プサンへ上陸

                  
五六島

 「ボー」という汽笛の音で目が覚めた。どうやら停まっているらしい。窓の外を見ると、港外に停泊している。「下関‐プサン間は14時間」と書いてあるが、実際のところ、船の走っている時間はそれよりはるかに少ない。港は深い入り江になっており、その外に屏風岩がいくつもそそり立っている。本によると、「五六島」と呼ぶそうで、絵や写真になりやすい。海岸線に沿って、造船所、工場が並んでいる。湾の奥に波止場があり、貨物船がいる。市街は世界港町の例にもれず、全体に丘状でビルや住宅地がだんだんせり上がり、奥の山並みへと続いている。丘が高くなると言うことは、それだけ港の水深が深くなるということであり、湾に囲まれているということは、外海の荒波が来にくいということである。そういう意味では、良い港である。秀吉の文禄、慶長の役の時も、「日本軍」が二回ともこの辺りから上陸をしたという。

 下船の船内放送があって、船客はみな荷物を持って廊下に並ぶ。韓国人らしい人たちは、みんな手荷物が多く、特に電気製品の段ボール箱が多い。20年前ならいざしらず、電気製品や生活製品などの工業品は、韓国製が十分でまわっているのにである。筆者がアフリカのアルジェリアにいた頃、パリからアルジェに帰る飛行機は、フランスの工業製品から洋服・ベビーカーに至るまで山のように担いだアルジェリア人が多くいたが、この場合は、自分の国で作っていないか、極端に品質が悪いのだから、仕方がなかったのだ。

プサン市主要部 (赤下線が登場する地名)

 
それはともかく、船から降りると、世界共通の入国風景に出会う。入国審査である。韓国人(Korean)と外国人(表示はArien=エイリアン)(笑い話だが、これを映画の「エイリアン」だと思った人もいるという)の2種類のカウンターの前にそれぞれ一列に並び、パスポートに入国印を押してもらって、手続きは簡単に終了した。外に出ると、現地の旅行社の女性のガイドが迎えに来ていた。同じマイクロバスに乗ったのは、山口県の宇部からという来た若い女性2人で、筆者夫婦と合わせると、4人だけであった。旅行のコースに入っているという市内観光に出かけるらしい。