Mr.Conductor のパナマ通信 
パナマ共和国は北米と南米の接点
「パナマ地峡」にある国
「パナマ運河」で知られる小さな国である

(右地図:Wikipediaより転載)
「ミスター・コンダクターのパナマ通信」
"
Mr.Conductor's Panama Report"

Latest-update: Aug.07, 2017
  (第一部) 著者の「ミスター・コンダクター」氏は長年勤め上げたカタイお仕事を退職されて、「第二の人生」としてヴォランティアでパナマ共和国に住まわれました 個人的には岡山県の地方都市で長い間アマチュアオーケストラ・瀬戸内室内オーケストラを主宰・指揮をされてきました 今回奥様共々「体験」される熱帯で元スペイン植民地でカトリックのこの国は、ほとんどが日本とは異なり、毎日が「異文化理解」だったようです 現地でのお仕事の忙しい中で、新鮮な現地生活レポートを寄せてくださいました
下線部クリックで各項目につながります
パナマの食べ物 パナマの果物 パナマの音楽事情(1)
クラシックはあるか?
パナマのいい所
パナマの蝶 パナマの音楽事情(2)
国立交響楽団
コイバ島紀行 パナマの花グアヤカン
パナマのビール パナマの言語 パナマ人の休日
の過ごし方
カスコビエホの景観
  (第二部) ミスター・コンダクター」氏は二年間の滞在のあと帰国されましたが、2015年、今度は単身で再びパナマを訪問されました 「これを読めばパナマが分かる」という力作レポートをご覧ください ・・・そして2017年、合計4年間の任務を全うされ帰国されました お疲れ様でした
再びパナマから 三顧の礼
食のレポート パナマの音
パナマで見る日本車 クリスマス 三顧の礼ふたたび  機械加工精度/完成度
お米いろいろ 料理用バナナ・プラタナ トップダウン組織 ボケテ紀行
パナマ運河第三レーン開通 路上販売 シーシャンティ 通勤事情
パナマの日本人、日系人 干しレンコン 科学技術と大学のあり方他
最終回(まとめ)  






 
第二部 再びパナマから No.1  2015 / 7 / 25
1.まえがき
 6 月 29 日にパナマに到着し、7 月 6 日から JICA シニアボランティアとしての業務 を開始しました。もうパナマに来て一か月近くなります。 テレビの番組では「日本人が 99.99xx%行かない国」になっているパナマですが、中 米の中では比較的日本でも知られている国ではないかと思います。この機会に皆さんに パナマのご紹介をいたしたく存じます。 中米には小さな国がたくさんあります。パナマは中米の一番南米寄りに位置してい ます。歴史的にはコロンビアの一部だったこともあります。

   
                          (C:Yahoo,Japanより転載)

 上の図ですぐにわかるように、南北アメリカはこのパナマでかろうじてつながって います。もうちょっと引き延ばしたら陸地がちぎれて太平洋と大西洋がつながったかも しれない。そうすれば海上交通にとっては好都合だったと思うのですが、あいにくなこ とに陸続きとなってしまい、これがためにここにパナマ運河があることはご承知の通り です。パナマの人口は 370 万人(2012 年統計)で国別順位は 126 位です(ちなみに日 本は 10 位)。面積は北海道より少し小さいぐらいです。世界にたくさんある小国のひと つと言えます。

2.気候
        

 パナマの緯度は北緯 9 度です。今 7 月の太陽は少しばかり北側に寄っていますが、 だいたいにおいて太陽は真上からがんがん照り付けます。昼の時間は一年を通じて 12 時間に近い長さです。たとえば岡山ですと夏と冬で昼の時間は 4 時間以上違いますが、パナマではせいぜい 1 時間ほどの違いになります。いつも朝 6 時ごろ陽が昇り、夕方 6 時ごろ陽が沈みます。

 12 月から 4 月にかけて、パナマは乾季です。この時期をパナマの人は「夏」と呼び、 4 月から 11 月の雨季を「冬」と呼びます。でも気温はそう変わるわけではなく、平均 気温は年間を通してだいたい 30℃です。日本人は「冬」なら寒く「夏」なら暑いと思 うでしょうが、それは緯度の高い国の事情で、「冬」と「夏」の定義は国によっては違 います。「夏」には 3 か月近く雨が降らないので、木々は葉を落とし、草は枯れ果てま す。従ってパナマでは葉っぱが繁るのは「冬」ということになります。

         

 さて、雨季と言っても日本の梅雨のように一日中雨が降るということはまれです。 だいたいスコールが一日に一回か二回やってきます。どしゃぶりになり、二時間以内に やみます。土砂降りの時は傘もあまり役に立たない上、あちこちで道路が池のようにな るので歩行は困難を極めます。私もこのようなときは雨宿りを決め込みます。長くても 二時間待てばやむので、あえて濡れて行くことはありません。そのかわり、約束には二 時間ぐらい遅れることもありますが・・・それは当地の事情でしかたがありません(晴 れた日でも二時間ぐらいの誤差があるのは困ったことですが)。 これは以前にアパートの窓から撮りおろしたパナマの雨の写真。土砂降りのイメー ジができますでしょうか?

3.マンゴー
          
 
 私が通っている大学はパナマ運河のほとりにあり、古くはアメリカの借地でした。 アメリカ人はここにたくさんのマンゴーの木を植えました。今それらは大木になって 我々のために涼しい木陰を提供してくれます。7 月から 8 月にかけてはマンゴーが熟れ る時期です。大きな木に何百とも何千ともしれない実が付きます。 マンゴーは実が重いので、枝いっぱいに実ると、果実の重みで大きな枝が折れるこ ともしばしばあります。

         

 たまにはマンゴーを落として食べようとする人がいますが、だ いたいにおいて落ちるに任せていて、拾いもしません。大きな木から自然落下したマン ゴーはたいてい割れてしまい、それを鳥が喜んでつつきます。これからしばらくはマン ゴーが腐った甘酸っぱいにおいがそこここにただよいます。せめてネットでも張ればマ ンゴーが落ちたときに割れないで採集できると思うのですが、マンゴーはそれほど努力 して収穫するようなものではないようです。

         
                 
  「腐ってもマンゴー」で私にとってはとてもおいしいのですが、パナマのマンゴー は世界的に見るとおいしい方ではないようです。最近日本で作っているような高品質の マンゴーや台湾などで売っているとろけるようなマンゴーには到底及びません。すじっ ぽかったり、すっぱかったり、固いこともあります。現地の人はマンゴーを短冊に切り、 塩を付けて食べたりします。一種の浅漬けみたいなものでしょうか。 昨日露店で 3 個 1 ドルで買ったマンゴー。私の手は大きい方です。現地の人は「マ ンゴーを金を出して買うなんてアホな」とあきれる。

         

  マンゴーを食べられる幸せ、仕事をしながらパナマ運河を通過していく船をながめ られる幸せ、仕事が進まなくても気にしないという幸せ、などなど、パナマならではの 幸せもいろいろあります。その幸せの国パナマの、今回は気候の話とマンゴーの話でし た。ごきげんよう。

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第二部 再びパナマから  No.2 2015 / 9 / 15
             
        <三顧の礼>
一人暮らしの食のレポート>

パナマに来て2か月半がたちました。もう2年の任期の1割は消化してしまったわけです。ちょっとあせりを感じる今日この頃です。パナマだより2号をお届けします。今回はパナマの人の考え方について若干切り込んでみました。

1.三顧の礼

三顧の礼という言葉は皆さんご存じと思いますけれども、三国時代の中国で蜀の国主である劉備玄徳がそのころ名前もよく知られていなかった諸葛孔明に対し、蜀の国づくりに参加してもらうために三度訪れて彼の出御を実現したという故事からの言葉です。目上の人が目下の相手を尊重して説得するという態度のことと解釈されます。

ここパナマでは目上、目下を問わず三顧の礼はあたりまえです、という話をします。 

一人の教授から、廃油の処理の研究をしたいから手伝ってくれと言われました。大学の研究活動ですから知的興味から出発するのも良いけれども、できることなら社会に貢献できるような成果が出るようにしたい。そのためには現実に廃油がどう処理されているのかを知る必要がある、と私は言いました。現実の処理方法をよく知れば、その中に多くの技術的なヒントが隠されているし、問題点も見えて来る、と考えたのです。

教授は私の提案を受け入れ、友人がいるという廃油処理会社に見学に行こうという話がまとまりました。セニョール田中、来週の水曜日だぜ、と。

で、その水曜日が来たので、その会社を訪問すべく準備をして大学に行きました。そうすると、「セニョール田中、これから連絡をとるから今日はだめだ。来週水曜日にしよう。」

彼はパナマの人にしては約束を守る方だと思います。なぜなら、水曜日ということを覚えていたからです。しかし、何の段取りもしていなかった、というところはさすがにパナマですね。

さて、次の水曜日がきました。私は今日こそ見学に行く日だと思って支度をして大学に行きました。そうすると教授は「セニョール田中、今日だぜ。今日先方に電話するんだ。」

ああそうなのか。やっぱりな、とも思いましたが、でも前進していることは確かです。教授は、「来週水曜日だぜ、大丈夫か?」と言い、私は大丈夫と答えました。

次の水曜日です。だいぶ怪しいなとは思いましたが、行けるように準備を整えて大学に行きました。教授曰く「セニョール田中、大学の車で行く。それにはあらかじめ申請を出さないといけないんだ。今日申請書を書いた。ここにある。これを出したら次の水曜日に行くんだ。」

ついにあとは車の段取りだけというところまでこぎつけたわけです。すばらしいことです。私は次の水曜日を心躍らせて待ちました。

次の水曜日、今度は教授ではなく、交通係りのボスが、「セニョール田中、今日10時に車を出すぜ。」と言ってくれました。これで間違いはない。ついに見学が実現するのです。

10時の予定が突然9時半になりましたが、そのようなことは小さなできごとです。私と教授は運転手付きの大学の車に乗り込みました。片道1時間のドライブです。通る道はソベラニア自然公園の中を突っ切っていて、道すがら手つかずの大森林を見ることができました。「来てよかった!」

目的の廃油処理会社はパナマ市(太平洋側)とコロン市(カリブ海側)を結ぶ幹線道路に面していて、山を切り開いてタンクとボイラーを設置してありました。船舶から出る廃油の処理をやっているとのこと。廃油処理の会社にしては全体にきれいで、きちんと管理されていることをうかがわせました。教授は勇んで玄関を入り受付のおばさんに来訪をとりついでもらっています。すると、

「オーナーは今日は別のところに行っています。技術的なことは彼しかわかりません。」

またまた、「やっぱりな」と思いました。パナマでは別に珍しくはありません。教授は「セニョール田中、来週水曜日に来よう。オーナーもいると思うぜ。」

このとき、標題に書いた「三顧の礼」という言葉が頭の中にひらめきました。そうか、まだ一回しか来ていないんだから、もう二回ぐらいは来ないといけないかな・・・。

さてここが日本なら、最初の水曜日に連絡もついていて、車の段取りもできていて、先方も事務所で待ってくれている、というのが普通でしょう。いっぺんにそこまで行ってしまうというのはさすが日本と言えます。一方、手順が一つずつしか進まないのはここパナマでよく見られる光景です。がんばっていっぺんに用意すればその方が効率的じゃないのか、というのは日本人の発想で、一つが済んだら次、というのがパナマの発想なのです。

さて日本人のあなたはこのような目にあったときに怒りますか?もし怒るとしたらそれは

         日本の常識 = 正義

と思っているからではないでしょうか。常識は国によっても個人によっても違うものです。常識は正義ではありません。常識はストレスを少なくしてその社会で生きて行くための知恵というようなものです。要するに妥協です。もし異なった常識が受け入れられなければストレスを感じながら生きていく必要があります。ストレスを感じなくなったら、あなたの常識がその場所の常識に適合したからに相違ありません。

常識の違いというものはいろいろ面白くて、今後も話題にしたいと思いますけれども、とりあえず、

         常識 ≠ 正義 (常識は正義ではない)

と思うのです。そういう考えは、違う常識の中で生きて見ると腑に落ちるのです。「いやいやおれの常識こそ正義だ。周りのやつが間違っている。」と言う剛の者もいますけれども、私にはできることではありません。

パナマの人はどうかというと、パナマの常識が正義だとはおそらく思っていません。パナマの人がパナマ以外のところに行くとちゃんとそこの常識に従って行動するのです。例を挙げましょう。

私の行っている大学は船員の養成大学です。もし船員が仕事の上で時間を守らなかったらただちに解雇されます。しかしパナマの船員が時間を守らなくて解雇されたという話は聞きません。普段あれだけ時間にルーズでも(約束の時間についてはまた別途お話しする機会もあるかと思いますのでそのときに詳しく・・)いったん船に乗って仕事を始めればちゃんと時間を守るのです。彼らの常識が変わるわけです。そうしてパナマに帰ればまた時間にルーズなパナマ人に戻るということになるのです。

さて話題をもどして、廃油処理会社の見学ですが、来週の水曜日はどうなるでしょう。三顧の礼で済むか、十顧の礼ぐらいまで行くか、今後が楽しみです。


2.一人暮らしの食のレポート・・・海産物の話

一人暮らしだと食事の時間も内容も自由です。

「腹減ったー。もうごはんにしようよー」とか、

「ちゃんとご飯を炊いておかずも作らないとだめ」とかいう人がいない。

汗だくで歩いて帰ってきてシャワーを浴びて、ああもう面倒くさいなあ、ビールとつまみでごまかすか。などということも可能です。

それでも、多少は健康のことも考えますし、何といってもフルタイムで働くにはそれなりにエネルギーを補給しなければやれません。

そこでよく作る献立としては

焼き飯

焼きそば

魚の唐揚げ

鶏肉と野菜のいためもの

白菜とシーチキンのいためもの

ビフテキ

などがあります。あんまり煮物はしないですが、これは好みの問題ですね。

ビフテキなんて日本だとハレの日しか出てきませんけれども、ここパナマでは牛肉は安いのでちょっと食べるのに便利です。なんせ肉をフライパンに乗せて焼けばいいんだからこれはごく簡単食であることに間違いはありません。

食の話をしだすときりはないので、今日はパナマの魚の話をしようと思います。

パナマは太平洋とカリブ海に面しています。人口の多くは海岸線に住んでいる。

従って魚は普通に流通しています。

パナマで一番人気は「コルビナ」。

知り合いの魚博士が言うには、日本の「ニベ」に近いとのこと。

下の写真はひれを切ってしまっていますからちょっと形がおかしいですけれども顔はこんな感じです。写真上側が本体、下は頭を落として二枚に開いたところです。

このコルビナは確かにたいへんおいしい。パナマの人たちはこれに粉を付けて揚げるか、もしくは香味野菜と酢漬けにします。私も揚げ魚は好きなので小さいコルビナ(25cmぐらい)は塩をして唐揚げにします。これは絶品と言えます。

我が家独特の料理法は、締めコルビナです。大きめのコルビナを選び、締めさばを作るのと同じように塩、酢、昆布で順番に締める。できた締めコルビナは冷凍できるので冷凍しておき、来客があったりしたら出す。これは日本人にはすごくうけます。任国外旅行でパナマに来る青年海外協力隊の人たちは必ずしも魚が手に入るところには住んでいないので、赴任してはじめて魚を食べた、涙が出て来る、などという人もいます。

締めコルビナを小さく切って酢飯に混ぜると我が家風五目寿司になります。これもなかなか好評です。まだ試していないですが、さしみもいけるんじゃないかと思います。こんどやってみよう。
          
                 コルビナ

        
                締めコルビナ
  塩と酢で締めた二枚の魚肉の間にだし昆布をはさんでいる。このまま冷凍する。

コルビナは一番人気ですが、では二番手は?

