京の歴史に登場する寺社
歴史上の人物と縁の場所

大黒寺
 薩摩藩祈祷所(通称:薩摩寺) 
西郷隆盛縁 (京都市伏見区)



真言宗東寺派 大黒寺 本堂 墓地は裏手にある





薩摩藩主・島津義弘の守り本尊「出生大黒天」に因む










「寺田屋事件」で死亡した薩摩藩士を西郷が弔った 急進的尊皇攘夷派の藩士たちは島津久光の手の者たちに殺された
切腹も含め死者は
有馬新七以下九名 墓石の横にある碑文は、西郷隆盛筆名 (上下)





  

薩摩藩家老:
平田靱負(ゆきえ)の墓 幕府の命によって木曽川治水工事を担当 遅延等の責任をとり、詰め腹を切った
鹿児島では知らぬ者がいないといわれる人物 墓は左写真の説明の様に改葬された物




聖護院門跡 本山修験宗総本山(修験道中心寺院) 後白河天皇の子(親王)以降の門跡寺院 (京都市左京区)
和菓子の聖護院八ツ橋や、京野菜の聖護院大根・聖護院かぶ・聖護院きゅうり発祥の地



聖護院 多くの天皇・皇族と繋がりがあった 孝明天皇(明治天皇父)が一時仮御所として使用





聖護院 宸殿(左) 本堂(右) ともに江戸時代中期 本尊:不動明王 祇園祭の役行者山では聖護院が護摩焚きを担当





聖護院 宸殿  なお「聖護院」の名は当地の地名だけでなく、聖護院八つ橋や聖護院大根、聖護院かぶとして残る



積善院準提堂 聖護院門跡代行寺 光格天皇皇子聖護院 崇徳院・近松門左衛門縁 (京都市左京区)









崇徳院地蔵(人食い地蔵) 崇徳上皇が讃岐に流された後、京では動乱・事件がつづき「崇徳の祟り」とされため地蔵が作られ庶民が信仰したという



熊野神社 聖護院の鎮守社 後白河法皇は紀州の熊野神社を信仰し当社を整備 また足利義満は広大な社地を寄進 (京都市左京区)








知恩院 浄土宗総本山 法然上人 門徒であった徳川家康は寺地を拡大し諸堂を造営 (京都市東山区)



三門 (国宝) 日本最大の山門で壮大な規模である 徳川秀忠が寄進 江戸期に多くの堂宇が焼失するが徳川家光により再建



八坂神社 旧官幣大社 「祇園さん」と呼ばれる 斉明天皇期の高句麗人伊利之使主の創建 (京都市東山区)



南楼門 祇園を代表する神社





本殿横 この八坂神社や清水寺界隈の寺社には着物姿の若い女性が多い また近年は外国人女性の着物姿が目立つ



法観寺 
臨済宗 五重塔(通称:八坂の塔) 聖徳太子建立という



「八坂の塔」は八坂一帯の何処からも見えるランドマーク



金剛寺(通称:八坂庚申堂)
 天台宗 帰化系「
秦氏」の守り本尊 (京都市東山区)



本堂 二年坂の「八坂の塔」傍らにある インスタ映えするので若い人たちに大人気





若い女性はほとんど貸衣装の着物姿である 男性の着物もかなり見受けられる ぶら下がる丸い物は「くくり猿」という



高台寺 臨済宗 豊臣秀吉の正室・北政所ねね 徳川家康が配下に命じ造営に協力 (京都市東山区)



方丈から見る前庭と勅使門 枝垂れ桜は終わりかけ



高台寺塔頭 圓徳院 北政所ねねが晩年過ごした場所 ねねの死後、甥の足守藩主・木下利房が建立した木下家菩提寺



この襖絵は
長谷川等伯の山水図 (重文)




平安神宮 旧官幣大社 M28年平安京遷都当時の大内裏が実物の5/8で一部復元 平安京造営の桓武天皇を祭神とした (京都市左京区)



重文 応天門





重文 西歩廊 内部奥にある地泉回遊式の日本庭園「神苑」は国の名勝
近代日本庭園の祖といわれる作庭家
七代小川治兵衛の作 特に桜と紅葉の時期は見栄えがする


青蓮院(しょうれんいん)門跡 開基:最澄 (京都市東山区)



相阿弥
の庭 華頂殿(書院・右) 左手の小御所脇に秀吉寄進の「一文字手水鉢」がある また当寺で親鸞が得度した



将軍塚青龍殿
 山上にある青蓮院の飛び地境内 (京都市東山区)



 桓武天皇和気清麻呂と此処に上がり平安遷都を決めたという 写真左下部分が将軍塚で天皇縁の物
青龍殿裏にある大舞台から京都市内全域がほぼ一望できる



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