高知県・土佐清水市
Museum of the civilized man, John Munjiro in the late Edo-period and his
birthhouse (Tosashimizu city, Kochi pref., Japan)
ジョン・マン・ミュージアム正面入り口 John Mung Museum, Tosa-Shimizu city, Kochi pref.
正面入り口右側
正面入り口左側 (注:写真に日向部と日陰部があります)
「萬次郎と仲間達の群像」脇の説明板から
(以下ミュージアム内部展示)
帰国後、萬次郎は江戸に招聘され、軍艦教授所教授に任命された 「ボーディッチの航海術書」を翻訳し、教授した
1860年萬次郎は日米修好条約の遣米使節団の一人として咸臨丸にのる 船長の勝海舟が船酔いのため萬次郎が補助をした
土佐藩で聞き取りに当たった河田小龍(日本画家、思想家)は万次郎の話を記録し、後に『漂巽紀略』を記した
(注)展示物等のオリジナル・コピーライトは当該資料館等にあります
「萬次郎と仲間達の群像」 濱田浩造作 (海の駅あしずり駐車場) ジョン・マン・ミュージアム近隣
<中濱萬次郎生誕地・高知県・土佐清水市・中浜(旧中ノ濱村)>
生家(復元) 中浜(旧中ノ濱村) Reconstruction of John Mung's birthhouse
生家(復元)内部
すぐ近所にある萬次郎の母の実家 建物は現代の物だがご子孫が在住されている (説明板あり)
旧居前にある萬次郎たちが使ったという井戸 (説明板あり)
(関連写真)
生家の近くの足摺岬に立つ萬次郎像
(外部サイトリンク)
中濱(ジョン)萬次郎(Wikipedia) ジョン万次郎資料館(公式サイト)
(関連:土佐偉人銅像案内図)
(高知県須崎市裏ノ内 「横浪黒潮ライン」パーキングエリア・案内図)
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K30
土佐藩で帰国後のジョン万次郎を取り調べた河田小龍
は京狩野派の流れをくむ日本画家であった
河田小龍 虎図 「安田町並み交流館 和」(高知県安芸郡安田町)蔵