~戦国の梟雄・城取り物語~
岡山三大河川・吉井川河口傍にある乙子(おとご)城祉 遠望しても分かる標高約47mのこんもりした丘陵 (岡山市東区乙子)
乙子城祉を背景にある巨大な石碑 「宇喜多直家 国とりはじまりの地」
参考:戦国の三梟雄・・斎藤道三・宇喜多直家・松永久秀 (織田信長、北条早雲など諸説あり)
石碑の説明(部分)
石碑にある当時の地図
乙子城祉登り口
途中にある「大國主命」と書かれた社
乙子山頂上の本丸部 かなり狭い 部下も三十余名と少なかったらしいので守りやすかったかも
このころ部下の生活が苦しく近辺で強盗略奪をしたという記録がある
本丸部の説明板 かなり痛んで疵が入っていて見づらい部分がある
・・・遡って
吉井川を遡ると鎌倉期には栄えていたという備前福岡の荘に辿り着く 「一遍上人絵伝」にも登場する町である
さて上記説明板にあるように、祖父能家は急襲されて自害、父興家と八郎(後の直家)は福岡荘の豪商阿部善定のもとに身を寄せた
日蓮宗・教意山妙興寺 山門脇の石碑に「黒田官兵衛父祖之墓所」とある (瀬戸内市長船町福岡)
妙興寺説明板
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亀山城(沼城)
宇喜多直家が主君浦上宗景より賜る 岡山城(現在のではなく石山付近?)に移るまで当城にあった (岡山市東区沼)
直家が攻めた天神山城本丸 (和気郡和気町)
城主浦上宗景は毛利と結び勢力を拡大した また宗景は織田とも結んだが家中の宇喜多直家は反旗を翻した
直家は天神山城を攻めたが内応者もあり、城主は播磨に遁走した
龍ノ口八幡社拝殿 奥に神殿がある 左奥に深い井戸が残る 此処が龍ノ口城祉と思われるが表示も明確な遺構も不明 (岡山市中区)
宇喜多直家によって落城した玉松城(備前金山城) 松田氏の山城 本丸跡にある松田氏慰霊碑 (岡山市北区御津)
直家が大勝した明禅寺城
明禅寺城祉最上部(本丸) (岡山市中区沢田)
明禅寺城祉最上部の説明板 キズ汚れがあります
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