4 アルジェの中央郵便局で (アルジェリア)

               ライトアップされたアルジェ中央郵便局→→→


 この話はもとはといえば、
わたしの不注意から始まったものである。場所は、アルジェの中心部に近い中央郵便局(右上写真)。ここは写真からも分かるように、「新マウル様式」の美しい外観の建物で、町のランドマークでもあり、アルジェ市の観光用絵葉書には必ず登場していた。
 
 閑話休題、アルジェリアは発展途上国で、軽工業製品はお世辞にも立派とは言えず、日本人から見ると使用に耐えない物が多かった。アラブ風の生活什器でさえ「チャチ」とも言える物ばかりだった。日本への土産にもって帰れる品物も、なかなかなかった。そういう状況でも、海外先進国に決して負けない「品物」があった。それが、
切手であった。この国は単純な印刷は自前で出来るが、高度なカラー印刷や細かい写真製版は、未だヨーロッパ諸国に注文していた。当時の美しい切手は、すべてスイス製だった。そして、たくさんのきれいなシリーズ物があった。
スイス製のアルジェリア記念切手の一部  1984
 
 私は外国に来てから少しだけ「筆まめ」になっていた。日本へもたびたび手紙を書いていた。その時に美しい切手を貼ったり同封すると、喜ばれていた。それでひんぱんに記念切手の発売日も調べ、買いに行く習慣もできていた。この日も新しい切手が出たらしいと聞き、買いに来ていたのだ。11月のある日窓口の係に尋ねると、果たして新しいのが出ていた。発売されたばかりだった。見るとこれはきれいだ。つい嬉しくなって何種類ものシートを買い、両手に持ってながめながら、外に停めた車に戻った。

 その時ハッと気がついた。
ショルダーバッグを忘れた!!。金を払うとき、片手に切手をもっていたので、カウンターに置いたままだった!。あわてて走って元の場所に戻った。カウンターにはない!!。その係りも居たので、きいたが、さりげなく「知らない」と言った。その間僅か数分もたっていなかったし、ちょうど人の少ない時間帯で、誰もいなかった。館内を見渡した後、走って外に出て通りを見たが、私のバッグは見あたらなかった。しばらく探して歩き回った後、諦めて帰った。

 私たちは仕事柄、当地
政府の「身分証明書」を大使館領事部経由でもらっていた。通常の生活は、その証明書と「国際運転免許証」だけで十分であった。しかしその日に限って、大使館の人と税関に行った後で、車の書類とともに家の契約書のコピーやパスポートを入れていた。現金もいくらか入っていた。

 これは一大事だ。日本を出るとき、「
パスポートの管理はきちんとするように。命の次に大事なものだから。」と言われていたのだ。とにかく警察と大使館に連絡だ。大使館に連絡して報告、後日出頭することにした。警察の方は、私の語学能力ではダメなので、大家の次男に付いてきてもらい、郵便局近くの警察に行ったが、なんと「管轄がここではない。他所だ。」と言われ、また別の警察署へ行った。私の英語を次男がフランス語にして警察官に説明、また逆の手順で質問された。ずいぶん時間がかかった。家に帰った時は、ぐったり、疲労困憊していた。後日大使館に「出頭」し、いきさつを説明し経過を報告した。そして「おしかり」を受けた。パスポートは再発行ということになった。だいぶ経って、新しいものが手元にやってきた。
 
 ある日仕事をしていると、上司から「大使館から連絡があって、パスポートが見つかったから取りに来るように言っていた」と告げられた。仕事がすんで大使館に行くと、パスポートと身分証明書をはだかで渡された。しかしバッグも現金もその他の小物もなくなっていた。聞くと、郵便局から出てきたという。くわしくは不明ということであった。

 考えてみれば何かおかしい。あの時忘れ物に気づいて、走って元のカウンターへ戻ったが、何もなかった。周りに人はいなかった。仮に誰かがバッグを取ろうとしても、見通しの良い大きな広いカウンターである。係員にはすぐ分かるはずだ。郵便局から出てきたことといい、金目のものだけ取って「足」のつきそうなものは捨てている。
「内部の犯行」ではないのだろうか?そうも考えたが、調べようもなかった。日本の郵便局だったら、「忘れてますよ」−といって渡してくれるだろうなとも思った。あらためて、「ここは外国なんだ」と実感させられた「事件」であった。それにしても大使館や、大家の息子さん他にも迷惑をかけてしまった一件であった。それ以来、パスポートの管理はいっそうしっかりするようになった。当たり前のことだが、大切なものは絶対離してはいけないない−というのが教訓である。