北アフリカにあるアルジェ港は商港であると同時に軍港である。地中海の対岸、フランスのマルセイユからのフェリーも着くと同時に、アルジェリア海軍の母港で艦艇も入港する。これは、その港の写真を撮ったばかりに、とんだ目にあった話である。
まだ当地に赴任して間もない頃、私は先任のSさんと二人でアルジェ港に来ていた。日本の「海外子女教育財団」に依頼されたアルジェ市内の写真を撮りに来ていた。港周辺で何枚か撮った後、灯台近くの見晴らしの良い場所に来ていた。そこは港が一望でき、絶好の撮影ポイントであった。私は構図を決め、シャッターを下ろした。Sさんはそばに立っていた。その時、後ろから「ピー」という甲高い笛の音が聞こえてきた。 |
振り返ると、ピストルを腰につけた憲兵が二人、こちらに向かって何か怒鳴っているではないか。もちろん新任の私はその時、フランス語はまったくできなかった。しかし、雰囲気から「これはヤバイな。!」ということは容易に分かった。彼らは私のカメラを指して何か言っている。写真を撮ってはいけないんだな−と言うことは分かった。さらに彼らは、ついてこいと身振りをしている。これは大変なことになった。だが、カメラを持っていなかったSさんは、どうやらお咎めがないらしい。そこでSさんに、「万が一の時は、職場に帰って上司に報告し、大使館に連絡してもらってください。」と頼んだ。 |
さてその後、わたしは詰め所に連れて行かれた。椅子に座らされ、フランス語で尋問を受けるが、赴任したばかりでチンプンカンプン、何にも分からないので答えられない。その中のひとりが、下手な英語で聞いてきた。そこで私は身振りも含めて、写真は撮ったが、民間の船だけ、しかも一枚だけと言うジェスチャーを、英語を交えてした。そうしたら、憲兵の一人が私のカメラを取り上げ、ふたを開けてフィルムを抜き取った。 |
その時、私の脳裏にはある恐ろしい考えが浮かんできた。それは、「スパイ罪」である。軍人なら「捕虜」になった時点で、いわゆる「ジュネーヴ条約」によって身柄は保護されるが、「スパイ罪」の最高刑は、「死刑」(例・銃殺刑・・)である。裁判は受けられるが、それはたぶん「軍事法廷」かもしれない。この社会主義の国で、果たして公正な裁判が受けられるのか。当地へ来て間もない私でも、長く住んでいる人から、もう「何年も刑務所に入っている日本人」のことも聞いていた。「私ももう終わりか?」「大使館は助けに来てくれるか?」−と思っている所に、明らかに上官と思われる将校がやってきた。兵士らは一斉に「敬礼(気をつけ)」をした。 |
彼は、部屋にいる明らかに「東洋人と思しき人間」に目を向け、部下に「小奴は何だ?」と訊ねた(ようだった)。部下の説明に、うんうんと肯いていたが、やがて私の方を向いて何かを言った。私はこの上官しか分かってもらえないと思い、必死になってまず日本人(ジャポネ)だと言い、観光の記念に港を撮ったことなど、悪気はなかったことをジェスチャーいっぱいに訴えた。彼は黙って聞いていたが、しばらく間をおいて、部下にひとこと言った。部下は敬礼し、私を「釈放」した。 |
こうして私は、「無罪放免」となり、心配そうに待っていたSさんの所まで戻り、いっしょに職場まで帰り、上司に報告したのだった。本当に生きた心地はしなかった。考えてみると、外国の多くの国では港、駅、空港、軍事施設などでは、保安上軍事上の理由から、撮影は「一切禁止」になっていたのだった。これは「常識」であるらしかった。「平和な日本」の日本人がもっとも犯しそうな過ちであった。それは、外国に出て間もない私が受けた、はじめての異文化の「洗礼」でもあった。以後この国でもヨーロッパでも、公共の場所で写真を撮るときには、近くにいる警察官に聞いてから−にするようになった。 |