クラシック・むかしのコンサートティケットの思い出
古いことなので記憶が曖昧です 間違っていたらごめんなさい ティケットはほんの一部の抜粋です(S44-50ごろ)


 
 S44年4月に就職しましたが、初任給手取りが24000円ポッキリ。家賃、食費を払ってしまうと、後にあまり残りません。そういう中での1500−3500円は大金でした。学生時代は、NHK-FMのクラシックアワー専門でしたから、高くても「生」が聞けるのは幸せなことでした。勤務終了後、勤務先から岡山倉敷のコンサート会場まで行くのは大変なことでした。それでも夕食を飛ばしても駆けつけました。

 初めてのコンサートは、左上のヴァツラフ・ノイマン指揮のチェコフィル(左上端)でした。すでに大学の時よりカレル・アンチェル指揮のドヴォルザークの9番(スプラフォン原盤=日本コロンビア盤)をLP盤がすり減るほど聞いていました。この演奏は今でも心に焼き付いています。残念ながらアンチェルは、「プラハの春」事件でカナダへ亡命しており、後任のノイマンでしたが、それでも弦のいぶし銀のようなビロードのようなすばらしい音、木管の人間味のある音に感動しました。彼らにとっては、同国人ドヴォルジャックの9番などは、ソラでひける「手(掌)の中に入った曲」のような気がしました。「生はすばらしいものだ!」と知らされた夜でした。

(付録・カレル・アンチェルの墓参り2003.3)・・やっと念願を果たしました

 このグループの中でもう一つ忘れられないのがあります。それは、倉敷市民会館の「こけら落とし」に呼んだユージン・オーマンディーフィラデルフィア管弦楽団のムソルグスキー「展覧会の絵」の演奏でした。岡山県初の音楽が演奏できる会場で、あの華麗なサウンド=分厚い金管が鳴り響いたときは、本当に鳥肌が立ちました。

 イ・ムジチ合奏団はトップが好きなフェリックス・アーヨではなく、ロベルト・ミケルッチだったと思います。それでも弦がきれいでした。ドイツ・バッハ・ゾリステンヘルムート・ビンシャーマンのオーボエが大好きでした。彼のバッハは楽しいバッハです。スメタナ弦楽四重奏団はおなじみ「アメリカ」と「アイネ・クライネ・・」だったと思いますが、聞き慣れていたので心に染みました。これらは全部好きなグループでした。

他のティケット:スビヤトスラフ・リヒテル

 
 あのオーマンディー以来、倉敷市民会館には地元の山陽放送が創立20周年記念ということもあってか、どんどんオーケストラが来るようになりました。今までの岡山市民会館は、戦後もしばらくあった「岡山市公会堂」(現在の県庁敷地内駐車場あたりか?)よりは音はマシでしたが、なにせ多目的ホールで音はこもりひどい音がしていました。倉敷も「多目的ホール」ではありましたが、音響の専門家が設計したとかで、当時は感心する音でした。


 こういうところで初めてあの名門ウィーンフィルを聴いたのです。当時は新進気鋭のクラウディア・アッバードが「未完成」とベートーヴェンの7番を振りました。ウィーンフィルのこなれた音に感心しました。音楽が流れていきました。またザンデルリンクドレスデン国立歌劇場を聞きましたが、当時はまだ「東ドイツ」のオケで地味なしかし正統的な音でした。またロリン・マーゼルベルリン放響の「オイレン・シュピーゲル」を聞きましたが、オケとしてはウィーンフィルよりはオチルようでした。


 このころもう一つ伝統的オーケストラを聴きました。戦前の日本にも馴染みがあったアムステルダム・コンセルトヘボウです。指揮は長くこのオケを振ることになったベルナルト・ハイティンクでしたが、彼のダイナミックな指揮に引き込まれました。こうしてこの頃までには、ヨーロッパのメジャーオーケストラをかなり、聞き耳が肥えてきました。

