南米・アンデススキー・顛末記(5)

Day 4
時差ボケと高山病のままゲレンデに(スキー初日)



スキー初日、フェロー・千葉さん(黄色ジャケット)から諸注意と説明がある


 朝起きると頭がズーンと重い。頭痛のようなそうでないような・・・。しかも頭全体には濃いカスミがかかっている。これはかなりヤバイ。体も鉛が付いたように重い。高山病だ!じつはこれは来る前から恐れていたことだ。
                      See→高山病(厚生労働省検疫所公式HP)

 私は高三の時、富士登山をしたことがあった。ご来光を見るために夜中の二時起床で、寝不足のまま五合目から登り始めた。八合目を過ぎる頃から、頭がガンガンし始め、10m歩いてはすぐ座って休むという状態。これをくり返し、くり返し、やっと頂上に着いたことがあった。いちばんシンドイ思い出である。

 こういうことがあったので、ここに来る前はフィットネスクラブにはいつもよりまじめに通い、少しは体力を付けたつもりだった。また10日前には九州最高峰の屋久島・宮之浦岳頂上(1936m)に登って、自分なりに準備はしてきたつもりだった。しかしどうも低地でトレーニングしても万全とは言えないようだ。

 
 今回のホテルの標高が3000m、しかも60時間というあの長旅である。この歳で応えない訳がなかった。同室のNさんもどうやら体調が良くないらしい。食事に下りると、同行の人たちも次第に姿を現したが、やや無口な他は特に何も変わってはいない。やはり高山病は私たちだけなのか?

 今日は初日なのでやや遅めのスタートである。いったん外に出てレンタルスキーを借りる。板は2、3年は経っているサロモンの中級者用、まあ滑りやすいので良しとした。スキー靴のみならず、自前の板を日本から持ってきた方も多い。自分の板が良いに決まっているのだ。

 ホテル前で集合がかかり、いったん広いところまで移動し諸注意を受ける。ここでいかにも「ヴェテラン・スキーガイド」らしい風情の方が紹介された。チリ人でホセ・ルイ・リヴェラさん、通称パテンさん(ツアー参加者がかってにつけた名)である。フランスのシャモニースキー場の国家検定ガイドで、チリでも国家検定ガイドの資格を持っているという。ラテン系らしい明るく楽しいヒトである。彼の英語は分かりやすい。概してネイティヴ・スピーカーよりは外国人の英語の方が日本人にはよく分かる。

 さらにもう一人、日本人が紹介された。「スキー・ジャーナル」誌の記者でNさんという。ひげがあるが、かなりのイケメンでモテそうなタイプである。数日前に来て待っていたらしい。私たちのツアーの取材も仕事の一部という。来年の号には私たちが載るかもしれないそうだ。そうなると、これは買うしかない。



陽気で茶目っ気のあるガイド「パテン」さん




ヨーロッパと同じでJバー、Tバーが多い 慣れてない人は転ぶ人も

 
 18名もいる今回の参加者は年齢も職業もスキーの腕前も種々様々なので、二つのグループに分けられた。と言っても「自己申告制」である。大人になって他人から「選別」されるよりは良い。

 元気が良く上手な人たちはパテンさんが引率し、それ以外の「人生のヴェテラン」中心グループは千葉さんがリーダーになった。このグループはひとつが「ウサギさんチーム」、もう一つが「カメさんチーム」と名付けられた。まさに「言い得て妙」である。もちろん私は「カメさんチーム」である。




森林限界を超えた圧雪された気持ちいいバーンやオフピステが広がる快適なゲレンデがウリ


 
 積雪量はたっぷり3m以上はあるようだ。8月中頃に私がここのHPを開いた時には、2mもなかった。それが最近ドカッと1mも降ったらしい。おかげでパウダーとは言わないまでも、まあ滑りやすい雪である。ひとつ日本や他の国のスキー場と違うことは、まったくモーグル(コブ)を作らないコースづくりである。

 ただこの日は「ピカーン」のため、こういう高地では紫外線も大変強く、気温も10度近くもあったようだ。ガンガンに飛ばしてもいないのに、汗が出てくるのである。このため、雪の表面が軟雪状態になりかけていた。私のダウンジャケットも要らない感じだ。セーターで十分、日本でいう「春スキー」の感じである。



