吉備の国歴史散歩
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籠石式古代山城(こうごいししき・こだいさんじょう) きのじょう 国史跡・日本百名城・七世紀後半 (岡山県総社市)

鬼ノ城遠望(西門) 標高397mの山頂部に所在する

鬼ノ城西門(復元)

白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷は倭防衛のために西日本に多くの防御施設を築いた
この山城は他の山城と異なり史書に記述は無いが、発掘調査の結果7世紀後半と推定され時代的にも合致する

西門(復元)内側

鬼ノ城地図 石垣に囲まれた城郭部は一周約3km弱で面積は約30ha 内部に池と水門を構えた大規模な城である

外側から見る西門(復元) 石よりも版築土塁を多用する 版築は型をはめ土を突き固める工法で長く用いられた
比較的堅固なことから、現代でも奈良・法隆寺の塀などにも使われる工法である

西門上にある紋章群 近畿など他地方遺跡出土の紋章を使用したという

西門脇の版築土塁と石垣部(復元)

北門跡 門は復元 門の中心線には7世紀後半としてはめずらしく排水溝がある


北門下の石垣部 7世紀の城としては石垣築城技術が高い

鬼ノ城ヴィジターセンター下の睡蓮池
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平安期山岳霊場・室町末期廃寺(岡山県総社市)

岩屋寺参道の石仏群

岩屋寺参道の石仏群


岩屋寺観音堂

岩屋寺毘沙門堂

毘沙門堂横の巨大な岩座「鬼の差し上げ岩」 「桃太郎伝説」の鬼のモデル温羅(うら)の隠れ家だという



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水墨画・室町時代の画聖・禅僧 (備中國赤濱・現岡山県総社市)

画聖・雪舟等楊の生家跡に立つ石碑 現在は周辺には何もない

石碑 碑文はかなり風化し読みにくい
碑文を読んだ優れたサイトの紹介
ブログ「紀行歴史遊学」私家版雪舟伝
<雪舟・参考写真>

雪舟等楊が少年時修行した寺 臨済宗・寶福寺 (総社市井尻野)
臨済宗・井山寶福禅寺・公式サイト

同寶福寺方丈前にある「少年雪舟像」 涙で描いた鼠の絵のエピソードはあまりにも有名 舞台となった方丈は焼失し、後年再建した
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羽柴秀吉の「中国攻め」の際の水攻めで知られる城跡・国史跡・続日本百名城 (岡山県岡山市高松)

本丸跡は周辺より僅かしか高くない まさに低湿地に浮かぶ城であっただろう 梅雨の時期といい水攻めの条件が揃っていた


「高松城水攻之図」 画面に映り込みがあります

高松城水攻めで有名なこの場所は現在「高松城址公園」になっている 他の場所から移築された蔵が資料館となっている
元々低湿地のため石垣よりも土塁で築城された

本丸跡の清水宗治首塚

本丸跡の辞世句碑 「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」

近隣民家の庭に残る宗治の胴塚


近隣の高松山妙玄寺にある清水宗治自刃地の碑および墓碑 当時は水のあったこの付近の船上での自刃であったと伝わる

妙玄寺にある顕彰碑
<参考写真:高松城資料館展示品>

資料館にある宗治の陶像(平川忠氏制作)

資料館にある別の俯瞰航空写真
写真上に貼った毛糸(当時の堤)の右端が現存築堤跡の蛙ヶ鼻(下写真) 直線部分脇は現JR吉備線が走っている

資料館:蛙ヶ鼻にある岡山市教委の説明板

蛙ヶ鼻の史跡公園 上の堰き止め堤跡が僅かに残るが、これも鉄道工事で土を取られた後で元は倍の幅であったらしい

蛙ヶ鼻の史跡公園 堰き止め堤跡の最端部の石碑 堤でいちばん高い場所でもある 向こうの田の高さが0m地点

蛙ヶ鼻の史跡公園 堤の基底部に残る杭の跡 排水の用水路と思しき遺構

蛙ヶ鼻の史跡公園 堤の基底部に残る俵跡 墓地も含め近隣から急遽土をかき集めたため俵内にあった人骨も出土している

蛙ヶ鼻の史跡公園 並ぶ残石群 左の少し高い場所が堤防跡と推察される
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