 
 この欄のいちばん上にあるのが、旧ソ連でNo1の歴史と実力を持つレニングラード・フィル(現サンクト・ペテルブルク・フィル)です。私はすでにこのオケは聞いていましたが(ティケットは未掲載)、若い指揮者だったものですから、「いつかはエウゲニ・ムラヴィンスキーで聞こう」と思っていました。そしてやっと彼が来ることになりました。大変喜んだものです。左のティケットの写真も彼のものです。しかし直前になって、病気のためまたもや若い指揮者に変わり大変落胆しました。長くこのオケを振るムラヴィンスキーは、完全にこのオケを掌握し、その冷徹なまでの指揮はしびれるほどのすばらしいものだったのです。(実際はレコードでしか知らない=古いがDGGの実況録音でチャイコの4,5,6番がいい。後にLDで練習風景まで見られたが・・)かれはまたショスタコーヴィッチの作品をほとんど初演していました。こうして「生」の姿にはとうとう会えませんでした。

 またこの頃3人のピアニストの音も聞くことができました。すでに以前にソ連のリヒテルを聞いて感心しておりました。いままで私の周りにいたピアノを引く人たちは、あんなスゴイ音は出しませんでした。別の世界を覗いたような気がしました。ただリヒテルは気むずかしい人だったようで、直前にならないと曲が発表されないと聞きました。東ドイツのシュミットは女性とは思えないダイナミックな解釈で迫力がありました。後にソ連からイギリスに亡命したユダヤ人のアシュケナージは、ロンドンのレコードでよく聞いていましたので、すんなりと聞けました。あとで楽屋で色紙にサインももらったので、特に馴染みがあります。彼のチャイコフスキーの協奏曲一番とラフマニノフ二番は大好きです。私はなぜか雨の日になると、この曲が無性に聞きたくなります。ドイツを代表する若手エッシェンバッハはすっきりした印象が残っています。ベートーヴェンあたりが得意ではないでしょうか?私はDGGに早く入れた彼の協奏曲一番が若々しくて好きです。

 
 
この左枠の一番上にある小さな券がヘルベルト・フォン・カラヤンベルリン・フィルハーモニーによる「第20回大阪フェスティバル」の初日のものです。岡山から新幹線に乗って大阪中ノ島まで行きました初日ですから、雅楽のセレモニーが最初にありました。曲はブラームスの4番でした。あのカラヤン独特の世界が広がりましたが、後ろの壁際の安い席だったので、音がこもって抜けの良い感じではありませんでした。それでも田舎のホールで聞くのとは違って、指揮者楽団員共々力の入った演奏で、「流していない」感じでした。やはり東京や大阪で聞くほうが、演奏は良いのだと気がつきました。演奏がすんで何度出てきてもカラヤンはアンコールはしませんでした。やがて出てこなくなったので、楽屋に行きサインをもらおうとしましたが、すでに隣のホテルに帰ったとかで、仕方なくコンマスのミッシェル・シュヴァルベにサインしてもらいました。シュヴァルベは優しい人でした。(DGG、カラヤン=ベルリンフィルの古い録音「シェヘラザード」のソロは彼です。甘い音色です。)

 後日神奈川県民ホールでチェリビダッケ指揮読売日響で同じ4番を聞きましたが(一番下の券)、まったく別物というくらい違う曲でした。最初からテンポが大変遅く、同じベルリンフィル常任経験者でもこれだけ違うのは驚きでした。

 
ジャン・ピエール・ランパルは「天才」と呼ばれていましたから、どんな演奏だろうと思って聴きました。なるほどどんな曲でも楽そうに吹いてしまいました。ただオケが悪く、とても気の毒でした。ヴェニス合奏団(イ・ソリスティ・ヴェネティ)はなぜか印象がありません。イ・ムジチのほうが好きだったからでしょうか?

 
これ以降、以下たくさん入場券はありますが、このころほどの強い印象はありません。
いずれおいおいに・・。         

 なお「日本のコンサートは高い」と知ってから、最近は国内ではほとんど行かなくなりました。もちろん値段だけでなく、演奏会場の豪華さ、音づくりのすばらしさ、会場の雰囲気なども「本場」はすてきです。

<その他のティケット>
ゲンナディ・ロジェストヴェンスキー 國立モスクワ放響(May11@OkayamaCivicCentre)
                                                曲目不明