二番手は鯛です。

パナマの人は鯛もコルビナと同じく、揚げ物にするか酢漬けにします。それ以外の料理はない。

私の場合は、鯛はさしみにしたり塩焼きにしたりしています。どちらも日本人向きのごちそうになります。鯛の塩焼きはパナマの人もおいしいという人がいます。

パナマでは魚の価値は「揚げてなんぼ」ということになっています。従って揚げたらおいしくないカツオなどは極めて安い。だいたい赤身の魚は揚げるのには適さないので評価が低いのです。でも魚市場に行くとマグロやカツオも売っている。パナマの人はたいていこれらも揚げて食べています。

魚市場でみかける魚はこれ以外にシエラ(さわら)、ラーゴ(すずき)、コヒヌア(アジ)などがあります。

4年前に最初にパナマに赴任した時はよく魚市場に魚を買いに行きました。新鮮な魚は魚市場で選ばないとなかなか手に入らなかったからです。しかし魚市場でも結構古い魚があって、よく選ばないと腐りかけの魚などをつかまされたものです。魚市場では並んでいる魚を選んで「これをちょうだい」と言われてから腹を開いて内臓を出す。なので少し古くなると血糊の部分が臭いだしてそのにおいが魚肉に移ってしまい、食べられるしろものでなくなる。入荷したらとにかく腹を開いて内臓を出せば良いのですが、そうしない。ひとつには魚は重さで売るので、内臓をとってしまうと軽くなるからではないかと推測しています。

ところが最近スーパーマーケットでは入荷後すぐに内臓を取り除き、氷に埋めて保管している魚を売るようになりました。これは今のところ100%新鮮でおいしく食べられる。それで私は無精をして魚市場に行かず、近くのスーパーで魚を買っています。スーパーでは普通コルビナと鯛しか置いていないけれども、まあそれだけあればさしみ、締め魚、揚げ物、塩焼きなどなんでもできちゃう。多少割高かもしれないけれどもらくちんです。

ちなみに値段はだいたい1kg8ドルといったところです。

下の写真は地方の漁港で魚を買っているところです。漁港で直接買えば新鮮なものが買えます。これらの魚はこれから炎天下、冷蔵設備もないトラックで市街に運ばれるのでしょう。

まあパナマの魚屋の店先には日本とそう変わらない魚が並んでいるということですね。沖縄などに行くと見たこともない色とりどりの魚を売っています。パナマは熱帯ですがそんなにめずらしいような魚は売っていません。シュノーケリングなどをするとド派手な魚も見ますけれども、あえてそんなものは食べないのでしょうか。



田舎の漁港で上げたばかりの魚を買う人(買っている方は日本人です)

     
    首都の魚市場
 この魚市場は日本の資金協力によって建設されたので、
パナマの国旗と日本の国旗が外壁に描かれている。
一度「日本大使館に行きたいんですがあそこですか?」
と聞かれたことがあった。

・シガテラ毒の話

パナマに二回目に赴任してすぐにこの話を知り合いのボランティアから聞きました。カリブ海の島ではシガテラ毒の恐れがあるので魚はある期間食べないとか。

首都の魚は主として太平洋側から来ているようですし、これまでシガテラ毒の話は聞いたことがないから大丈夫だろうと思っていました。ところが最近になってパナマの人から、「寄生虫がいるから3月から6月までは魚を食べないようにしている」と言われてびっくりしました。パナマでその話を聞いたのはたった一件だけなのでたいていは大丈夫なんだろうと思っています。というか思いたい。

・牡蠣の話

最初にパナマに来た時にホームステイでごやっかいになった夫婦のところに遊びに行ったら牡蠣をごちそうしてくれました。パナマでは牡蠣はめったに手に入らないとのことで、わざわざ私の訪問に合わせて準備してくださったのだとか。パナマ風に玉ねぎ、トマト、にんにくなどといっしょに煮てありましたが大変おいしかったです。ちなみにパナマでは養殖物はなく、すべて天然物でしょう。


パナマでごちそうになった牡蠣

 あとがき

エル・ニーニョの影響とかでしばらく雨の少ない日々が続きましたが最近は平年並みにもどりつつあるように見えます。雨が少なくなってパナマ運河の水位が下がると通過する船舶に喫水を浅くするようにお願いしなければなりません。パナマ最大の産業であるパナマ運河の命運を握っているのは雨なんですね。雨は生活には不便ですがまずこれでパナマ運河が大丈夫だと思うとなんとなくほっとするような気がします。

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第二部 再びパナマから  No.3 2015 / 10 /30

 <1.パナマの音楽> 

パナマにのクラシック音楽事情については4年ほど前に知り合いの方が運営されているホームページに二件ほど掲載していただいたので、今回は省こうと思います。ご興味がおありのかたはこちらから閲覧をお願いします。

http://konotabi.com/PanamaReport/top.htm 

今日はクラシックから離れて、パナマオリジナルの音楽、という面からお話してみたいと思います。総合的に論評できるほどパナマの音楽を勉強したわけでもないので、断片的ですが、いくつかのパナマの音楽をご紹介します。 

(1)パナマティピコ

「ティピコ」はスペイン語では典型的な、という意味です。パナマの演歌ともいえるでしょう。細かくは存じませんが、西隣のコスタリカも東隣のコロンビアもメジャーな音楽はティピコとは全く異なっています。これはまあパナマ独特の音楽と言えるでしょう。

ティピコの楽団はアコーディオンを弾きながら歌を歌う男性がリーダーとなり、それに補助ボーカルみたいな女性がいて、あとパーカッションやギター、ベース、キーボードなどが付くというのが標準的です。アコーディオンの代わりにバイオリンというケースもありますし、フルートなどの演奏も聞くことがあります。主旋律を歌うのは例外なく男性で、女性は下旋律を歌ったり掛け声をかけたりすることが多いようです。

ちゃかちゃかした打楽器のリズムの上に歌を乗せながら進行します。一曲の中で歌が半分、演奏が半分というぐらいの比率が多いようです。

このティピコはパナマの伝統的な踊りの伴奏音楽として発達したのではないかと想像していますが、きちんと調べて言っているわけではありません。

音楽から少し脱線しますが、このパナマの踊りは男女同数で踊られるのが普通で、写真のような白を基調とした服を着るのが一般的です。この白色は日本の服にはない、本当に真っ白というような色調です。女性の服は上手に座ると真ん丸に広がります。女性の服や装飾品には大変なにお金がかかるとのことです。男性は白いシャツに黒いパンツが一般的で、帽子をかぶってポシェットを肩にかける、というスタイルです。この帽子は踊りの中で重要な小道具として使われます。

  
パナマティピコの踊り

   
上手に座るとこんな風に真ん丸になる            ティピコの楽団

音楽の方は文章で書いてもなかなかわかりづらいですから、ユーチューブが聴ける方はこちらで聴いてみてください。ここではパナマで一番人気の「Los Sentimientos del Alma」を聞いてみましょう。「本当の心」とかいう意味かと思います。 

https://www.youtube.com/watch?v=jDWog3XV4lA 

この曲のコード進行は

Dm A  A  Dm Dm Gm Gm A  A  Dm

Dm Gm C7 F  Dm A  A  Dm Gm A  A  Dm

・・・・・・・・・・

F  C7 Gm C7 F  C7 Gm C7

F C7 F C7 F C7 F C7 ・・・・・・・・・・

シンプルなコード進行ですよね。最後のところは二つのコードだけでつながっていき、ここに自在なアドリブを乗せまくり、興が乗ればいくらでも行ってしまう。

雄叫びのようなかけごえも結構素敵だと思うのですがいかがでしょうか。

日本のポップスなどですと、だいたい最初に主旋律が出て中間に別の旋律が入り、またもとの旋律にもどる、という形式が多いですね。クラシックのソナタ形式なども再現部といって元の旋律が戻ってくるところがあります。ところがディピコの場合、いくつかの旋律が次々に出てきますがそれらは多くの場合再現しません。つまり、旋律A、旋律B、旋律Cと現れてそれで終わり、ということが多いのです。

曲には歌が付いていますが、演奏の比率も大きく、興に乗ればアドリブでどんどんつなげていく。

楽譜を作ってチェロで演奏してみたら、なんだか結構わくわくしてきて、体の中が沸騰するような気がします。こんな感覚は今まで演奏したほかの音楽にはちょっとない。ただ、チェロではアコーディオンのような細かい動きはやりにくいので、いくらか加減しないと私の腕ではこなせない。それがやや残念というところです。 

(2)クナ族の音楽

パナマのコロンビアに近いカリブ海側はサンブラス諸島と呼ばれて美しいカリブ海の景色が広がっています。経済発展している首都とは行き来もなかなかできない、一種隔絶された世界です。そこにはクナ族と呼ばれる人たちが住んでいて、自給自足に近いような生活をしています。首都にもそれらの人たちが現金収入を求めたりしてやってきているのですが、ときどき公園などで踊っているのを見かけます。


サンブラス諸島 三年前に行ったときの写真

その音楽はかって聞いたことのないような不思議な音楽です。悲しいとか、うれしいとか、そういう感情を超越してしまっているような音楽、と思っています。

この音楽も踊りが付くのですが、「あんたがたどこさ」みたいに、二チームが向かい合って踊るような踊りです。派手ではないのですが小さく飛ぶ動作が多く、体力の要る踊りです。

次のビデオはケーナのような笛で演奏しています。完全に音にしないで、スカみたいな空気音をリズム楽器のように使っていて、それが一種神秘的な雰囲気を演出しています。 

https://www.youtube.com/watch?v=clOoZZkTptI 

このクナの音楽は興味深いので、もう少しどこかで聞く機会がほしいなあと思っています。

(3)パッシージョ

パッシージョはもともとはコロンビアの音楽のようですが、パナマのパッシージョも素朴でとてもすてきです。

まず一曲聞いてみてください。パナマ生まれのトランぺッター、ビティン・パスがすばらしい演奏をしています。曲は「El Suspiro de una Fea」、「卑劣な溜息」、とでも言うのでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=6y_MGjq8hhI 

この演奏はアドリブもなしの本当に素直な演奏ですが、ひどく惹かれるものがあります。

ラテンの打楽器の伴奏が入っているのでラテン音楽として納得できますが、メロディーだけを楽譜にして眺めるとなんだかバロック音楽のような端正な音楽を感じます。それだけにクラシックをやってきた目から(耳から)するととっつきやすくてわかりやすい面も持っています。

初めて私が演奏したパッシージョは「Brisas Mesanas」、「そよ風と帆」という美しい曲でしたが、伴奏がメロディーと違うリズムを繰り出すので最初は何度もわからなくなりました。この曲はパナマで一番美しい曲と今でも思っています。ここでは透明感のあるジャズの演奏を紹介しましょう。 

https://www.youtube.com/watch?v=94zpbHhqXz0 

お時間があればこの曲を最初に教えてくれた友人の歌手、パトリシアの演奏も聞いてみてください。 

https://www.youtube.com/watch?v=f3syIVe1mw4 

パッシージョのリズムは3/4のリズムと6/8のリズムが混ざり合っていて、ちょっと肩透かしを食いそうなものです。下記のリズム型はパトリシアが教えてくれたのですが、先のビティン・パスの演奏のリズムセクションのものとはアクセントの場所が違っています。演奏者や地方によって違うのかもしれません。 

    

(4)日本で一番有名なパナマの曲

パナマ発祥の曲で日本で一番有名な曲は「Una Historia de un Amor」、「ある恋の物語」という曲ではないでしょうか。まずこれ以外で普通の日本人が知っているパナマの曲があるとは思われません。この曲はパナマの伝統音楽ではなく、流行歌というかポピュラーというか、比較的新しい音楽です。

以下は布施明が歌っているビデオですが、驚いたことに彼は全曲をスペイン語で歌っています。 

https://www.youtube.com/watch?v=1MS1gt9W4pQ 

ちなみに、日本の曲で国際的によく知られているのは言わずと知れた「上を向いて歩こう」です。JICAの研修で日本に行ったことのある同僚が外国人ばかりのパーティーでこの曲をみんなで歌い、どこの国の人もこの曲を知っていることに大変驚いた、と言っていました。 

