国史跡・日本百名城・日本さくら名所百選(岡山県津山市)
津山城・備中櫓 2005年復元
森 忠政像
信長家来・「本能寺の変」で最期を遂げた森蘭丸の弟 1603年美作国十八万六千五百石で津山入封
津山藩はのち結城秀康曾孫の松平氏が入封し明治までつづく
最大門の表中門と備中櫓
三の丸 春になると見事な桜満開となる
切手門付近から備中櫓をみる
本丸から備中櫓(左)と天守台(右)をみる
城内櫓数は六十数櫓で日本最大級
天守台と備中櫓(右)
天守台 地上五階、塔層型、M7~8年に破却
天守台から多聞櫓(手前)、備中櫓(奥)を見下ろす
復元備中櫓の上層 藩主座
<城東地区>
津山城(上地図で左)の川東は「城東地区」で元武家屋敷でのち町屋
「城東地区」の「作州城東屋敷」
「作州城東屋敷」脇の「寅さん」最終作ロケ地」の碑
「作州城東地区」は街中を「出雲街道」が貫く 街道は京まで達する
「作州城東地区」にある国指定史跡・箕作 阮甫旧宅(みつくりげんぽ)
箕作 阮甫(藩医・蘭学者)像 (箕作阮甫旧宅展示写真)
箕作 阮甫(藩医・蘭学者)旧宅内部
箕作 阮甫旧宅内部展示
箕作 阮甫(藩医・蘭学者)像 (洋学資料館)
<津山洋学資料館(城東地区)>
敷地内にある宇田川氏胸像(宇田川玄随、宇田川玄真、宇田川榕菴、宇田川興斎)
他の内部展示は撮影禁止
宇田川 玄随像
玄随は医学者、蘭学者 代々江戸詰の津山藩医を務める家系に生まれる 元来は漢方医であったが、
杉田玄白・前野良沢らと交流するうちに蘭学へと転向し、大槻玄沢の芝蘭堂で学ぶ
宇田川榕菴像
幕府の翻訳機関である蛮書和解御用(東京大学源流の一つ)での百科事典『厚生新編』翻訳に玄真・榕庵が参加
宇田川家墓地は浄土宗・泰安寺(津山市)にある 玄随、玄眞、榕菴が眠る
当寺は津山藩主森家並びに松平家菩提寺でもある
<箕作家墓地(城東地区)>
阮甫の父母、兄の墓
箕作阮甫本人の墓は東京の多磨霊園にある
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