アンデス山脈はやはりフトコロが広い!どこを滑るのも自由だ


 既述のように、ベースのホテルが3000mあり、今日はリフトでそれよりトップで5、600mは標高が上がっている。富士山なら九合目に近い。本来なら高地に上がった翌日はその標高にゆっくり慣らすのが正しいのだが、そうでなくても事故でツアーが短くなったのもあって、かなり無理をしている感じがする。体が自分の物でない感じでもどかしい。

 コースは森林限界上なのですっきりとしていて、視界を遮るものはない。さらに、ニュージーの一部スキー場の様なコース上の大きな岩もほとんどない。コース幅も広く、人間もほとんどいないうえ、日本で「顰蹙もの」の無法ボーダーたちもいない。良いことだらけである。まだこの国ではスキーをするのは、一部の金持ちだけらしい。

長旅の翌日にもかかわらず
なぜか妙に明るいツアー仲間たち
左端の私は高山病の真っ最中!

(スキー・ジャーナル誌:N氏撮影)



雄大な自然に囲まれた我々のホテルを見ながら滑る(フェロー・千葉氏撮影・提供)


 高山にもかかわらず、陽射しはポカポカ暖かい。今は9月に入ったばかりで、もう冬が終わりかけようとしている。それでもコースから外れたオフピステには、なにやらモーグルコースらしい物が作られていた。何人かが練習をしていた。広いグルームされたコースの端にはポールが立てられ、これまたものすごく速いスキーヤーがぶっ飛ばしていた。彼らはドイツやカナダのナショナル・ティームだそうで、北半球が夏の今ここまで来て練習しているのだという。

 そういえば十年くらい前、ニュージーランドのワナカへ行った時も、ヨーロッパやカナダのナショナル・ティームがたくさん滑っていたし、日本からは当時TVで放映していたサロモン提供の「スキー・ナウ」のロケで、海和俊宏氏がデモンストレーターを連れてきていた。私も少しばかり話をしたが、「スキーブーム」の当時のスキーファンなら元全日本代表「海和」の名前を知らない者はいなかった。

 滑っていてやや違和感があることがあった。私の腕時計はトレンドのソーラー電波式で、高度や気圧、方角、気温が測れるのだが、どう見ても「太陽が北側にある」のだ。最初は見誤りかと思ったが、考えてみると赤道が北側にあるのだから当然のことなのである。「北半球で当たり前」のことでも、南半球では反対のことがよくある。手洗いの排水口の渦巻きも日本とは逆になる。少し脱線するが、オーストラリアでは南極側(南)を上にした世界全図が売られていた。その地図を一枚買ったが、下に大きな字で"No Longer Down Under"と印刷してあった。

 
 さて話は戻って、高山病を背負っての「スキー初日」は「必死」であった。半年は滑っていないので、まだ体がスキーに「復帰」していない。また「はるばるとせっかく来たのだから・・」と言う想いと、「他の人に迷惑はかけられない・・」と言う気持ちがあったので、自分なりに頑張ったのである。反面、アンデスの大自然に囲まれて滑られる幸せと高山病で思うようにならない自分の体というちぐはぐな感じはずっと残っていた。

 一日の終わりに「カメさん組」は少しだけ早く上がって、ホテルのカフェで飲み物を注文した。そうしている内に「ウサギさん」たちも元気に帰ってきた。暖かいものが入るとホッとする。夜はイタリアンレストランであった。若い人たちはけっこう盛り上がってのみかつ食べていたが、私個人は「肉も要らない、あっさり軽めでいいわ」という気持ちであった。喋る気力もなく、ただただ他人の話を聞いていた。大好きなアルコール類も体がまったく欲していなかった。私としては珍しいことである。食後、部屋に帰ると、いつの間にか眠り込んでいた。


  







南米・アンデススキー・顛末記(6)
Day 5
二つ目のラ・パルバスキー場で滑る(スキー二日目)


チリ人ホセさん引率の「ウサギさんチーム」 (フェロー・千葉氏撮影・提供)


 標高3000mホテルの二日目である。朝目覚めると、昨朝よりは頭が軽い。まあ、もともと頭は少し軽めなのだが、少し高度に慣れてきたのだろうか。ここに一週間居られたら順応はできそうだ。

 今日は大ヴァジェネヴァド・スキーエリアを構成する3大スキー場の二つ目であるラ・パルヴァに行く日である。この地域は大きな3つの谷によって成り立つ。フランス語で言うなら「トロア・ヴァレー」である。リフトで一度上に上がり、尾根側からパルヴァに下りてゆく。