(5)パナマの人はどういう音楽を聴くのか

ティピコ、クナ、パッシージョ、ポピュラーと四種類のパナマの音楽を紹介しましたが、ではパナマの人はパナマの音楽ばっかり聴くのかというとそうではありません。中南米にはたくさんの国があってそれぞれに音楽のスターがいます。「おれはキューバのだれそれが好きだ」とか、「ブラジルのあいつが好き」とか人によっていろいろで、本当に多彩な音楽環境なのです。タクシーに乗るとたいてい運ちゃんが好きな音楽がかかっていて、「これいいね」と言うと得意になっていろいろ教えてくれたりします。 

以前、パナマジャズフェスティバルを聞いた経験からすると、パナマのジャズのレベルは高いと思います。しかしながら、日常あんまりジャズは聞こえてこない。クラシックとなるとさらにさらに日常聴くことはありません。パナマの人たちのほとんどはパナマを含めた中南米の音楽を聴いているように思います。 

中南米の人たちにとって音楽はご飯を食べるのと同じぐらい大事です。「衣食住音」という言葉があっても不思議ではないくらい、音楽さえ聞かせておけばごきげんという人たちです。パナマは中米の小さな国ですが、音楽の風景は多彩で独特のものを持っています。日本にいるとあえてパナマの音楽を聴く動機はないでしょうが、私は幸いか不幸かパナマに来てしまったので、この多彩な音楽を楽しむチャンスに恵まれて幸運と思います。おそらくコロンビアとかアルゼンチンとか、もっと大きい国になるともっともっと多様な音楽を持っているのだろうと思います。気が遠くなるような話で、まあパナマぐらいでちょうどいいかもしれません。

 


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第二部 再びパナマから No.9  2017/8/1


  パナマだより 9号(最終号) 

今年6月28日に二年の任期を終えて帰国しました。最後のパナマ便りを帰国前に出したかったのですが、忙しさにとりまぎれて帰国から一か月以上たった今、皆様にお送りすることになりました。 

1.よびかけ言葉と敬称 

 日本は人に呼び掛ける言葉が少ないように思います。「あなた」、とか、「お客様」、などはよく使われますが、「おう、そこの若いの」とかいうのはあんまり使われませんね。パナマでは呼びかけ言葉は結構たくさんあり、良く使われもします。
 また、人の名前を正式に呼ぶ場合は敬称が必要になります。ミスターXXとかいうあれですね。以下に呼びかけ言葉と敬称を紹介しましょう。

<呼びかけ言葉>

Señor, Señora, Señorita セニョール、セニョーラ、セニョリータ

 英語のMr, Mrs, Missに相当します。名前を知っている人は名前で呼びます。「もしもし、そこのあなた」、という場合にはこの呼び方になります。年上の人へのていねいな呼び方として、セニョールやセニョーラが使われることもあります。

Amigo, Amiga アミーゴ、アミーガ

 「友人」と言う意味ですが、知人に対して呼びかける時に使います。男性はアミーゴ、女性はアミーガです。オの段で終われば男性、アの段で終われば女性です。街中で知らない人から言われたら、言った人は「ポン引き」の可能性もありますから用心した方が良いでしょう。

Hermano, Hermana エルマノ、エルマナ

「兄弟」という意味で、実際の兄弟同士の呼び掛けにはもちろん使いますが、親しい友人の場合も使用可能なようです。アミーゴと同様、知らない人から言われたら要注意。

Paisano, Paisana パイサノ、パイサナ

「同胞」という意味です。知らない人とすれ違いざまによく言われます。「おはよう」ぐらいの軽い挨拶と思っても良いでしょう。若干「おれと同じ貧しい人」(あるいは庶民)というニュアンスも込められている気がします。と言うのも、たいてい労働者風の人から言われる言葉で、ジャケットを着た人に言われたことはないからです。

Corazón コラゾン

心臓という意味ですが、「私の大切な人」という意味で使われることがあります。

Compañero, Compañera コンパニエロ、コンパニエラ

同僚という意味です。親しさの表現としても使われます。

Joven ホベン

「若いの」というくだけたいい方です。目下の人に対して使われます。大衆食堂でウエイターを呼ぶときなどにも使います。

Chico, Chica チコ、チカ

 Jovenとほぼ同義に使われますが、よりかわいい言い方です。Jovenはややマッチョな言い方と言えます。チコは小さいという意味で、たとえば「コーヒーを小さいカップでひとつください」という時には、ウンカフェ、チコ、と言います。

Muchacho, Muchacha ムチャチョ、ムチャチャ

 勤務先の大学では学生を指すときにこの言葉をよく使います。呼びかけ言葉としても一般的です。ChicoJovenと同じく、若い人たちに対してよく使われる言葉のようです。

Amor アモール

アモールは愛のこと。恋人や仲の良い夫婦の呼びかけとして使われます。 

<敬称>

Señor, Señora, Señorita セニョール、セニョーラ、セニョリータ

Mr. Mrs, Missと同じです。

Maestro, Maestra マエストロ、マエストラ

 学校の先生や何かを教えてくれる人に対して使われます。修士の称号としても使われます。修士の場合はMgterと書くこともあります。

Doctor, Doctora ドクトール、ドクトーラ

 日本と同じく、博士号を持っている人あるいは医者に対して使われます。

Profesor, Profesora プロフェッソール、プロフェッソーラ

 スペイン語では先生はProfesorで、英語のTeacherProffesorの区別がありません。小学校の先生ももちろんProfesorです。英語圏ではProfesorの地位は高いですが、スペイン語圏ではそうでもないということになります。

Capitán カピタン

 船長や機長に対する敬称です。敬称としては上位に属します。そのほか職名の呼びかけとしてPresidente(社長、大統領)なども使われることがあります。

Ingeniero, Ingeniera インヘニエロ、インヘニエラ

 中南米特有の敬称と言えます。インヘニエロはエンジニアのことですが、専門知識を持った高い地位の人、技師長、あるいは技術系や専門職の重役に対して敬称として使われます。私が着任した頃は「セニョールタナカ」で呼ばれていましたが、時間が経つにつれて「インヘニエロタナカ」に昇格しました。

Director, Directora

 課長、部長クラスの職名ですが、敬称としても使われます。 

2.フィエスタ(パーティー)

パナマの人の楽しみのひとつはフィエスタ、つまりパーティーです。特に多いのが誕生日パーティーで、前号でも取り上げましたが、職場では朝開催されることが多いですが、夜のこともあります。私も一人暮らしという事情もあり、ときどき人を呼んで飲んだりしました。以下にいろいろなパーティーを紹介しましょう。

  
  家内が帰国するということで若い人が集まって送別会 

    
  日本から来客。日本酒を持ってきてくれて若い人が集まった。

  
  お世話になったパナマ人の家族を呼んで

  
  誕生日パーティー。はりこんでホテルのバーで行った。
  マリアッチの流しのバンドと誕生日の本人。

  
   事務所の誕生祝朝食パーティ。

 
  バンドの練習後ちょっといっぱい、というパーティー。

 
  事務所のクリスマスパーティー。これは昼だった

 
  若い人を呼んで飲み会。結婚の話で盛り上がる。

 
  青年海外協力隊が主催した日本文化紹介の行事のあと、
  関係者のご苦労さんパーティー。私は料理担当で寿司を作った。

 
  知人の息子の誕生日パーティー。これは夜にあった。

 
  帰国するボランティアの公式送別会。ちょっと高級なレストランで昼食。

 
  大学全体のクリスマスパーティー。大学のきれいどころたち。
  このあとダンスが始まった。

3.中国の影

 パナマは2017612日に中国と国交を結んだと発表した。パナマは一つの中国を支持しており、従って台湾とは断交することになる。 

私はこれまでに勤務先の大学の様々なイベントに参加しました。エンジンの起動デモ、学生からの感謝状の授与、電機に関する講演、父の日のイベントでのバンド演奏、研究活動への寄与に関する学長からの記念品贈呈などです。

このようなイベントが行われると、UMIP(パナマ海事大学)の広報グループが写真やビデオを撮影します。私の関与したイベントの写真も広報部がたくさん撮って行きました。普通ならFacebookTwitterUMIPのページにこれらが掲載されます。ところが、私が表に映っているイベントの写真やビデオは一切これらのページには載らないのです。

あんまり気にはしていなかったものの、離任直前の私の活動がかなり派手だっただけに、それが載らないのは何か理由があるのではないか、と疑いを持ちました。

Facebookでは韓国の商船大学との交流が載っています。また、学長は近々中国を訪問するといううわさも聞いています。もし訪問すればそれもここに載ることになるのでしょう。

中国や韓国の関係者はおそらくこのFacebookTwitterのページに注目しているでしょう。全くの推測ではありますが、同じページに、JICAのボランティアが活躍しているという事実が載っては決定的にまずいとUMIPが考えているのではないかと思っています。

中国は今世界中に資金をばらまいて中国との関係を結ぼうとしています。巨大な国を養って行くためには世界中に大きな市場が必要になるのでしょう。もちろんパナマ運河も中国にとっては重要なポイントです。パナマを抱き込むための手は着々と打たれているようにも思われます。

パナマでは日本の資金供与による鉄道3号線の建設が本格化しようとしています。しかし現段階では実際に工事をするのが日本の企業であるかどうかは決まっていません。今は見積もりの段階なので、調査費用はすべて日本の企業の持ち出しです。もし見積もり資料が中国に漏れた場合は(それは十分あり得ることのように思えます)、インドネシアの高速鉄道と同じように「とんびにあぶらげ」になる可能性も否定できないように思われます。

パナマにある大きな中国人学校には台湾の旗が掲げられています。これは今後どうなるのでしょう。しのびよる中国の影は、もはや影ではなく現実のものになりつつあるようにも思われるのです。

4.パナマの公共交通

最近首都には地下鉄が通ったとはいえ、これはごく一部の区間で、パナマの公共交通機関は主としてバスとタクシーです。バスの料金は市内均一25セント、高速道路を使うバスは1ドル25セントです。日本のバスに比べてかなり安い乗り物です。タクシーも私が通勤の時に乗ったりする程度だと2~5ドルというところで日本の基準から見ると大変安い乗り物です。経済弱者に対するセーフティーネットとして料金を安く抑えているのではないかと思います。ちなみに地下鉄は35セント均一料金です。

  
 パナマの地下鉄

五六年前までは通称ディアブロ・ロホ(訳すと「赤い悪魔」)と呼ばれるバスが公共交通のほとんどを担っていました。ディアブロ・ロホは交通局の管理下にあるものの、個人の運転者がバスを携えて商売をしているいわば出店型の営業です。従ってバスの管理は所有者がやっていて、自由に派手な塗装を施し、車内には好みの音楽をガンガン鳴らし、中にはあまり整備が行き届かずにぼろぼろのシートだったり、床に孔があいていたり、といった状態でした。その名の通り、運転は荒く、運転手の対応は乱暴で、よく事故もありました。このバスはアメリカのスクールバスのお下がりで、出入り口が前方に一か所しかなく、混んでくると乗り降りが大変です。座席は右に二人、左に三人のシートがありますが、これは子供が座る場合の基準の寸法ではないかと思います。よく太ったパナマのおばさんがよっこらしょ、と座ると大変窮屈になりますが、それでも皆おしあいへしあいしてなんとか座ります。

混雑の中でパナマ人と同じようにふるまうのはストレスも多く、渋滞でなかなか前に進まない、冷房もきかないし、といった具合で、このバスにはめったに乗りませんでした。そのかわり歩いていたわけですが、歩く方が遅いとは決して言えないような交通状態だったので、歩くのも快適だったのです。今は多少交通状態が改善されて、歩くよりはバスの方がちょいと早い、ぐらいにはなっています。


ディアブロ・ロホ     


ディアブロ・ロホ 夜間



     ぼろぼろのシート
            

                   
                 バス同士の接触事故
       

            
              メトロバス(うしろはディアブロ) 

しかし、その後、政府が運営するメトロバスという近代的なバスが走り出し、現在では首都のバスのかなりの車両がメトロバスになりました。このバスはバスカードで乗車し、座席はゆったりしていて、乗車口と降車口が分かれており、冷房もきいていて、ディアブロの時代に比べれば大変楽です。

このバスが走り出したころは、「メトロバスはディアブロのような乱暴な運転はしない」という思想があったと見えて、ディアブロの乱暴な運転を横目に、大変行儀の良い運転をしていました。ところがほとんどのバスがメトロバスになってしまうと、もとのパナマ人気質が再燃してきたらしく、今は暴走、急ブレーキはあたりまえで、中には生き残りのディアブロとバスチェイスをやるものまで現れ(先日、いつもなら20分ぐらいかかるところを12分ぐらいで突っ走ったバスに乗った。このときは本気で身の危険を感じた。)、車内では常に何かにつかまっていないと危ないような状態になっています。メインテナンスが悪くて冷房のドレンがびちゃびちゃ座席の上に漏れて来るなどというのも最近はよく見かけます。

              

 地方に行く長距離バスは日本でいう観光バスのタイプ、もしくはマイクロバスです。二階建てのバスもあります。大型のバスは快適ですが、少々冷房がききすぎていることがあり、はおるものが必要です。

このタイプのバスの多くは韓国製のようです。上の写真は私の乗った長距離バスが途中で冷却水温が上がって走れなくなってしまい、救援のバスを待っているところです。これに限らず、バスの故障はよくあり、その場合は途中で降ろされることになります。

5.パナマは変わる

私は20113月から20133月までJICAシニア海外ボランティアとしてパナマに住み、パナマでボランティア活動をしました。その後二年ほど日本で仕事をしたのですが、縁あって再度、20156月から20176月までパナマで同じシニア海外ボランティアとして活動しました。

