Praha/Prague, Ceska Repblika/Czech Republic
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<ヴィシェフラド>「高い城」 チェコの人たちの心のふるさと スメタナの「我が祖国」にも登場する 墓地は教会のそばにある |
スメタナの墓 Smetana,No.261 No.1の前で大変分かりやすい |
ドヴォルジャック(ドヴォルザーク)の墓 Dvorak,No.20 墓地の境界にある屋根付き廟の中 |
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墓ナンバー「1」の合葬モニュメント R.Kubelik,No.1 たくさんの有名人が合葬される クーベリックは左横奥にある 他に画家ムハも合葬されている |
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アンチェルは筆者の大好きな指揮者の一人 やっと探し当てた喜びで思わず墓を抱える 彼の録音ではドヴォルジャックの 第9番「新世界から」、「モルダウ」は絶品 (CDは日本コロンビアで入手可能) |
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カレル・アンチェル Karel Ancerl,No.59 (CPOサイトより転載) Karel Ancerl(Biographie link) CPO chief conductor(1950-68) アンチェルのCPO先任指揮者,ヴァツラフ・ターリッヒ アンチェルは指揮法を彼に習った |
カレル・アンチェル、1908年Tucapy生 ユダヤ人でテレジエンシュタット、アウシュヴィッツ ナチス両強制収容所の「生き残り」 元チェコフィル主席常任指揮者 1968年の「プラハの春」後、亡命先カナダの トロント響指揮者、1973年7月3日彼地で客死 当墓地での埋葬には、CPO後任の ヴァツラフ・ノイマンが立ち会った ヴァツラフ・ノイマン |
「墓を探せ」"Find a Grave"サイトに筆者がカレル・アンチェルの墓の写真を投稿・掲載
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<<<<<< 当墓地の墓の氏名、元職業、位置などをまとめた本(下) >>>>>>
(チェコ語・現地にて購入)
筆者注:この本のドイツ語解説(部分)によると、この墓地は記述に残っているものとしては、
1660年から始まったが、実際は11世紀までさかのぼるといわれる。
(最初のボヘミア王国・ヴラティスラフ1世)。文化知識人の名誉墓はおよそ600基ある。
なお、1991年発行のこの本には、指揮者アンチェル、クーベリックの名前はない。
”Find-a-Grave"web−siteより別途に検索した。
<この墓地にいる他の著名な埋葬者>
ヴァツラフ・スメターチェック(もとチェコフィル指揮者)No.221
1986年2月18日プラハにて死去
<参考資料:プラハの他墓地にいる有名人>
フランツ・カフカ 作家 シュトラスニッツのユダヤ人墓地
<参考資料:チェコフィル指揮者:ヴァツラフ・ターリッヒ>
Vaclav Talich, CPO conductor before Ancerl
ヴァツラフ・ターリッヒ:チェコフィルでアンチェルの先任、「伝説的指揮者」
引退後、プラハの西のBerounの家で1961年3月16日死去、享年78歳
"Quelques interpretes"より転載訳