国指定史跡・続日本百名城 別名:久米城 鳥取県米子市
米子城 三の丸から見上げる天守台 下段は二の丸で城主の御殿や藩の役所が置かれていた
城の案内図 三の丸広場設置
城の整備図 米子市立山陰歴史館
本丸掲示の説明板 関連城跡:鳥取城
二の丸表御門跡 枡形入り口 上段は二の丸
門内にある枡形 各幅20m余のほぼ正方形 二の丸に続く
旧小原家長屋門 元来の建物でなく、米子城主荒尾氏の家臣であった小原氏屋敷の一部を移築 二の丸
本丸、内膳丸に向かう石段
本丸最下段につづく石段 上は番所跡
湊山90m山頂部にある天守台部 三段の石垣最上部が天守台(右)と四重櫓台(副天守台)(左) 石積みが見事である
山頂部にある天守台部 三段の石垣最上部が天守台 手前石垣は四重櫓台
米子城 復元模型図 四重櫓と天守 米子市立山陰歴史館
番所跡 中央奥上は中国地方最高峰大山1721m
副天守台石垣下から鉄御門へ
副天守台石垣
本丸に続く鉄御門跡 最後の天守の防御
本丸より見下ろす中海 標高90m 向こうは島根半島 当時は水軍がいたという
遠見櫓跡より内膳丸跡(中央右上)を見下ろす 丸山52m 二重櫓と武器庫があった 右上が日本海
本丸端にある天守礎石 しっかり礎石が残る
天守台から見る副天守台 古い天守といわれる 中央上は雪の残る大山
水手御門跡から本丸方を見る
水手御門跡から本丸石垣を見る 付属の石垣(中央下)は下部の内膳丸に続く「登り石垣」で尾根上に築かれた
副天守台から見上げる天守台
副天守台を見上げる登城石段 上部中央奥が鉄御門
<米子市立山陰歴史館>
米子城近隣の城と城跡 米子市立山陰歴史館
米子城の鯱 米子市立山陰歴史館
米子城の瓦 米子市立山陰歴史館
初代城主中村氏系譜 米子市立山陰歴史館
米子城が「一国一城令」の例外の説明
米子城は鳥取城の支城扱いであった 関連内部リンク城跡:鳥取城
関連内部リンク: 備前国天城・藤戸寺と池田氏天城陣屋と墓所
米子城預かり 池田氏・荒尾氏系図 米子市立山陰歴史館
(注:池田恒興と元助は長久手の戦いで戦死、由之は部下に殺される)
全国の城跡研究に盛んに使われる赤色立体地図
米子市立山陰歴史館
歴史館入り口の掲示
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