2011年にはじめてパナマに来た当時のことを思い起こしてみますと、この5年でいかにパナマが変化したか、ということをひしひしと感じます。

私がまだ小学生の昭和30年代ころは、日本が敗戦から立ち直って復興に転じた時代でした。そのころの日本はものすごい勢いで変わっていました。小学校一年の時メダカをすくった小川が小学校二年の時はコンクリートで固めた用水になっていた、というのが一番記憶に残っているできごとですが、道路が舗装され、木造家屋がビルとなり、バスは国産のバスになり(それまではアメリカのトレーラートラックを改造したトレーラーバスと言うユニークなバスが走っていました)、鉄道は新しい車両が導入され、自宅には電気冷蔵庫が現れ・・・といった具合でした。新しい科学技術が輝いて見え、それもあって私は技術者になったのだろうと思います。

そのころの日本を髣髴とさせる情景がパナマにあります。パナマもすごい勢いで変化しているのです。新しいバスが走り、地下鉄ができ、ビルが建ち、道路が立体交差となり、新しいパナマ運河のレーンができ、風力発電所が建設される等々その変化は目を見張るばかりです。

     
  最初に泊まったホテルから日本大使館方面を望む。左:
20113月、右:20156

そのようなハード面の変化とともに、ソフト面と言いましょうか、人々の意識の変化もまた着実に起こっています。いくつか例を挙げましょう。

(1)スーパーのレジ(これはパナマ便り5号に書いたことですが、典型的な例なので再掲させていただきます。)

私が最初に2011年にパナマに来たとき、スーパーマーケットのレジ係は愛想もへったくれもなく、仕事に対する敵意をむき出しにして我々が買ったものをなかば放り投げるような扱いをしていました。もちろん「ありがとう」などとは口が裂けても言いません。ところが最近ではレジに行くと「おはようございます」とまず言われ、最後に「ありがとうございました」と言われるのが普通になりました。

(2)買い物の際の所持品

パナマでは手提げ袋やリュックサックなどを商店の売り場に持ち込むことはできないのが普通です。あらかじめ荷物の預け入れ所に行って荷物を預けてから売り場に入ることになっています。これは万引きを防ぐためでしょう。

ところが最近、高級店では荷物を持ちこんでも文句を言わなくなりました。一部のスーパーでも荷物を預ける必要がないところも出てきました。そういう店では防犯カメラの設置、従業員の常駐、小さい商品は現物を置かない、などの対策をしていますが、手荷物を預け入れるための人員にかかるコストや客を信用していないというイメージの悪化などのデメリットよりも、「あなたを信用していますよ」というサインを出すことのメリットの方をとるようになったと考えられます。

(3)盗難に合う品物

2011年に来た時は、街なかでカメラを使ったり、人前で電子辞書で言葉を調べたりすると盗難に合うからよせ、と言われました。確かに「旅行者」と見られると目を付けられやすいので気を付けなければなりません。しかし最近では、コンパクトのデジカメ、電卓、ガラケータイプの電話機などは盗難に合う確率はだいぶ低くなったように思われます。これらの品物はパナマの人にとっても手に入りやすくなり、盗品を売る手間のわりに儲けが少なくなったのでしょう。スマートホンは盗難にあうケースも多いですが、一方でパナマの人達も街中で平気でスマートホンを扱っています。私の持っているガラケータイプの電話機など、今は持っている人をさがすのが困難というくらいです。そのうち骨董品として盗難にあうかもしれません。

(4)労働の質

最初にパナマに来た時に比べ、二回目に来た時は私の技術を学ぼうとする意欲が各段に増したように思います。これは私の教える内容の価値が上がったのだと勝手に喜んでいましたが、そうではなく、パナマの人が「労働の質」ということに目覚めたのではないか、そうして、自分の仕事の質を上げるために積極的に私に学ぼうとしはじめたのではないか、という気がしています。

(5)歩行者優先

パナマは車優先社会です。今でもそうではありますが、特に首都では歩行者に道を譲るという傾向が顕著に見られるようになってきています。道をわたろうとすると車が止まってくれることが多くなったのは明らかに感じます。道を譲らないのはタクシーとパトカーです。男性の運転者の方が女性の運転者よりも道を譲る確率は高いようです(女性をおとしめるつもりはありませんが客観的に見てこのような傾向にあります。レディーファーストの習慣がこのような時にも表れるのだろうと考えます。)。

(6)クラクション

渋滞になるとやたらにクラクションを鳴らすというのが以前のパナマのドライバーでした。鳴らしてみたところでどうにもならないのはわかっているのに「馬鹿だなあ」と思っていました。ところが最近は多くの人が渋滞でもおとなしく待っているのです。だいぶ大人になったようです。

(7)健康志向

パナマの人は太っている人が多い。一度数えてみたことがありますが、三十代以上の女性の三分の二は明らかに太りすぎで、そのうち半分は身のこなしもままならない程太っています。男性は肉体労働者も多いせいか、太りすぎの人は二分の一以下と思います。

ところが、最近は肥満が健康に良くないという意識が出てきたのか、「ダイエットをしなくちゃ」という声をよく聞くようになりました。コーヒーを砂糖を入れずに飲むというのは5年前では考えられない暴挙でしたが(パナマでコーヒーを注文すると砂糖の袋が三つ付いて来る)、最近は砂糖なしでコーヒーを飲む人もちらほら見かけるようになってきました。若い女性にはスタイルの良い女性も増えました。もっとも「あれはコロンビアーナだよ」と言うパナマ人もいます。(コロンビアは美女の産地として有名)

(8)自動二輪車と自転車

地方では以前から自転車は交通手段としてよく使われていましたが、首都では交通事情の問題で自動二輪車や自転車は見かけることはありませんでした。以下は首都での事情とご理解ください。

2011年にパナマに来た時、公道で自転車を見たことはないと思います。自動二輪車も極めてまれでした。しかしその後、スポーツとして自転車に乗る人を見かけるようになりました。これらの人はスポーツタイプの自転車に乗り、十分な脚力で自動車と伍して走ることのできる人達です。

ところがほんのここ半年ほどの間に「実用としての自転車」を見かけるようになりました。交通事情が厳しい中、依然として自転車は危険な乗り物ではあるものの、自転車が走れるレーンが増えたことや、渋滞がますますひどくなっていることなどから、実用としての自転車が注目され始めているのではないかと思います。

自動二輪車はピザの配達や通勤に使われるようになってきています。以前とは比べ物にならないほどの数の自動二輪車が走るようになりました。渋滞のひどいパナマ市内では自動二輪車のメリットは大きいでしょう。

(9)治安の悪化

パナマの変化についていくつか例を挙げました。これらの変化は先進国化、という方向で、我々にとってはパナマの居心地を良くする方向だと思います。所得の増大と物資の拡充が働く人たちの余裕となっているのかもしれません。

しかし一方で所得格差が広がりつつある可能性も否定できません。首都に住む人の一部には格差の広がりによる治安の悪化を懸念する声も聞かれます。日本大使館からの情報では、麻薬による汚染やプロの殺人者による殺人などの例が紹介されています。

パナマの変化のうち、私が最も印象深く思うのは、「働いている人が楽しそうに見えるようになった」ということです。以前は働くことに敵意を持ち、客をないがしろにして最低限の手間で働こうとするのが一般的でしたが、最近は客と冗談を言い合ったり、笑顔を見せ合ったりしながら楽しそうに働く人も増えました。これは本当にすばらしい変化だと思います。

.パナマの習慣(日本と違うやりかた)--Panama Tips

① マーカーペンの呼び名

日本では油性のマーカーペンをマジックと言って通りますね。これは日本で最初に発売された寺西化学工業のマーカーペンの製品名が定着したものです。

パナマではマーカーペンをピロトと言います。「そこのピロトをとってくれ」と言われて何の事だかわからなかった経験があります。ピロトとはパイロット、つまり日本の大手筆記具メーカーのパイロット社の名前に由来しているのです。(ちなみに海賊はピロトの女性形でピラタです)

②蚊取り線香

 パナマにも蚊取り線香があります。蚊に刺されるとデンゲ、マラリア、ジカなどの病気をもらう可能性がありますから、蚊対策はパナマの人にとっては大事です。パナマの蚊取り線香の匂いは日本のそれとは少し違い、ちょっとスパイシーな感じがします。一晩目は匂いが気になりましたが、二日目からは気にならなくなりました。 
 
    

③交通マナー

 パナマに初めて来た人には、パナマではクラクションを鳴らされたらすぐに止まるように、と最初に言います。パナマではクラクションは優先権の主張なのです。

 パナマで70%の車は交差点でウインカーを出しません。これはロータリー交差点が多いことが影響しているように思われます。ロータリー交差点では車同志は必ずしも意志をはっきり示さなくても走り抜けることができます。問題はそこに横断歩道がある場合です。歩行者はウインカーをあてにできないので、その車が曲がってくるのか、直進(周回)するのかがわからないのです。

(下の図は日本人にわかりやすいように左側通行の場合を示します。
   実際にはパナマは右側通行です。)
 
 

                                               (完)


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<2.パナマで見る日本車>

パナマの自家用車はどこの国のものが多いか。

アメリカと関係の深い国ですから、アメリカ車が多いかと言うとそうではありません。乗用車の大半は日本車と韓国車で占められています。残りの10%にも満たない部分がアメリカ車とヨーロッパ車です。

以前は圧倒的に日本車が多かったのですが、今は韓国車と日本車は半々ぐらいです。新しい車は韓国車が多いので、いずれは韓国車の数が日本車を上回るでしょう。

パナマでは道路はあまりよくできていなくて、あなぼこがあったり水たまり(結構深かったりする)があったりします。また、地方に行きますと舗装されていない道や山道も多くあります。また、牧場を持っている人もいて、そういう人たちは牧場の中を車で走ったりもします。従って、お金のある人や、田舎に実家があってちょいちょい車で帰るというような人はオフロードタイプと言いますか、SUVと言いますか、車高の高い車を買います。(以降この種の車をオフロード車と言います)

日本車の人気は大変高く、その耐久性の良いことが評価されています。しかし、値段は韓国車より高い。それで裕福な人は「日本製のオフロード車」を買います。その次に裕福な人は「日本製の普通車か韓国製のオフロード車」を買い、それほどにお金のない人は「韓国製の普通車」を買うということになります。アメリカ車を買う人は多少思い入れがあって買うみたいですが、自分で乗っていてぼろくそに言う人が多いようです。原因は耐久性の低さと燃費の悪さと思われます。

日本のオフロード車はどんな車が走っているのか見て見ましょう。

 ホンダ CR-V

 トヨタ RAV4


 ニッサン Xtrail

  スズキ GrandVitara

 ダイハツ Terios

 トヨタ 4 Runner


 三菱 Montero

 トヨタ FJ Cruiser

 三菱 Outlander

 ニッサン QashQai


ニッサン Navara

いすゞ ピックアップ(型式名不明)

 マツダ BT-50

 三菱 L200


ホンダ Pilot

トヨタ Hilux


 スズキ Jimny

 本当に日本のすべてのメーカーの車がありますね。非オフロード乗用車も日本のメーカーのものはすべてある、と言う感じですが、たくさんになるので省かせてもらいます。

めずらしいのはスズキの軽乗用車、「アルト」がタクシー車として結構走っていることです。

 スズキ アルト

他のメーカーの軽乗用車は全くと言ってよいほど見かけませんが、一度だけダイハツの軽乗用車のタクシーに乗ったことがあります。

以前は小型のタクシー車としてはスズキアルトの独壇場だったのですが、最近は韓国メーカーが同じような車を販売しだし、ヒュンダイ、KIA、ダエウなどの軽乗用車クラスの車がタクシーとしてたくさん走るようになりました。さらにクライスラーが小型の車を販売していてこれも結構走っています。

自家用車として軽乗用車が使われる例は多くはありません。タクシーは燃費の良さからか、よく使われるという事情のようです。

ワゴン車は営業用以外にはほとんど使われていないようですが、スズキのワゴンが例外的に自家用車として使われているのを見ます。

 スズキ APv 

ハイブリッドカーは数少ないと思います(私はよく知らないのでひょっとしたら見過ごしているかもしれません)。大学の同僚がめずらしくプリウスに乗っています。彼はプリウスを買うのが夢でした。何年か越しで夢をかなえたと見えます。これ以外のプリウスは一台だけみかけたことがあります。

トヨタ Prius(同僚の車) 

主題からはずれますが、車の状態について若干書きます。

首都パナマ市は日本に比べると交通渋滞が多い上、運転も荒っぽいので、凹んでいる車が多いようです。日本だとちょっと当ててしまって小さな傷ができても気に病んだりしますけれども、ここではその心配はなく、少々(いや決して少々ではないかも)凹んでいても堂々と走れます。中にはバンパーが付いてない車(ときどき道端にバンパーが落ちているのを見る)、ワイパーがずり落ちないように吸盤で止めてある車、ガラスが割れていてビニールとガムテープで窓を塞いでいる車など、いろいろな車があります。タクシーやバスだって結構凹んでいるのです。おおらかといえばおおらか、危ないと言えば危ない世界と言えましょう。

 さて、最後に、どの車が一番人気か、という話をしましょう。

たぶん、一番人気はホンダのCR-Vだと思います。ただしこれはダントツというわけではなく、多少こだわりを持った人がこの車を選ぶケースが多い、というぐらいの話です。

 

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第二部 再びパナマから  No.4 2015 / 12 /20


 <パナマのクリスマス>

いよいよクリスマスです。パナマはキリスト教徒の多い国なので、クリスマスは特別な行事です。我々はクリスマスと言うと雪やそりや厚ぼったい服をきたサンタクロースを思い浮かべますが、常夏の国パナマではなじまないものがありますね。それでもマーケットではクリスマス商戦まっただ中ですし、今日20日の日曜日はもうそこらじゅうでパーティーやらやっています。そこここにイルミネーションやクリスマスツリーが飾られ、花火もぽんぽん上がります。


南方系の街路樹の間に設置された街角のクリスマスツリー

勤務先の大学は先週すでに業務を終わり、クリスマスパーティーも二回ありました。それなのに残念ながら二回とも仕事の都合で欠席しなければならなかったことだけが心残りです。大学のパーティーではおいしいサングリアが飲めるのですが、それはあきらめ、とりあえず私もクリスマス籠城に向け、昨日はさわら(現地ではシエラと言う。Sierraはのこぎりのこと。)を買ってさばき、酢じめにして冷凍し、今日はシャンペンを買い、ハムの塊肉を買い、ワインもビールも買い整えてばっちり準備完了しています。もう冷蔵庫はいっぱいです。

