(上写真)デルフト・旧教会にあるフェルメールの墓(正確には記念の石碑?/1975)記録ではこの教会に埋葬されたという
「光と陰の画家」フェルメールは1632年にデルフトで生まれ、1675年に亡くなるまでこの地で過ごした
Delft, Nederland: Johannes Vermeer's Birth and Death place
デルフト・旧教会にあるフェルメールの「墓」(上写真で下部) 彼は子沢山で貧乏のうちに43歳で夭逝した
フェルメールの墓のある旧教会外観
フェルメールの傑作「デルフトの眺望」(部分)@MauritshuisMuseum, DenHaag
世界中から愛されている絵、フェルメール「真珠のイアリングの少女」もデルフトで描かれた@MauritshuisMuseum,
DenHaag
新教会外観
フェルメールは1632年にこの地で生まれ、この教会で洗礼を受けた 彼の祖父や両親もここに埋葬された記録があるという
オランダ建国の祖・オランニェ公ヴィレム(ウィリアム)の墓がある由緒ある教会である
市庁舎(中央):1653年4月5日、フェルメールはカタリーナ・ボルネスとここで結婚式を挙げた
いまでもここで市長の下で結婚式が行われる ここにはオランニェ家の人々の肖像画がある
関係サイトリンク:オランダ政府観光局・公式サイト・静謐の画家フェルメールの足跡を訪ねて
新教会側から市庁舎を望む
<フェルメールが生涯住んで愛した町・デルフト>
(リンク)
新教会前のマルクト広場にある「国際法の父」フーゴ・グロティウス(日本ではグロチウス)像
高校で世界史をとった日本人には、「戦争と平和の法」の著者として知られている
デルフト市長四期、名門ライデン大学理事を務めた父の第一子としてデルフトで誕生、
幼少より「神童」とうたわれ、11歳でライデン大学に入学した秀才、後に弁護士となる
オランダには、彼の「おかげ」で、デン・ハーグに国連機関の「国際司法裁判所」がある
新教会内のグロティウスの立派な墓
新教会内のオランダの祖、オランニュ家ヴィレムの棺
新教会の塔上からマルクト広場と市庁舎を望む
新教会の塔上から旧教会を望む
デルフト・新教会の塔上から見た家並みと運河
<参考写真・他都市のフェルメールの名前がついた場所>
フェルメール通り・・アムステルダム・ミュージアム広場近くの通り
「通り」を意味するオランダ語の"STRAAT"は英語で"STREET",ドイツ語の"STRASSE",フランス語では"Rue,Avenue"
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