 本来ならこの日は「へリスキー」の日であった。昨日に申し込んでいた人たちはへり・ベースまで行って、「今日は強風のため中止」といわれ帰ってきたのだ。私は今まで「へリスキー」は未経験であったので、申し込もうとに余分に米ドルを持ってきていた。しかし昨日の「高山病」のため、「もうここではイイや」と思って申し込まなかった。何しろ4600mというさらに高い場所からスタートするのである。



この地域では最高峰のエル・プロモ山(5430m)をバックに





山頂部は風が強いのがよく分かる この辺りは緯度的には偏西風が強い地域である




ゲレンデが広いのとスキーヤー数が少ないので、「リフト待ち」は全くない




雄大な景色に滑りを止めて見とれる




ラ・パルヴァの村はこぢんまりまとまって斜面に張り付いている 右上の雲らしきものは首都サンチアゴのスモッグだという



午前中の滑りの後、まずは乾杯!
 
 全員、昨日より滑りの調子が上がってきたようだ。特に今日滑っているコースはホテルより海抜が低く、真ん中辺で3100m、いちばん下のラ・パルヴァ村になると2700mくらいであろうか。空気もはっきり濃い感じである。ほんの数百mでも違いが分かる。そのため頭も体もすっきりしてきた。

 私が今日になってよくしゃべりだしたので、千葉さんが「オヤ、今日は調子良さそうですね」と笑う。他の人たちも頷く。

 昼食は集落の中のレストランで摂る。(左写真)まずはビールで乾杯。一部の方たちはソフトドリンクである。私も当地に来て初めてアルコールを飲んだ。体調が戻った証拠だ。アルコールと快適な滑りのためか、みんな笑いが絶えない。

 
 
 ガイドの「パテン」さんたちの写真が壁に貼ってあった。彼は「これがオレさ」とばかりに写真を指さす。むかしはガンガン、レースで飛ばしていたようだ。当地ではけっこう有名な人らしい。彼はいつも明るくひょうきんである。




モーグルもなくグルーミングができているので山全体がコースになる(フェロー・千葉氏撮影・提供)



自然と笑みがこぼれる仲間たち(フェロー・千葉氏撮影・提供)

 
 午後の滑りも快調である。写真のように、それぞれが笑顔、笑顔である。自然に包まれた圧倒的に広いゲレンデ、3mを超える積雪、良くグルームされた幅広いコース、待ち時間ゼロのチェアーとTバー、極端に少ないスキーヤーで貸し切り状態・・・日本国内ではこういう満足感は少ない。誰しも笑顔になって当然である。それにはるばるここ地球の裏まで来るような人は、「スキーが好きで好きで好きで仕方がない」人たちばかりなのである。

 問題があるとすれば、高地特有の強い紫外線である。たまたま50+の日焼け止めクリームがなくて、25+をつけていたが、あまり効き目はなく、コンガリ焼けて「逆パンダ」になってしまった。あるご婦人が「なぜか袖と手袋の間に隙間があったので、肌が時計の形に日焼けしました。」と笑っていた。



ホテル内にある露天風呂ならぬ温水プール(フェロー・千葉氏撮影・提供)

 
 ホテルに帰ってくると、スキー・ストレージに板・ブーツ一式を預ける。ホテル内は持ち込み禁止である。ただホテル内のエレヴェーターは大変鈍いので、なかなか部屋に帰れない。

 夕食までに時間があるので、外の温水プールに行く。シャワー室もロッカーもないので、部屋から海水パンツをはき、バスタオルを羽織って小走りにプールに向かう。気温は肌寒いが、中はやや暖かく時々は出て冷ます。

 薄暗くなるころは、山の向こうに沈む太陽と刻々変化する空の色、山の稜線のシルエットが織りなす造形が大変美しく、時が経つのを忘れてしまう。





【アンデス・スキー場の夕暮れ】 (はしもとしげる氏撮影・提供)





満天の星を見ながらの温水プールも夕焼けとはまた別の趣がある


  









南米・アンデススキー・顛末記(7)

Day 6
エル・コロラドとファルローネスの二つのスキー場で滑る(スキー三日目)



上手い人にとっては新雪を滑るのは快感だ 「ぼくの前に道はない、ぼくの後に道はできる」


 今日はこの地域にある4つのスキー場のうち、最後の2つを滑る日だ。三日目の天気もやはり「ピーカン」の快晴である。ここエル・コロラドは1940年に南米最初のスキーリゾートとして始まった歴史あるスキー場だそうで、「チリスキーの原点」と言えるかもしれない。標高がいちばん低いフェルローネスの村は、南米スキーが発祥した由緒ある村だそうで、どんな古さか楽しみにして出発した。