      
 左:シエラ(頭は落としてある この大きさで$21)
 右:シャンペンとハム ハムは3kg$14.40 中身は骨ばかりかもしれないが開けるのを楽しみにしている

おまえは日本に帰るのか、それとも家族が来るのか、と会う人ごとに聞かれます。クリスマスでは当然家族と一緒に過ごす、ということなのでしょう。「日本ではクリスマスはおまけで、正月が大事なんだ、」と言い訳してみますが、正月とて現状では一人で過ごすことになりそうではあります。それもまたよしかな。二三来客の予定もあるのでそんなにさびしいということもないでしょう。

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 <三顧の礼ふたたび>

パナマ便り2号でご紹介した三顧の礼(工場見学に行く話)は、その後二顧目がいまだに実現せず、一顧だけで終わってしまいそうな塩梅になってきました。しかし今日はこれとは別の三顧の礼の話をします。

実験に使っていた旋盤の駆動部が破損してしまい、修理の必要が生じました。ベルトが滑っていた形跡もあり、軸も摩耗してしまっているので、この機会にVベルトをタイミングベルトにし、平軸受けをボールベアリングに変えることにしました。
 ベルト、プーリー(滑車)等は輸入のため入荷に一か月ほどかかりました。ボールベアリングは日本製のコーヨーやNTNといったものが流通していて、問題なく買うことができます。
 部品の加工は、いっしょに実験をやっている教授の推薦する工場に頼むことにしました。教授の話では、そこの工場は一通りの加工ができるので便利とのことでした。図面を引き、材料を揃えて持って行きました。加工を頼む工場は治安の悪い地域にあります。私が一人で行こうとすると教授が「よせ、いっしょに行こう」と言って常に二人連れで行きました。

 図面をもとに見積もってもらい、加工精度についても打ち合わせをし、約二週間でできるということになりました。

(一顧目)しかし教授は、「一度確認に行かなければならん」と言うのです。任せておけばいいじゃん、と思いましたが、まあそう言うなら、と納期前に一度見に行きました。そうすると教授の見込み通りというか、図面の指示がよくわからない、という話になり、製作する部品について再度説明をしました。もしこの説明がないとそのまま放っておかれ、いつまでたってもできない、ということになるようでした。さすがに教授は「このあたりで一度尻をたたきに行かないといけない」ということがわかっているようでした。

(二顧目)次の月曜日にはできあがる、ということでしたので、月曜日に教授と二人部品を引き取りに行きました。そうしたら「工場長がいないからわからない」と言うのです。そうか、工場長しか仕事の中身を知らないんだ。あらかじめ工場長がいるかどうか確認すべきだった。しまったな、と思いました。明日は工場長が帰ってくるというので、じゃあ明日来るわ、と言って帰りました。

(三顧目)次の日行ってみると、工場長が部品を並べて見せました。そうすると二三ないものがあるのです。工場長に渡した図面を出してもらい、部品表を指して、これとこれがない、と言うと、今から作る、と言うのです。そんなことを言ったって、5分や10分でできるようなものでもありません。しかたがないので、また明日来ると言って帰りました。私は相当不機嫌になり、教授がはれものにさわるように私をタクシーに押し込んで大学に帰りました。

(四顧目)翌々日、工場から電話があり、「できた」と言います。先方もだいぶ悪かったと思ったらしく、「そちらへ持って行こうか」と言ってくれましたが、別件で時間がとれず、「取りに行く」と言いました。誰かに受け取ってもらったりすると、それがまた行方不明になってしまうこともしょっちゅうあるので、自分で受け取りに行くのが確実です。仕事を片付け、教授といっしょに部品を取りに行って一件落着しました。

日本なら、図面と部品表を渡せばだまっていてもほぼ間違いなく図面通りのものが約束した納期にできあがるものですが、ここパナマではそうもいかず、結局四顧の礼を実践して工場に通い詰め、ようやく部品ができあがるということになりました。そういえば工場に行くと顧客らしい人が加工についていろいろ指示をしているのを見ることもあります。工員は10人ぐらいいるのですが、わけがわかっているのは工場長ともう一人ぐらいで、その他の人は言われたとおりにやっているだけ、ということのようでした。訪問するとたいてい工場長が自分で工作機械を調整していて、工員は細かい調整はできないこともあるようでした。

              
         受け取った部品。鉄の部品はすでに一部錆びている

 せっかく図面や部品表を渡したのにやいのやいの言わないとできないのはどうしてだろうと思うでしょう。パナマの人は書いたものよりも聞いたことをたよりに仕事をする傾向にあります。あまりメモとかとらないし、とったメモはどこかに無くしてしまう。図面や部品表をきちんと見ようという気もなく、それよりは説明されたことを「ふんふん」と聞いて理解するようでした。けれどもパナマの人が格別記憶に優れているわけでもないので、最初に説明して10日もするとわからなくなってしまうのです。そうすると「まあこれは後回しだ」ということになるので、途中に一度説明に行かないといけない、ということになります。

それだけしても、「できた」と言いながらできていなかったりするわけで、適宜いろいろ説明したり、尻をたたいたりしなければ完璧には仕事ができない、ということのようでした。注文主が工場を借りて、自分で工程管理をして物を作らせる、と考えればそんなものかもしれません。

 <機械加工精度と完成度>

少々専門的な話になりますがご容赦ください。先の修理部品を設計した際に悩んだのは、精度の指示をどうすべきか、ということでした。いったいパナマの加工工場はどのくらいの精度で部品を作ることができるんだろうか。

たとえば軸受けと軸があんまり「がたがた」だといろいろな問題が生じます。かといってあんまり「きつすぎ」ても入らない。日本工業規格(JIS)には嵌めあいという規格があって、たとえば直径20mmの軸なら、20mm マイナス0ミクロンからマイナス21ミクロンまでの範囲に加工するのをh7と言います。これだと普通のボールベアリングならスーッとは入らないけれども、軽くたたけば入るというくらいです。

日本の加工業者なら、このくらいの加工精度は出せるのが普通ですが、パナマはどうだろうか。ということで、最初に工場に行ったときにその点を聞きました。そうすると、マイクロメーター(部品の寸法を精度0.01mmで計測する道具)はない(!)、と言うのです。あるのはノギス(ノギスだと精度は0.1mmぐらいになる)、内パス外パスなどで、内径は内パスでとってノギスで測るということでした。あとはベアリングなどを貸してもらって現物合わせで作るというのです。ベアリングは貸すことにしましたが、それでどの程度の嵌めあいになるのか、不安をかかえたまま完成を待ちました。

 結果的にはだいたい隙間±0.1 mmぐらいで出来上がってきました。隙間が小さすぎて入らないところもありましたが、そっちの方はやすりで削り落として入れることができました。隙間が大きすぎて「がたがた」なところは部品を隣の部品と結合するなどしてなんとか乗り切りました。

驚いたこともありました。削り残しがあって、ベアリングが奥まで入らないのです。これは明らかに最後まで旋盤を送らずに途中で削りやめてしまったためで、ちょっと注意をすれば防げる不具合です。また、キー溝がラッパになって(入口が広がっている)いるのにも驚きました。スロッターの刃物の固定が不十分だったのだろうかと思います。

       
            左:内径の削り残し     右:ラッパになったキー溝

加工表面を見ると、アルミ部品は良好でしたが鉄の部品はむしったような加工面でした。良い刃物がないのか、削る条件が悪いのか、これでは精密なものは任せられないな、と思いました。加工後は防錆油をかけることもしないので、工場で放置している間に錆びてしまいます。そんなことも全く気にしていない様子でした。

結局、「できた」と言いながらできていなかったり、とり残しがあったり、表面が粗かったり、仕事に丁寧さがなく、完成度も低いようでした。しかし、この工場よりももっとしっかりした加工工場は今のところ見つかっていません。


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 <お米>
 専門的な固い話をお付き合いいただいたので、肩をほぐして食べ物の話をします。パナマの主食は米です。これはいわゆる長米というやつで、昔日本でコメが不足したときに東南アジアから輸入されて不評を買ったものです。そのときの日本人のコメに対する思い入れはすごいとおもったけれども、同時に東南アジアの人たちがそれを主食にしているにもかかわらずぼろくそに言う人たちがいたのは日本人の依怙地で身勝手な面を出してしまったな、と今でも残念に思います。

それはさておいて、このパナマの長米ですが、けっこうぱさぱさに仕上がるので焼き飯にはぴったりです。私も弁当に持って行くためによく焼き飯を作りますが、これはとてもおいしい。一方、これでおにぎりを作ろうとするととても難しい。ねばりがないのでこれはしかたがありません。味はどうかというところですが、私はこの長米で五目寿司を作ったりします。コメを選べばそれなりにおいしい寿司ができます。

香り米もあります。一度買った米が香り米でした。これは正直口に合わなかったですね。この香りが好きな人もいるんだろうと思うのですが、私は残念ながら合いませんでした。

日本食を売っている店に行くと日本型のカリフォルニア米というのを売っています。パナマのコメと比べると形が違います。これを使うとおにぎりもできます。ただ、値段は6.8kg$35($5.1/kg)ぐらいと高い。パナマのお米は1.8kg$2.6($1.4/kg)です。田舎に行くともっと安いと思います。

     
        左:日本型カリフォルニア米         右:パナマ米
               
                左がパナマ米、右が日本型カリフォルニア米

パナマではお米は油と塩を入れて(もちろん水も入れて)炊きます。結構これはこれで塩味がついておいしい。パナマのコメは炊いた後固くなるのが早く、一方で湿ったところに置いておくといたむのも早い。油を入れたりするのは、いたみにくく、乾燥しにくくする効果もあるのかもしれません。私自身は油や塩は入れないで炊きますが、できるだけ早く食べきってしまえるように少量ずつ炊くことにしています。


  <プラタノ>
 
 プラタノ、というのは料理用のバナナです。果物として食べるバナナはパナマではギネアと言います。これらは国によって呼び名が違います。
パナマではプラタノは一種の主食と言えるかもしれません。下の写真の左側は青いプラタノです。右はそれを数日放置した結果で、黄色く熟しています。熟す速度は早くて、どうかすると買ってきた翌日にはもう黄色くなっていることもあります。これがもっと熟すと皮が黒くなってきます。近寄るとハエがわっと飛び立つようなやつです。しかしそれはそれで実は使い道があるのです。マーケットではちゃんとそういうプラタノも売っています。

       

さて、料理ですが、最もポピュラーなものがパタコネスという料理です。これは青いプラタノを使います。以下にその工程を写真でご紹介しましょう。このパタコネスは15分もあればできるので、朝弁当用にちょっと作って持って行くこともあります。


       
        左:皮付とむいた後のプラタノ     右:実を適当な長さに切る。


      
     左:これを一度素揚げにする    右:左側が揚げたあと、右側が揚げる前
      
     左:揚げて柔らかくなったものをたたいてつぶす 私は出刃包丁の腹でつぶしている
     右:それをもう一度揚げる

           
                     完成したパタコネス

揚げたてはかりっとしていてポテトチップとフライドポテトの中間ぐらいの食感。塩をちょっと振ってワインのつまみに。

青いプラタノは皮をむくのが結構大変です。青いプラタノは皮と実の結合力が強いので、乱暴にむくと実が割れてしまったりします。私は両端を切り落とし、包丁で縦に切れ目を入れてていねいにむきます。皮の裂け目などはあっという間に黒く変色するほど活性が高いのです。中の実は生の芋のようなもので食べられたものではありません。

一方黄色いプラタノの性質は日本で買うバナナに似ていて、皮もすっとむけますし、少し甘味があって生で食べられないことはありません。

青いプラタノを揚げると、かりっと揚がりますが、黄色いプラタノは油を吸ってしまいぐにゃぐにゃになります。青いプラタノと黄色いプラタノは全く性格が違います。たった一晩で熟してそれほど変わってしまうのは驚きです。

パナマの古いコインをパタコネスと言うようで、これは表面にパターンを打ち出していることから来ているのでしょう。料理のパタコネスはたたいて平たくつぶすところがコインの製造工程に似ているのでパタコネスというのではないかと思います。ちなみに植物はプランタ、バナナ農園はプラタネロと言い、プラタノという名前はそれから来ているのでしょう。

さて、黒くなったプラタノはどうするのか。外側が黒くなっても熟しただけで中は腐っているわけではありません。このようなプラタノを甘煮にして料理の口直しにちょっとつけるのです。プラタノエンテンタシオンと言われていますが、ところが変わると呼び名も変わるようです。

下の写真は私流のプラタノエンテンタシオンです。バター、はちみつ、レモンと12年物の苦みのきいたラム酒を少し入れて煮て作ります。街のレストランで出て来るのはもっと熟したプラタノを使い、色もあめ色になるまで煮込んでありますが私流は甘味を抑え、フルーツとしてのうまみを残して、短時間で作れる即席のものです。
      

                           (この回終わり)

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第二部 再びパナマから  No.5 2016 / 4 / 9

1.トップダウン組織

パナマの組織はトップダウン型(上意下達型)です。だいたい開発途上国の組織はトップダウンが多いようで、教育の機会が均等でなく、世襲制があったり、組織が未熟であったりといった理由によるものと思います。パナマは開発途上国型から先進国型にかなりの速度で変貌しつつあり、組織のありかたも変化していくものと思いますが、まだいまのところはトップダウン組織が幅をきかせています。

トップダウンということはトップが権限を握るわけで、人事についてもトップの意向が反映されます。あるとき警察のトップが変わり、国内の警察署長はすべて交代した、という話を聞いたことがあります。末端の労働者の場合、トップに気にいられなかったとしてさすがにすぐに首を切られるということはないようですが、閑職に追いやられたりすることはよくある話のようです。

