当時はこの鉄条網に高圧電流が流れていた 絶望のあまり自ら鉄条網に触れて死亡する者もいたという

アウシュヴィッツ強制収容所
内部リンク:こどものための「アウシュヴィッツ強制収容所」





"Arbeit macht Frei" 「働けば自由になれる」という標語がある正門前 今日もイスラエルからのユダヤ人学生たちが歴史学習に訪れる






1943年7月19日「仲間をかばった」という咎で写真のポーランド人収容者が公開絞首刑に処された(上下)
「強制収容所」被害者はユダヤ人が有名だが、実際はポーランド、チェコなどの被占領国市民、ロマ(通称ジプシー)や社会主義者、同性愛者、反体制運動家も多い

参考:むかしナチ収容所にいた老人








居住区各ブロック間には高圧電流流れる(当時)鉄条網があった その間に通路がある 中央は監視塔で右の建物は収容者からとった品物や猛毒チクロンBが保管してあった






多くの者が銃殺された「死の壁」 灰色部分には無数の弾痕が残る たくさんの花束が供えてあった






ガス室(左)前の絞首台(復元)脇で「生き証人」から話を聞く学生たち 奥は死体焼却用煙突






ガス室(上写真の裏側から見る) 屋根上の小さな煙突状の場所から猛毒チクロンを投入する






ガス室建物外脇にある内部見取り図と説明 <C>がガス室






使用済みのチクロンBの空き缶の山 これで何人が殺されたのだろうか?






ガス室内部 天井にチクロンガスの投入口がある






死体焼却炉

参考写真:ダッハウ強制収容所の焼却炉






殺す前に収容者から取り上げた義足、松葉杖などが展示されている






館内展示には写真や資料だけでなく品物も多い これは「囚人服」






元居住区館内は展示館になっており、生々しい写真が数多く展示されている これは解放直後の収容者の写真






数多くの展示写真、資料のうちの「アンネ・フランク」の部分






展示写真・死体の山の若い女性






館内にある収容者用三段ベッド






連合軍(旧ソ連軍)に解放された直後の「運良く生き延びた収容者」たち (館内展示写真)
旧ソ連軍は「解放」された後もしばらくは「西側連合国」に当地を公開しなかったといわれる



<ご注意・特記>
 
 当ページ掲載の写真の一部施設はその様子から明らかに「戦後修復」されたと思われる物も多くあります たとえば「ガス室と焼却施設」や「絞首台」などは見かけから当時の物ではないと思われます それにも拘わらず、
ユネスコが「負の世界遺産」と認定し、ポーランド国政府が復興・運営していることは、世界の歴史や国際関係に重要な意義があり貢献する-と認定しているからです 従ってここでは、展示物一つずつの真偽より全体として見てゆくことが肝要と思われます

 アウシュヴィッツ強制収容所」"KZ Auschwitz (-Birkenau)"の名はドイツ名で、当地ポーランドでは地名はオシフィエンチムと呼ばれます 従って、当地の施設名も正式には「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」と呼ばれており、「アウシュヴィッツ強制収容所」は通称名です

 2003年2月のサイト・オーナーの訪問からはや5年以上が経過しました このページではすでに「子どものための「アウシュヴィッツ強制収容所に掲載の当時撮影の一部写真だけを拡大して再掲しています



<リンク>

ポーランド国立オシフィエンチム博物館公式サイト(英・独・ポ語)

内部リンク:子どものための「アウシュヴィッツ強制収容所」(日本語)

百科事典Wikipedia:アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所(日本語) 

世界の「アウシュヴィッツ関係サイト」検索結果一覧(英語)



      
このような大量殺人、殺戮はいずれの国であれ二度とあってはなりません
収容所内外で殺されたすべての方々のご冥福を心よりお祈りいたします
May all the souls shot and killed in the German concentration camps during WW2 sleep in peace.
May all the souls wounded and killed outside the concentration camps by NAZI sleep in peace.


  旅のイマージュ   
(C)2003,2008 All Rights Reserved by Kenji Kakehi











もどる