(2)首都エル・ジェザイールフランス名:アルジェ)(人口550万人以上・世界59位2005
今回の旅の始まり El Djezair(アラビア語/公用語), Alger(フランス語), Algiers(英語), Algier(ドイツ語)


  アルジェ港と古い歴史をもつ灯台(中央)と地中海(上)
  写真で見える町並みはフランス植民地時代のもの
  歴史の古い有名な「カスバ」は写真外左側の山手部分にある

   Photo:(tous sur Algerissimoより転載)
 
 フランス系アルジェリア人で有名なノーヴェル賞作家の
アルベール・カミュは、
「アルジェの街は海から見るのがいちばん美しい」といいました。丘が海岸に沿って長く伸び、
そこから斜面で地中海へ下がっています。海側から見ると、紺碧(こんぺき)
の海の上にまるで模型を
ならべたように、白色の建物や屋根、木々の緑がが丘に向かってせり上がり、その上は濃い青色の空が
広がっているのです。その海と空の青色と家々の白色のコントラスト(対比)が、素晴らしいのです。

 
*紺碧こんぺき・・やや黒みを帯びた青色 
  *
アルベール・カミュ
1913年アルジェリア生まれ、1957年ノーベル賞文学賞受賞、
1960年自動車事故で死亡 日本で活躍するタレント、セイン・カミュ(アメリカ・ニューヨーク出身)の大叔父


 さらに細かく見ると、少し湾になった右端には古い灯台があり、その奥が港になっています。アルジェは
もともと、アラビア語で「
エル=ジェザイール」(島の意)といい、小さな島がその起こりです。しかし港の一帯は、
まるでフランスの街のような雰囲気です。長い植民地支配で、街が作られていったのでしょう。
フランス人は「都市づくりの天才」といわれ、世界中の元フランス植民地の都市は、今でもすべてフランス風で、
都市の美を誇っています。










1830年のアルジェ港とカスバ(版画) 1960年(独立直前)のアルジェ港  1985年のアルジェ港
と独立記念塔
 しかし、街も丘のいちばん上の部分になると、まるで様子は一変します。「カスバ」と呼ばれる地域です。
カスバはこの市でも最も古い地 区です。西アジア、北アフリカの街には、必ず同様のもの(メディナ)が
あります。まわりを城壁で囲い、中は階段と迷路になっています。フランス植民地時代以前のオスマン・トルコ支配の
時代までに作られた「
アルジェの故郷(ふるさと)」なのです。古いので決してきれいではないですが、
今でも人々が生き生きと生活しています。


アルジェのカスバの路地

第二次大戦後、長いフランスの支配(しはい)から独立するための「
アルジェの戦い」は、カスバを中心に
おこなわれました。フランス軍が見つけにくい迷路(めいろ)のような場所だったからです。フランスはこれに対して軍隊や警察を
たくさん動員し、多くの人を殺し逮捕(たいほ)し、拷問(ごうもん)にかけるという大弾圧(だいだんあつ)をしました。

<アルジェリア独立運動の英雄>
エミ−ル・アブデル・カデル(カディール)
 

アブデルカデルの肖像画切手
 
一時閉じこめられていたフランス・アンボアーズ城にある
エミ−ル・アブデルカデルの肖像画

 
Emir Abd al Qadir (1807-1883)
エミ−ル・アブデル・カデル像
(アルジェ:エミ−ル・アブデルカデル広場) (tous sur Algerissimoより転載)

この国独立のため、彼は外国の援助をうけてフランスとよく戦ったが、
最後はフランスに捕らわれてフランスで牢獄(ろうごく)に入れられる。
のち釈放(しゃくほう)され、トルコ、シリアと渡り、ダマスカスで死亡した。
彼の遺骸(いがい)は1968年アルジェリアに帰国した。
国の「英雄」として多くの切手や肖像画が作られた。

参考文献:西田書店「アルジェリアハンドブック」
 

 そしてついに
1962年、132年にもおよぶ植民地支配が終わり、この国は独立することになるのです。
これらの戦いでは、戦士(ムジャヒディン)だけでなく、市民を含む百万以上といわれる多くの人が死にました。
今のアルジェリア国歌「誓い」は独立戦争の時、刑務所に入れられていた闘士(とうし)が書いたものと言われています。
支配した側のフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」もそうですが、ともに歌詞は激しい内容を含んでいます。
天皇の時代の長く続くことを祈念する日本の国歌「君が代」とは中身が大きく違う点です。

*植民地支配 しょくみんちしはい・・・外国の国・地域を、住民の意志に反して、政治的経済的におさえること 住民の反発をまねきやすい

**(参考)大人用説明:「アルジェの戦い」・・詳細はHP「ド・ゴール伝 第3部その3 アルジェの戦い」にあります
**(参考)大人用説明:「アルジェリア独立闘争」(Wiki)
**(参考)アルジェリア国歌:アルジェリア国歌アラビア語版(オリジナル)

**(参考)世界の国家の歌詞と日本語版
**(参考)映画で分かる「アルジェの戦い」(アルジェリア−イタリア合作)1966年度ベネチア映画祭金獅子賞(グランプリ)受賞作



現在のカスバ カスバ(19cの版画) 殉教者広場に続くアルジェ港沿いの大通り
 丘の上のカスバに対して、海側から見たまちの左手や下のアルジェ港のまわりは、フランス時代にできた比較的
新しい地域でヨーロッパ風の町なみです。さらに独立後にできたさらに外がわにある家々は白っぽく、
遠くから見ると輝いて見えます。そして街のあちこちに、空に向かって突き出ているのが、「
モスク」です。
そばには先がとがったミナレット(せん塔)が何本か立っています。モスクはイスラム教の「礼拝所」(お祈りをするところ)で、
仏教の寺やキリスト教の教会、大聖堂とは異なります。中には絵や像などはまったくありません。
イスラムでは「偶像崇拝*禁止」で、絵や像は拝んではいけないのです。

*偶像崇拝 ぐうぞうすうはい・・・神・仏にかたどって造った像や絵を 宗教の対象として拝(おが)むこと

アルジェのモスク



殉教者(じゅんきょうしゃ)
広場にある「漁場」モスク
左手の塔がミナレット(尖塔)


 こういう地区のいちだんと高くなった丘の上に、大変モダンな記念塔らしいものが見えます。あまりに高いので、町のどこからでも見えます。

 これがアルジェのシンボル、「
独立記念塔」です。フランスとの独立戦争で亡くなった戦士たち(ムジャヒッディン)もここにまつられています。

 ここには火が燃え続け、24時間兵士が警備をしています。この塔は、血を流して勝ち取った貴重な「独立のシンボル」なのです。


独立記念塔tous sur Algerissimoより転載)

 またこの地は、長い歴史の間にフェニキア人、ベルベル人、ローマ人、ヴァンダル人、スペインの海賊、トルコ人やアラブ人に支配されたこともありますし、ユダヤ人もたくさん住んでいました。だから、人々の顔つきにも、長い歴史の間にそれらが混じり合ってできたことが、よく現れています。「地中海人種」とでもいうべき人たちでしょうか。



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