私の勤務先は大学なので、比較的民主的な運営が行われているようですが、それでも教授は学部長にさからえず、学部長は学長にさからえず、学長は運営委員に逆らえない、という構図になっています。大学の最高意思決定機関は外部の有識者(といえば聞こえはいいが、外部の権力者とも言える)と学長で構成される運営委員会です。日本の大学のように教授会が権限を持っているということはありません。いや教授会と言う組織そのものがありません。教授は学生を教えるために雇われた雇人で、権力を持っているのは別の人なのです。

話は変わりますが、大学から要請されている私の仕事の一つに「研究活動の促進」というものがあります。大学とは言え、研究活動を行っているのはごくごくわずかの修士課程の学生とごく一部の教授たち(実行されている研究テーマは全学でも数件という所)で、私の所属する航海学部では4年前に私が立ち上げたたった一件の研究があるだけです。この研究は私とUMIP(パナマ国際海事大学)の教授一名、それに共同研究者として私が引きずり込んだ東京海洋大学の教授一名で推進しています。その他の人は実質誰も関与していません。学生も一人もいない。予算もない。等々いろいろな問題もあります。

現在は研究計画から装置の製作、実験の実施、解析、論文の執筆まですべてをUMIPE教授と私の二人だけでやっています。東京海洋大学の教授は遠いのでアドバイザーという形で参画しています。研究活動は手間暇がかかるもので、私は比較的暇ですからいいですが、授業も持っているE教授の負担は相当のものと思われます。

さて、E教授と私で実験を進めているとE教授が私に聞くのです。「今日の実験は何をするのか。」「試験片はどれを使うのか。」「このスイッチはいつ入れるのか。」等々。それも毎回同じことを聞くのです。

     E教授「電圧計のレンジは30Vだったよね。」

       私「いや違うよ6Vにして」

翌日

     E教授「電圧計のレンジは30Vだったよね。」

     私「昨日も言ったでしょう。6Vにして。」

翌々日

     E教授「電圧計のレンジは30Vだったよね。」

     私「6Vだよ。いいかげんに覚えてよ。」

つまり全く覚えようという気はないし、仕組みを理解して自分で判断しようという気もないのです。

この傾向はどんどんひどくなりました。ある時私は考え込みました。大学教授なんだから頭が悪いはずはないし、研究にこれだけ熱心に参加するのだからやる気もある。それなのにどうしてこんな簡単なことが覚えられずにいちいち聞くのか。

思いついたのは、この実験ではわたしがボスでE教授は手下だからだ、ということです。

パナマのトップダウン組織では、ボスは頭脳であり、手下は手足である、ということになります。手下は考えなくて良い。すべてボスの意向を聞いて手足となって動けば良い。パナマ人のE教授は、一般的なパナマの組織のやりかたに則ってそう考えたのだ、と私は推測しました。

私の仕事はパナマのレベルを上げることで、私の成果を上げることではありません。いつまでも私がボス顔をしているとパナマの中に手下ばっかりが養成され、頭脳が育たない、ということに思い当たりました。

それからは「あんたがボスだ」と言うようにしました。そうするとE教授は自分で考えて一生懸命やるのです。少しずつではありますが、彼がボスで私が手下であるという関係を作りだせそうです。でも「対等」というのはなかなか難しい。パナマにおいては「対等」の者が協力して仕事をなしとげる、という概念はなく、ボスと手下という序列のはきりしたトップダウン組織が彼らにとってわかりやすいのだと思います。 

トップダウン組織の場合、どのようなことが起こるのか、という話をしましょう。

(1)ボス(トップ)は物事を理解し、すべての方針を決める、ということになりますと、ボスの権力は大きなものになります。そうすると汚職が発生したりという問題も起きます。一方ボスの負担もまた大きなものになります。なにしろすべての問題はボスに持ち込まれるわけです。

従って、ボスがとても優秀であればトップダウン組織は効率の良いものになります。しかし私程度というか、普通の人がボスになると当然ながら手が回らなくなります。ボスは現場を把握しきれなくなり、ちぐはぐな命令を下し、傷口を広げ、ますます忙しくなります。

(2)トップダウン組織では序列はちゃんとしていなければなりません。そういう目でパナマの人たちを観察すると、パナマの人は権力者や強い人にはさからわない、という傾向があるように思われます。一見おとなしいのです。順法精神も高い。あきらめているとも見えますが、陰ではよく文句も言いますから羊のようにおとなしいというわけでもないようです。

(3)パナマは日本ほど情報が公開されていません。たとえばバス停には何も表示がありません。日本であれば、「バス停の名前」「バスの行き先」「時刻表」などが必ず表示されていますが、パナマのバス停にはこれらの表示は一切ありません。


パナマのバス停 広告はあるが、運行に関する情報は一切ない 

時刻表がないということは、運行は運行側の都合でどうにでもできるということです。日本のように時刻表を守ろうとすれば予備の車両や運転手も準備し、時刻通りに運行できるように工夫しなければなりません。時刻表がなければそれらはしなくても良いのです。この場合、バスの運行側がボスで、乗客は手下という関係のように見えます。ボスのやりたい放題で運営できるようになっているのです。利用者は文句をつける余地がない。なにしろ運航側は「何も約束していない」のですから、「今日は運転手がいないから運行はまびく」というようなことを勝手に決め、勝手に実行し、そして客には知らせる必要がないのです。この結果乗客はいつもなら来るはずのバスを待って待ちぼうけとなります。

大学も運営部署が強く、従って情報がきちんと流れてこない。今日は休講とかいう情報もどうかすると全く伝えられず、学生は待ちぼうけをくわされる。権力を持っている側は何をしても叱られない。権力のないものはだまって我慢する、という構図です。権力を持っているものが何もかも決め、それを関係者には知らしめる必要はない、というやり方は多少こじつけめいていますがトップダウン主義の弊害だと思っています。

(4)トップダウンの組織だとボスが手下の仕事の邪魔をします。たいてい会議などはその日の朝に実施することが決まります。手下はボスの決めたスケジュールを断る権限はありませんから、それ以前に手下が計画した仕事はキャンセルされてしまいます。ボスの決定は絶対なので前広に予定を知らせる必要はありません。従って予定を知らせるのはどうしても後手後手になります。日本だと先約優先(100%とは言わないが)ですから、会議もそれらに先立つように早めに計画しなければなりません。日本の手下たちは自律的にスケジュールに従って仕事を進めることができます。パナマでは手下たちが寄り集まって自分の仕事のスケジュールを決めてみたところでそれがボスの都合でキャンセルになる確率は極めて高いので、手下が自律的に仕事を進めることはできません。また、手下が自分で仕事を考えなくても良いくらいボスがひっきりなしに適切な命令を出さないと無駄時間が発生することになります。

(5)手下はボスのいう通りに仕事をするわけですから、かりに仕事に抜けたところがあっても、「それはボスがちゃんと言わなかったからだ」という言い訳が通ります。ボスだって「ネジを締めるときは右に回すものだ」とまで細かいことは言っていられない。ある程度は任せることになるのは当然です。しかし強弁すればいくらでも問題の責任をボスになすりつけられるという傾向にあるのもまた事実です。そういう状態だと仕事を完璧になしとげるという意識がどうしても低くなって来ます。なるべく考えないようにして、言われたことを片付けてなるべく早く帰る、というのが望ましい形となりがちです。

(6)命令系統がボスから手下という一系統しかないので、同じ職場で助け合うという考え方はありません。グループとしてうまくやるのではなく、自分だけがうまくやれば良いという考え方になる。日本だと同じ地位の人の助け合いみたいなものが発生しやすく、仕事量の配分のアンバランスを自主的に解消しようとして他人の仕事を手伝うということも起こりますが、パナマではそういうことはまずありません。

(7)私は比較的一人でこつこつと仕事をするのが好きで、上下関係をうまく操って仕事をするというのは苦手です。パナマを見ていると日本に生まれたのは私にとっては幸運だったと思うことがあります。日本では私のような仕事のやりかたもある程度認めてもらえますが、パナマでは上下関係のない仕事というものは存在しないように見受けられます。

私が5年前に初めてパナマに赴任した時には、長い間私はほったらかしにされていました。今思うと、私は命令系統に属さない人であったので、ボスと手下という概念にはずれていて、どう扱って良いのか先方はわからなかったのではないか、という気がします。しかし、二回目に赴任した時には私の能力をかなり評価してくれたこと、教授たちの中でも最年長に近い年齢にあったことなどから、なんとなく私はボスに近い扱いになってきました。そうすると私の言うことに皆大変素直に従うのです。一回目の赴任の時に比べて驚くほど皆私の言う通りにしようとする。

これはまあ大変気分の良いことで、私が右というと皆右を向くというのはなんだかちょっと面白い。しかし、私の仕事は前にも述べたようにパナマの技術レベルを向上させることなので、いつまでも私がボスではいけません。いつかそのうち、「あんたがボスだ」と言い放って相手をのっぴきならないところに追い込み、相手がいやおうなしに自分で考えなければいけない状況を作ってやろうと思っています。 

以上のように、トップダウン型組織というのは意思決定が早く、うごきがわかりやすい反面、手下の労働意欲をそぐ、という大きな欠点を有しています。

このトップダウン型組織はパナマの人たちの考え方そのものにも大きな影響を与えているようです。下級生は上級生の言うことに従い、その代わり上級生は下級生に「どうすべし」ということをはっきりと言う。私の大学では新入生にプレゼンテーションの訓練をします。それは、その人がボスになったとき、自分の意思を明確に大きな声でしっかり言う、という訓練のように見えます。
 

2.ボケテ紀行

ボケテはパナマの西の端に近いところにあります。45日の行程でボケテを訪問してみました。


パナマ全図
 

ボケテの中心街のバホ・ボケテは標高約1000 mのところにあって、山岳地域なので坂が多く、平均気温は25度ぐらいで涼しくて快適です。

ここは観光地になっていて特にヨーロッパ人が好んで訪れ、あるいは住み着いています。

通りに面して、しゃれたレストランやビアホール、バーなどが並んでいて、多少のお金と暇があれば毎日美味しいものを食べて一杯飲める、というところです。高原の気候のせいか、パンがとても美味しく、ヨーロッパ人が多いせいか、西洋料理もレベルの高いものが出てきます。 

       
      通りに面したビヤホール                    フランス料理店の店内

 

      
左:1ドルでとてもおいしいマフィンが食べられるという評判のカフェ。
右:ビヤホールで一緒になったカナダ人と 

最初の地図を見るとおわかりと思いますが、ボケテはパナマから直線距離で 350 kmほど離れていて、みちのりですと500 kmぐらい走らなければなりません。ダビというところまではリムジン型のバスが走っており、そこからローカルのバスに乗り換えて合計9-10時間かけて行くことになります。飛行機もありますが、我々は安いバスで行くことにしました。バス代はダビまで15.15ドル、そこからボケテまで1.75ドルです。私の場合は年金生活者割引というものがきくので、ダビまでわずか10.10ドルという格安料金です。時間はあるが、金はない、という人には最適の行程です。

ホテルも安いところから高いところまでいろいろあります。我々の泊まったところは一部屋70ドル/日でした。それでも中はちょっとしゃれていて、朝食も付いていておいしいし、中心街まで歩いて10分とアクセスも良く、申し分ありませんでした。


ボケテ付近
 

ボケテの西側(左側)にバル火山があります。ここがパナマの最高地点で標高3300 mです。天気によりますが、頂上からは太平洋とカリブ海の両方がながめられます。


ボケテから見たバル火山
 

その北にセロプンタというところがありますが、パナマの野菜の大部分はここで作っています。野菜を作るには海岸付近は暑すぎるということなのでしょうか。ここで作る野菜はとてもおいしく、しっかりした味がします。 

この時期、ボケテは夕方の東の空から霧雨が降り、西の空から夕陽がさすので、毎日のように美しい虹がかかります。
                  

安い物価、おいしい食事、過ごしやすい気候、とくれば、誰しもここで暮らしたいと思うでしょう。ここで暮らすのにそれほどお金が必要とも思われません。ただ、上流社会のつきあいや、乗り心地の良い車、分刻みのビジネスや輝くネオンの街でのとろけるようなひととき、というようなものは望めません。普段着に泥を付けたような人とつきあい、オフロード車ででこぼこ道を走り、田舎づくりだがおいしいレストランで食事をして、日がな一日のんびりと暮らすということはできます。年寄りの西洋人たちがここにたくさん住み着いているのもうなずけるというものです。ちなみに日本人はほとんどいません。 

さて、ボケテのちょっとすごいところは、ここが単なる避暑地や観光地ではなく、パナマのコーヒーの主要な生産地だということです。コーヒーの生産のためにヨーロッパ人が農場を作り、その結果このような町ができあがった、というのがボケテの成り立ちです。 

以下の章ではボケテのコーヒーの生産についてお話をします。
3.ボケテのコーヒー
 知り合いの従妹がコーヒー農園をやっているとかで、その人のところに招かれてコーヒー農園の様子を見ることができました。

皆さんはゲイシャという名前のコーヒーをご存知でしょうか。エチオピアの原産で木の名前がゲイシャというのです。芸者とは関係がありません。このコーヒーは古くからパナマにも植えられていたらしいのですが、生産性が低いので嫌われ、他の品種に置き換えられて来たと言われます。ところがある年、コーヒーの品評会でパナマ産のゲイシャが極めて高い評価を受けたのです。これをきっかけにゲイシャ種が見直され、ボケテのコーヒー園でも植え付けが増えつつあります。ゲイシャコーヒーは日本のスターバックスで一杯が2000円で飲める、と一時話題になりました。

訪問したコーヒー農園でも二年前からゲイシャを植えはじめ、今年はある程度収穫もあったようです。パナマの品評会で高評価を受けたエスメラルダ農園のゲイシャは100g3000円以上という高い値段で売られています。私が通勤途中によく寄るコトワコーヒー店では227g25ドルで買えます。今後出荷が増えると値段も下がるかもしれません。 

