山中城
国史跡・日本百名城・中世山城祉・小田原城支城・箱根十城・北条氏政 (静岡県三島市)
駐車場から山中城への登り口の堀 山中城は北条氏康がつくった小田原城の西の防衛拠点 箱根山の地形を利用した城
北条氏と秀吉の関係が悪くなると改修を始めたが、戦闘に間に合わず「小田原攻め」をむかえた 城兵四千に対し豊臣軍四万のため、わずか半日で落城した
地形を利用した濠は田の畝状構造で「畝堀」といわれる 用水を貯めた水堀だが山城では珍しい 右が西の丸
上部の西櫓側から見下ろすこれも「畝堀」 構造がよく分かる 左が西の丸
西櫓側から見下ろすこれは障子の桟様なので「障子堀」という 三島市の保存整備のため堀の様子がよく分かる 右が西の丸物見台
西櫓側から見る西の丸の物見台
西の丸物見台から見下ろす障子堀
西の丸から本丸への上り 張り回った木の根がスゴイ
本丸堀 堀は深く斜面は急である
山中城の最高地点・天守台 後世の植樹等で何も残っていない
天守台より見下ろす本丸 藤棚辺に広間があったという
本丸下の堀 桟部分に水を通す溝があることから水堀だとわかる 地元三島市の整備保全が素晴らしい
本丸から二の丸をみる 橋は本丸西橋 半分が土橋でのこり半分の木橋を落として敵の侵入を防ぐ 右上が西の丸
下部にある二つの池のひとつ、田尻の池、馬の飲料用の池だったという
二つの池のもうひとつの箱井戸、ここからは多量の水が湧きでていたという ここは山城でも水の心配はなかった
旧三の丸にある宗閑寺の武将の墓 右が豊臣方の先鋒、一柳伊豆守直末 左が北条方、城主松田右兵衛太夫他の墓
「呉越同舟」であるが後世の設置であろうか、勝利した豊臣方の墓の方が大きいのは当然か
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