 
 千葉さんが「ここで写真を撮りましょう。」という。座る物があって背景も良い。ミシュラン・マップだったら、「ビューポイント」のマークがつくだろう。ちょうど下の写真の構図が望める場所である。

 取材で来ているスキー・ジャーナル誌のNさんに撮っていただく。多くの人が、持ちきれないほどのデジカメを彼に預けた。シャッターを切るたびにポーズを取ったが、終わりにはポーズづくりに疲れてしまった。


←リンク





スキーコースから見た景色 中央下方にホテルが小さく見える





人の少ない幅広中斜面は快適そのもの、変なコブもなくスピードもけっこう出る出る


 三日目にもなると、この巨大なエリアもだいたい様子と位置関係が分かってくる。簡単に言うと、今日のエル・コロラドとファルローネスは、ホテルのあるヴァジェ・ネヴァドと昨日のラ・パルヴァの間にあって、いちばんシンプルな形をしている。木も岩もない緩やかな三角形(円錐)で、非常に幅が広いのである。しかも、凹凸がほとんどない。だから子どもでも迷うことはない。大変滑りやすいのだが、私のような飽きやすい人間から言うと面白みがないのである。しかも写真を撮ってもやはり面白くない。ただ何かの練習に重きをおく人には向いているだろう。

 位置関係で言うと、エル・コロラドは上にあって、ファルローネスは下で高度がだいぶ下がってくる。その証拠に、エル・コロラドに比べて、雪質も積雪量もズンと落ちる。
         ヴァジェ・ネヴァド・トレイルマッ ラ・パルヴァ・トレイルマップ エル・コロラドトレイルマップ

 
珍しい木でできたTバー 
 エル・コロラドを下ってファルローネスに向かう。チェアに混ざってTバーが目につくが、何とそのバーが木製である。しかもなぜか止まっている。そこの係りのひょうきんオジさんは手持ちぶさたなのか、説明してくれたり何度も写真に入ってくれた。ラテン系とインディオの混血らしいが、明るいし親切である。


 私も海外スキー場ではかなりTバーに乗った?が、木製は初めてである。流石に南米最古のスキー場だ。だが何となく暖かさと人間味があって好ましい。木製といえば、アメリカ・ボストン地下鉄のエスカレーターは床も手すりも木製であったが、大都会にあって何かしらホッとするものがあった。

おいしいネスカフェ

 日本の地方のローカルスキー場の雰囲気を持つファルローネスは、こぢんまりした家々が小さな集落を作っている。スキー場がなければ、ただの山郷の村である。私たちはお茶をしに、スキー場の下端から数十mにあるレストランに入った。二階のテラスからは山々が望め、ロケーションは大変良い。コーヒーを頼んだ。時間的に言って食事時間から外れていたから、「早く来る」と思っていたのだが、何分待っても出て来ない。「これはきっと美味しい<アンデス風コーヒー>が出てくるに違いない」と思っていたら、大分経ってカップ、ポット他コーヒー一式が出てきた。

 誰かがポットをのぞき込んで、「あっ、ネスカフェだ!」と叫んだ。「ん?」「ナニ?」そのポットを見ると、お馴染みの茶色い粉がたくさん入っていた。しかも親切にもお湯まであって、セルフサービスになっていた。誰もが「これはきっとジョークだ」と思ったに違いない。日本のどんな田舎のカフェでもかならず「本物」のコーヒーが出てくる。例えて、友人の家に遊びに来た感じである。友人のお母さんが、「ここにコーヒー置いておくから、自分たちで入れて飲んでね」という学生時代を思い出す。さて、味の方は・・・・むろん言うまでもない。それでもちゃんときっちり普通の値段であった。千葉さんがまとめてお金を払ったが、ひょっとしてチップを上げたのではないだろうか?千葉さんは優しいから・・。