ボケテではコーヒーがどのようにしてできるかを見ることができました。


コーヒーの木。これはゲイシャ種。

 
コーヒーの花


コーヒーの実

コーヒーの実は、ブドウと同じような構造をしています。ブドウの種を大きくしたようなものだと思えば良いでしょう。皮の中に甘い果肉があり、その中に種があります。我々がコーヒー豆と称しているのはその種の部分です。


豆をむいてみたところ
 

コーヒーの果実は熟れてくると緑から赤、紫と変化します。熟れ具合で味が変わるので、どの色の時に収穫するかは目指す味によって違います。

収穫の時は、XXの品種の赤い果実を収穫する、というような指示がなされます。一本の木に赤い果実や緑の果実が混在してなっています。木の種類はテープで色分けしてわかるようになっています。通路というものは特にはなく、木の間を抜けて移動します。従って収穫は機械では不可能で、すべて人の手にたよることになります。


緑色の状態で収穫された実。どの色で収穫するかは判断のしどころ。 

        
 収穫した実は温室で乾燥させます。皮が黒くひからびてきたら、機械にかけて皮を除きます。

 ひからびた状態の実を半分に割ったところ。この状態でかりかりと食べることができる。果肉の甘味が残っていておいしいが少々固い。


むいた後の皮。これを煎じてお茶にするとか。


種は白い。この状態でさらに乾燥させる。

 

乾燥し終わった実は焙煎場に送って焙煎します。訪問した時はシーズンオフで出荷量は少なく、収穫する人夫はいませんでした。収穫の時期は8月から2月、最盛期は11月で、訪問した農園では多い時には70人もの収穫人を雇うとのことでした。コーヒー農園は山腹の傾斜地にありそこに収穫人の寝泊まりする小屋もあります。相当足腰が強くないとできない仕事だなあと思いました。

この農園では5種類の木を植えているとかで、ゲイシャ、ティピコ、モカ、他二種類とのこと。毎年日本人も買い付けに来るとのことでした。

下の写真に日本人に近いような顔をした子供たちがいます。この地域では先住民のノベブグレという人たちがたくさん住んでいて、これらの人たちは背が低く、肌の色が茶色で人によっては日本人に見える人もいます。パナマでは人口の10%がインディヘナ(インディオ)で、ノベブグレはその半分近くを占めています。

 

      
      お世話になった知人の従妹           説明をしてくれた農園の従業員
 

     
       知人の従妹の孫                     農園の従業員の子供たち
 

4.あとがき

パナマの組織がトップダウンであることについてはいつか説明をしたいと思っていました。組織が違うと人の考え方も変わるものだ、ということを教えられました。いや、組織だけではなく、経済や生活環境が変わると人々の考えもまた変わってきます。

 今パナマは経済的な発展が著しく、その影響を受けて人の考え方もどんどん変わりつつあります。私が最初に2011年にパナマに来たとき、スーパーマーケットのレジ係は愛想もへったくれもなく、仕事に対する敵意をむき出しにして我々が買ったものをなかば放り投げるような扱いをしていました。もちろん「ありがとう」などとは口が裂けても言いません。ところが最近ではレジに行くと「おはようございます」とまず言われ、最後に「ありがとうございました」と言われるのが普通になりました。もちろん本心から言っているわけではないでしょうが、常日頃そう言っているとだんだんそれが本心になるものです(それだから言葉はこわいとも言えます)。パナマ人の仏頂面がいつか消える日が来るかもしれない、とひそかに期待している今日この頃です。

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第二部 再びパナマから  No.6 2016 / 7 /11


                               2016
711
パナマだより
6

1.パナマ運河の第三レーン開通ニュース

パナマ運河の第三レーンは626日に開通しました。本当は運河開通百周年の2014年に開通させたかったらしいのですが、二年遅れの開通になりました。これまでは巾33メートルの閘門が二本あったのですが、新たに巾50メートルの閘門が作られたのです。開通の日はテレビ中継があり、一番船がCocoli閘門に入った時点で大統領の挨拶が現場でありました。一番船はCOSCOのコンテナ船でしたが、さすがに「でかい」、という印象でした。

      
                           開通式

     
           新閘門の写真 パナマ運河庁のホームページより借用
       
        7241910 商船三井のコンテナ船が通過している
              パナマ運河庁ホームページのウエブカメラの映像

 これまでのレーンが通過できる最大の大きさの船をパナマックスといい、新しいレーンが通過できる船をネオパナマックスあるいはポストパナマックスと言うそうです。今のところはネオパナマックスの船は少なそうですが、今後増えるでしょう。私の勤務先は運河の太平洋側の入り口にあるので、通過船を見ることができます。目の前をびっくりするような大きな船が通過するのを楽しみにしています。

カリブ海側の閘門の見学施設はできているそうですが、太平洋側はまだできておらず、見に行っても見学ができるのかどうかはわからない状況です。まだ通過船は多くはなさそうなので、通過する様子を見る機会は少ないでしょう。

 だいぶ前ですが、日本の中小型造船工業会と日本船舶振興会が新しいパナマ運河の影響やその採算性について調査を行っています(パナマ運河拡張が世界の海運・造船産業に与える影響に関する調査、2009年出版)。それによるとパナマ運河の競争相手は少なくはなく、バラ色の未来があるとばかりは言えないといった議論がなされています。

競争相手としては、スエズ運河、新しくできるかもしれないニカラグア運河、アメリカを横断する大陸横断鉄道、パナマ運河と並行して走るパナマ運河鉄道、メキシコからアメリカ南部への輸送ルートなどが考えられます。今後の世界の物流がどのくらい増えるか、といったことも影響するでしょうし、パナマ運河の通行料をどのくらいに設定するかということも一つの要素です。

    

ガンボアの橋を通過するパナマ運河鉄道の列車。パナマ運河航行中の練習船から撮影。舶用コンテナを二段に積んだ貨車を二両のディーゼル機関車が牽引する。

ともあれ、完成した新しい運河をどう運用していくか、パナマ運河庁の手腕が問われるところだと思います。
  余談ですが、パナマ運河の新レーンの開通日は南北アメリカのサッカーの試合であるCopa Americaの決勝戦の日でした。アルゼンチンとチリが対戦し、チリが優勝しました。パナマではどちらかというと運河開通よりもこちらの放映を見た人の方が多かったのではないかと思います。この大会には16チームが参加しますが、パナマも出場していました。パナマが入ったリーグには決勝に残ったアルゼンチンもチリも入っていたので、「不運なくじ運」だったのですね。当然リーグで敗退しました。パナマは小国で有名選手を金でおびき出せるような経済力もなく、リーグに入れただけでもまあ「よくやった」という感じです。

 2.路上販売
  (1)乞食
 パナマの街を歩いているとちょいちょい乞食がいます。乞食もいろいろですが、どこといって働けない理由もなさそうな若い男もいますし、不幸を背負って生きて来たという顔の年寄りの女もいます。身体障碍者もいますし、子供を抱いた母親もいます。乞食の中には多少芸をしてお金をもらおうとする人もいます。片足のない人が一本足で立ってボールを壁にぶつけてキャッチするという程度のものですが、一応努力しているように見えます。

 パナマの人たちは乞食にさりげなくお金をあげます。タクシーの運ちゃんなどが窓から乞食にコインを渡したりしています。こうした行為はキリスト教の教えと無縁ではないかもしれません。お金をあげて、それを他人が見ていなくてもよろしい。神様はちゃんと見ているんですよ、というのはキリスト教の考え方ですから、施しをすることはその人の(言い方はちょっと悪いかもしれないけれども)得点になる可能性もあるわけです。

 乞食にお金をあげてはいけない、という感覚が今の日本人にはあるような気がします。乞食にお金をあげるとその人の労働意欲がなくなるし、そもそも社会のセーフティーネットでなんとかするべき問題ではないか、というような考え方があるのかと思います。乞食の中にはちゃんと組織のある人たちがいて、その親玉は左うちわで暮らしている、などという話をフィリピンで聞いたことがあります。本当かどうかはしらないけれども、それが本当ならお金をだましとられているような気がするのも無理はありません。


(2)車内販売
  バスに物売りや大道芸人などが乗ってきます。バスがひとつか二つの停留所を通過する間に物を売ったり芸を披露してお金をもらいます。バスの運転手も心得ていてそういう人たちはただで乗せたりします。中にはちゃんとバス代を払って乗る人もいますが、乗り換えができるので乗り換え乗り換えして乗って行くといつまでも乗れる(時間制限とかあるのかもしれませんがよく知らない)ことになります。

 売
っているものはチョコレートや飴玉やガムのようなもの、歯ブラシのような安い日用品、違法コピーのCD、ペットボトルの飲料水などです。芸人はギターを片手に歌を歌ったり、手品をしたり、早口言葉をしゃべったりといったところです。宗教の伝道みたいなものもあります。大きな声で説教のようなことを言って、そのあとガムを渡してお金をもらったりするのです。あいにく私には話の内容がさっぱりわからず、何のことを言っているのかは不明のままです。
 バスに乗ってきて、そうやって商売をするのもパナマ人には受け入れられているようで、それなりに物を買ったり、お金を渡したりします。バス会社側は見て見ぬふりをしているというところだろうと思います。

(3)信号待ちの大道芸人
 信号で車が止まると大道芸人が車の列の前に出てきて芸をしてお金をもらうというのはかなり頻繁に見かけます。これは誰に迷惑をかけているということもありません。しかし日本だとなかなかお金をあげる人がいないだろうと思うのですが、パナマでは成立しているようです。私にもできるんじゃないかと思えるような幼稚な芸からまねのできないような高度でアクロバットみたいなものまでいろいろです。あんまり感心した時には歩行者の私も少しお金をあげたりします。
 大道芸人が現れるのは信号待ちの車の前だけで、他では見たことがありません。公共の施設の警備は日本よりも厳しく、そういうところで大道芸をやることは許されていないのでしょう。

(4)渋滞販売
 渋滞が始まりますと物売りが出てきて車の間を歩き回り、物を売ります。売るものはサングラス、車のちょっとした小物備品、果物、アボガド(なぜかアボガドは路上で売るケースが多い)、スナック、ミネラルウォーターなどです。確かに渋滞になると時間つぶしになんか買って食おうかな、と思いますから、商売としては悪くないかもしれません。渋滞がないとだめですが、市内は慢性的に渋滞しているので商売の場はかなりあると言えます。


           

(余談)スペイン語でアボガドというと弁護士のことで、日本で言うアボガド(正しくはアボカド?)はスペイン語でアグアカテと言います。以前「私はアボガドになるために勉強している」という話を聞いて仰天したことがあります。

 (5)卓上あるいは路上販売
 店舗を持たずに路上で売るものの代表は宝くじでしょうか。パナマでは宝くじは赤い羽根のようなもので慈善事業の一環ととらえられているようです。もちろん当たることも期待するわけですが、当たらなくてもそれは一種の施しになるという考えがあるらしい。宝くじ販売者は専用のテーブルを持ち、そこに番号別に整然とくじがならべられていて、番号を選んで買う人もいます。地方に行きますとくじを首からぶら下げて売っている人がいて、通りかかった車や歩行者が買って行きます。

         地方の宝くじ売り

 (6)屋台
 自転車やバイクにリアカーが付いたようなものにジュースと軽食を乗せて売る屋台は「極めてたくさん」あります。日本の屋台と違ってアルコールは出しません。だいたい朝食か昼食を買うためにあるようです。ピザの生地のようないわゆるトルティーヤで肉やチーズを包んで揚げるエンパナダ、シンプルな揚げパンだが一部がカリッとしておいしいオレハ、キャッサバのコロッケであるカリマニョーラ、パンにソーセージをはさんだチョリパン、源氏パイの親玉みたいな甘いお菓子、ホットドッグ、ジュースやチチャ(トウモロコシの粉を混ぜた汁粉みたいな冷たい飲み物、パナマでは人気)などなど、メニューは結構豊富です。私の通っている大学は近くに食堂が一軒しかないのでいつも数軒の屋台が常駐しています。学生用に売っている弁当はさすがに大容量で私なら二食に分けて食べられるほどです。


   バイクに付けたリヤカー型の屋台

(7)テント
 パナマ市内には店舗を構えた肉屋、魚屋という専門店を見たことがありません。肉、魚を買うとなるとスーパーか市場へ行くのが普通です。
 
 日本のコンビニのような店はあります。これらの店は例外なく中国人がやっているので中国人の店、という意味のチナティエンダと呼ばれます。コンビニエンスストアという呼び方ではパナマ人はわからないだろうと思います。ここには限られた種類の野菜や果物は置いています。
野菜と果物に限っては路上販売、もしくはテント販売の青果専門店があります。果物はこのような路上の店の品物が不思議においしく、スーパーで買うものはおいしくありません。

             
    テント販売の八百屋。これは立派な方。壁がない運動会のテントみたいな
    ものも多い。ここは右側のカウンターでジュースなども売っている


 (8)値段がないということ
 物品販売は値段がありますが、大道芸や乞食の場合は値段というものはなくて、施し、心づけ、もしくは志、ということになります。こういう場合にさらっとお金をあげられるようになりたいな、と思うのですが、まだなかなかスマートにお金をあげられるようにはなっていません。いくらあげたらいいんだろう、と迷う難しさや、なんとなく気恥ずかしいというような意識があるのだろうと思います。最近はたまに、自然にお金をあげられるようになりました。少額でも自分が思ったようにあげれば良いのだという考えにようやく慣れてきたところです。

 チップも値段が決まっていないひとつですが、最近はレストランで定額のチップを取るところが出てきました。レシートにチップがあらかじめ印刷されていて、黙っているとそれが加算されます。断ることもできるのかどうかがまだわからないのですが、たぶん断る人はほとんどいないのだろうと思います。率は1015%ぐらいのようです。チップの額で悩まなくても良いという利点がありますが、チップの面白みには欠けます。もらうほうも自動的にもらってしまうので、チップを渡したときのお礼もおざなりになってしまわないか懸念され、「これも良し悪し」と思っています。

