者写)

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