ファルローネスのカフェテラスから見る風景




ファルローネスの緩斜面をTバーでエル・コロラドに向かう




昼食をとったエル・コロラド・スキー場のレストラン


 昼食はエル・コロラド・スキー場のレストラン(上写真)で食べた。皆は地元名物バーベキュー「アンティクーチョ」を注文したが、私は量が多いだろうと思っていたので、ひとりハンバーガー(右下)を外で買った。ところがこれが曲者であった。直径が20cmはあるパンがパサパサで、水分が完全に飛んでいた。日本だったら4,5日前のパンである。中のミンチ部分は大きくて一見美味しそうに見えた。ところが冷め切っていたうえ、芯の部分はよく火が通っていない感じである。味つけもほとんどしてない。「涼しい」スキー場で、冷め切ったハンバーガーは心まで冷めてくる。二口ほど食べてから止めた。私が長い?人生で食したもっと不味いハンバーガーであることは「マチガイナイ!」 まわりのひとにも勧めてみたが、一口食べてから「うーん」と言って止めた。

 皆が注文したバーベキューがきて、その大きさに驚いた。(下左写真)金串の長さは少なくても50cmはある。それに石ころ大の牛肉が5つ6つ差し込んである。どう見ても、ジャイアント馬場や猪木に合ったサイズに見える。誰もが「大きいおおきい!」と騒ぎながら写真を撮ったり齧り付いている。となりの方が「まあひとつどうぞ」とくださった肉片は、硬い硬い!なかなか噛み切れない代物だった。チリの肉はとなりの南米最大・大食料生産国・アルゼンチンからの輸入品らしいが、こういう物を一生食べていると、さぞや顎が発達するだろう。唾液がどっと出て健康には良いだろう。私の趣味ではないが、「神戸肉だ、松阪牛」だと言う日本人にははっきり言って向いていない。



チリ名物のバーベキュー「アンティクーチョ」
 
思い出そうとして忘れられないチョー不味い特大ハンバーグ



初級者にも滑りやすいエル・コロラドのスキー場




シンプルで迷いようのないエル・コロラドのスキー場


 午後になってから雲が増えてきた。予報では明日は天気がくずれるという。やがてガスがかかってきた感じになった。帰りの時間が近づいてきたので、私たちは一度上まで上がってから斜めに下り、またリフトに乗ってヴァジェネヴァドに帰ろうとしていた。視界はだんだん悪くなってくる。私は雪が深いところで3mくらい切り立った場所から、すんでの所で落ちかけた。「あっ落ちる!」と思って出した声が、「ワオ!」であった。距離感、遠近感がないので、直前にならないと判断が付かない。あと30cm!というところで気づいてしゃがみ込んだのだ。後で聞くと、私の10mくらい前を進んでいた同行者は、真っ逆様に落ちたのだそうだ。幸い落ち方がよかったのと雪が良かったので、怪我もなくてすんだらしい。

 そうこうして最後のチェアー(リフト)まで下りてきた時まったく動いていず、かなり多くのスキーヤー・ボーダーが座り込んでいた。リフトの故障だという。よくあることらしい。ここからホテルは遙か上、見上げる位置にある。板をはずしては歩けない。そうこうしていると、戦車が来るような音が近づいてきて、コース整備用の雪上車がやってきた。これにロープを何本もつけて引っ張り上げるという。さっそくロープつけ作業が始まった。(左下写真)

 ロープがついたら、まず年長者、女性、ボーダーは雪上車に乗せられた。それから牽引が始まった。斜面をゆっくりゆっくり登って行くが、手だけで支えているのでけっこうシンドイ。(下右写真)雪上車に乗っている連中はいい気な物だ。ワアワア言って騒いでいる。手がだるくなった頃、やっと上まで帰ってきた。あ〜〜つかれた!これも私のスキーで初めての経験だ。ホント、チリスキーはいろんな経験をさせてくれる。



人牽引のため雪上車に何本もロープをつける



雪上車に引っ張られて滑る(千葉氏撮影・提供)

 
 夕食時にチリ人ガイド氏から参加賞ともいうべきバッジが渡された。彼のスキースクールの卒業証のような物らしい。3つある内で、最上級のバッジをもらったのだが、これは外交辞令を含めたものらしい。それでも良い記念になるので、素直に全員が喜んでいた。

 明日は希望者だけが午前中滑って、私たちは午後、サンチアゴ空港に向かって出発する。ただしここから後、希望者はペルーのアタカマ砂漠や空中都市・マチュピチュに行くので、総勢18人のグループは二手に別れることになる。


 

ヴァジェ・ネヴァド公式サイト ヴァジェ・ネヴァド・トレイルマッ
ラ・パルヴァ公式サイト ラ・パルヴァ・トレイルマップ
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