宝くじは共同募金と同じで慈善事業と思われているのは前にも書きました。日本の共同募金が最近は半強制みたいなシステムになって、そのことへの批判もあるように聞きます。こういうものはパナマのように、集める人とあげる人が面と向かってあげたりもらったりする方がその意義を感じやすいという気がします。

日本の宝くじはその収益の一部が地方財政に入ります。宝くじが地方財政に寄与しているという宣伝はほとんど見ません。「税金を取った上に宝くじでもうけるなどけしからん」と思われるのを恐れるのでしょうか。もっぱら「X億円X本」とギャンブル性ばかりが強調されます。パナマの宝くじは宝くじのギャンブル性と共同募金の助け合いの考え方を上手に融合しているように見えます。これは日本でも真似してはどうか、と思ったりするのです。


3.シーシャンティ
 パナマとは関係がないのですが、最近少しばかり興味を持ったことについて。

長い間船に関する仕事をしてきて、音楽もそこそこ楽しんできたのですが、シーシャンティ(Sea shanty)という歌のジャンルがあることを最近始めて知りました。シーシャンティというのは船の労働歌なんだそうです。日本でいえばソーラン節が代表格でしょうか。
 シーシャンティをレパートリーにしている合唱団もありますし、シーシャンティの歌詞を集めたサイトもあります。有名な「バナナボートソング」などもここに入っています。
 日本では知られていないけれども、西欧ではよく知られているシーシャンティのひとつにJhon Kanaka-nakaという歌があります。シンプルな歌で聞きやすいので紹介してみます。

John Kanakaがここで聞けます。
   https://www.youtube.com/watch?v=9qxXfh2mfQ

  https://www.youtube.com/watch?v=85DDikbGw0c

 https://www.youtube.com/watch?v=SyLPBFXpBSE

この歌の歌詞は(語学力のない私の訳なので、まちがっているかもしれないが)こんな意味だと思います。

年寄りが言っていたさ。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。

今日は、今日は休日さ。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。

大ウソつきの大ウソつき。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。


 明日は働くぜ、けど今日は休みだ。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。

今日は、今日は休日さ。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。

大ウソつきの大ウソつき。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。

フリスコ湾へ出帆だ。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。

朝一番に出帆だ。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。

大ウソつきの大ウソつき。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。 

そーれ引っ張れ、ロープを引け。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。

ロープを引いて、金稼げ。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。

大ウソつきの大ウソつき。

ジョン・カナカナカは大嘘つき。


 ジョン・カナカナカという名前が滑稽で、それが大嘘つきと何度も繰り返されるとよけい滑稽に思えてきませんか。

帆船のころ、船を動かすには皆で力を合わせてロープを引いたりキャプスタン(巻き上げ機)を回したりしなければなりませんでした。力を入れるタイミングを合わせるためにリーダーが歌を歌い、船乗りが「オー」と声を合わせて応える、そんな場面を彷彿とさせる歌です。

子供のころ、家を建てる前に地面を固めるために、やぐらを組んでたくさんの人が力を合わせて丸太を地面に打ち付けるのをよく見ました(もちろん日本で)。何か歌のような掛け声のようなものを聞いたような記憶もあります。昔の労働というのは物理的に力を合わせる場面が多かったのでしょう。そこに連帯感も生まれ、このような歌も生まれたのだろうと思います。今は一人で何でもできてしまって、何万トンと言う船も操船するのは一人で十分。そういう環境が人と人の距離を広げていく、ということになっているかもしれません。

私はどちらかというと孤独が好きな方で、人と人の距離が近いのは苦手なのですが、この歌を聞いていると「力を合わせて」何かをする、という場面が浮かんできてすこしばかりほろっとしてしまいます。  

                                      (以上第6回おわり)

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No.4 パナマのいい所 2011/6/08


 パナマ市内のちょっといいところをご紹介します。

1.パナマ運河

ここではなんといってもパナマ運河。ミラフローレス閘門では船が上がったり下がったりするのを見ることができます。ずっと見ていてもあきないですよ。

現在進行中の拡張工事(現在幅33m二レーンですが、これに幅55mを一レーン追加する。2014年完成予定。10年ほど前の日本の報告を読むと、建設費の回収は不可能に近いのではないかという記述もある。しかしパナマは運河こそが主な産業で、そのような採算はどうでもいいみたいなところもある。2014年に開通を目指している。)

ミラフローレス閘門

2.カスコビエホ

世界遺産にもなっている、パナマの昔の行政地区です。いや、今でも大統領官邸や外務省の機関などがあって、ただ観光地というだけではありません。

この地区には古い建物がたくさん建っていて、路地や公園やレストランや博物館や国立劇場まであります。昔は鉄道があったらしく、聞いたところでは日本の江戸時代の頃からあった鉄道とか。

一部には古本や土産物などを売っている屋台村のようなところもあります。中華街もあって生活用品が安く売っていたりします。

カスコビエホから一歩踏み出すとパナマで一番治安の悪い地区があります。本当に紙一重の距離で、観光客がそちらへ迷い込まないようにいつも自転車警官が数人立っています。

これはどこかの大使館

鉄道の跡

古本屋

路地みたいなところを鉄道が通っていた

教会のステンドグラス

メトロポリターナ教会

芸術センター(007の舞台にもなったとか)

パナマ風マリネのCebicheの専門店もある

3.市場

パナマ市側からカスコビエホの入口に魚市場があって、よく見るとパナマの国旗と日本の国旗が並んでいます。日本の援助でできた施設なんだそうです。

魚市場

その先に野菜と肉の市場もあります。

4.海岸

摩天楼が立ち並ぶパナマの中心街は海岸沿いにあります。海岸は遊歩道が整備されていて散歩を楽しむことができます。しかし、生活排水の流入がひどく、海岸はかなり臭いという問題があります。

摩天楼が立ち並ぶ海岸通り

5.メトロポリタン自然公園

市内とは思えないような自然林の丘です。

インコ

長いつる

黒と白の猿(ここでは有名らしい)

黒い鷲


                              (この回おわり)


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No.3 パナマの音楽事情(1) 2011/5/15

 パナマに「クラシックのオーケストラ」はあるのか?という話です。
 
(1)Panama city pops orchestraというのはある。
 しかし、これはマントヴァーニ(ずいぶん古いか)などのポピュラー音楽を演奏するオーケストラに近いらしく、クラシックの演奏会を開いたという記録はない。

(2)National symphony orchestra of Panamaというのもあるらしい。
 しかし、このオーケストラがクラシックのコンサートを開いたという記録は見つかっていない。アメリカから移住したプロのフルーティストがこのオーケストラの情報をさがしているという話があったが、それほどに、このオーケストラの存在はわからない。以前福村芳一さんという人が振ったことがあるという記録がある。
 
 したがって、クラシック音楽の需要は多少はあると言えます。ときどき、室内楽のコンサートなどは開かれているようです。また、3年ほど前にJICAの青年海外協力隊の二名の方が、パナマ大学でビオラとチェロを教えたという記録もあり、その時に育てた弦楽四重奏団が日本大使館主催のレセプションで演奏したという記録もあります。これは最近のことらしい。クラシック音楽については情けないことにこの程度の情報しか今はありません。

      

 さて、ついでにパナマの他の音楽事情についてもう少し話をしましょう。
写真はパナマの楽器店のひとつLa Notaです。ここはYAMAHA楽器がやっているらしい。
展示してある楽器の半分以上は打楽器です。残りの半分以上がギター類で、さらにその残りの大部分は管楽器です。バイオリン族はほんの少ししかありません。これは日本の比率とだいぶ違います。

 やはり音楽の需要は圧倒的にラテンの音楽です。タクシーに乗れば必ずと行ってよいほどラテン系の音楽がかかっていますし、バスに乗ってもしかり!。ただし、ラテン系と言ってもこれは非常に範囲が広く、伝統的なパナマの音楽の「ティピコ」から、サルサ、バチャタ、ロック系のものなど、バラエティーもたくさんあります。日本では想像できないかもしれないけれども、ここではラテンの音楽がヨーロッパのクラシック音楽よりもはるかに存在感があります。

 青い海、澄んだ空、ときどき降る男性的な雨、常時30度近い常夏の気候の中で、はたしてクラシック音楽がどのくらい共感を得られるものなのかという疑問はあります。日本でも7月から8月にかけてはクラシックのコンサートもあまり開催されませんね。クラシックの音楽は、少し寒いぐらいの気候に合っているのではないでしょうか。現に私自身、ベートーベンもモーツアルトも今は聞く気分になれない、というのが実情です。
 
 もともと好きな音楽のことなので、時間がたてばまた新しい情報が得られるでしょう。今のところはこの程度の話でおしまいです。またいずれ。                                             
                              (この回おわり)


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No.2 パナマの果物 2011/5/5
パナマでは乾季が終わる3月から4月にかけて果物が豊富に出回る(その時期しかまだ経験していないので、実は他の時期の様子は知らない。)。

果物はもちろん南方系で、東南アジアやフィリピンなどで見た果物と似ているものが多い。店に出ているものだけを見ると、フィリピンほどの種類はないが、どれもなかなかおいしくて安い。

1.パイナップル

パイナップルはとても安いし、完熟のものが売られている。完熟だと中心部の芯のところも食べられる。かむとブチュッと汁が口いっぱいに広がって、食べながらジュースを飲んでいるような感覚になる。日本で売っているものよりも大きめで、缶づめにするぐらいの大きさのものが二三ドル。(首都値段、付録3参照ください)

まず外側を包丁でそぎ落とすように皮を取っていく。

そのあと、らせん状に溝を切る要領で黒いぷつぷつしたものをていねいに取り去っていく。あとはスライスしてできあがり。

2.パパヤ

ホームステイをした家の入口にもパパヤの木があって実がなっていた。うちのアパートの入口にもあるが手入れをしないので小さいものがすずなりになっている。農業関係者によると、パパヤの木は背の高さほど伸びた時から実を付け、その後もどんどん実がなって、しかし木はあんまり高くならないので、年寄などが栽培するのに向いているとか。パパヤの実は赤く、やわらかい。便秘に良いとのこと。

ホームステイ先の門のそばのパパヤ

先を切って縦に筋を入れて常温で寝かせている。これは何の意味か聞きそびれた。

食べるときはこんな感じ。

3.メロン

日本でも売っているアンデスメロンみたいなやつ。これも甘くておいしい。

4.マンゴ

マンゴが食べられる幸せは熱帯のものだと思う。

中には平べったい大きな種(右側)がひとつ入っている。

果肉は繊維質が多く、甘くて癖がなくておいしい。

道端の八百屋で1.5ドルで買った大きなマンゴは小ぶりのメロンぐらいの大きさがあって、ひとつを6人で食べた。

マンゴはそこらの道端にでも普通になっている。大木だから山ほどなっている。ただし大木なので、収穫しようと思うと高所作業車かなんか持ってこないとなかなかとれない。落ちたものをとればよいのだが、すぐ鳥がつつきに来るので落ちてすぐ拾わなければならない。勤務先にもたくさんマンゴの木があって拾っている人もいる。

道端に落ちていたもの(左)と木になっていたもの(右)をひとつづつ手に入れた。右のものは食べられないことはなかったけれども固くて酸っぱいばかりだった。左のものは3日ほどおいて黄色くなってから食べたところ大変おいしかった。

5.マラクーヤ(Maracuya

パッションフルーツのこと。日本では紫色というイメージのようだが、パナマでは黄色。市場でみかけて「どうやって食べるの?」と聞いたらひとつサービスしてくれて食べ方を教わった。写真のように二つに切って中の種のところを食べる。種もいっしょに食べてしまう。買ったものは少し酸っぱかったが、暑いときはのどの渇きがいやされてさっぱりする。ひとつ0.6ドルだった。

外観

この種の部分を食べる。皮は固い。

食べた後。

6.グァナバナ(Guanabana

ジュースは飲んだことがある。さっぱりしておいしい。まだ食べてはいない。食べたら報告。

7.スイカ

球形のものと長いものがある。球形のものはサンディアとか言っていた。ひとつ二百円ぐらい。スイカは日本と変わらない。日本と同じで当たり外れがあるらしい。

8.ヤシ

これもまあ普通にそこいらになっている。まだ青い実の中の液体をうすめたものを飲んだ。ちょっとこくがなくておいしくなかったが、もっとおいしいものもあると言われた。

9.バナナとプラタノ

バナナはフルーツとして食べる。甘くないものを屋根の上で干して食べたりもする。そうすると甘みが増すようだ。パナマのバナナは日本で食べるよりもこくがある。しかしバナナは日本で食べてもまあまあおいしいように思う。

屋根の上でバナナを干す。

プラタノは料理用のバナナで青いものは甘くない。バナナより大型のものが多い。プラタノを焼いてつぶしてまた焼いたパタコーネスは甘みがなくバナナチップスみたいなものである。パタコーネスと言うのはもともとコインのことであったらしい。表面に模様があるのでパタコーネス。英語で言えばパターン。これと外見が似ているところから来た名称であろう。食べた感じはけっこう胃に重い。芋を食べているような感じである。ごはんやパンの代わりにこれを注文する人もいる。

黄色いプラタノを黒くなるまで置いておいて砂糖を加えて甘く煮たものはパナマのレストランで常備である。定食にはよくついてくる。けっこう私は好きだ。(付録2参照ください)

プラタノ。けっこうでかい。

パタコーネス

プラタノを甘く煮たもの。

10.カシュー

まことに不思議ななりかたをしている。まが玉のようにぶら下がっているところの中の「芯」が、我々の知っているカシューナッツである。その上に紡錘形の部分がある。(この写真ではまだ小さいが、もっと大きくなる。)ここはみたところピーマンのような感じであるが、味は果物のものである。この部分をパナマではMaranon(マラニョン)と言う。一方、カシューナッツの方はPepita(ペピータ)と呼んでいる。もっとも、ペピータはスペイン語で種のことだから、カシューに限った呼び名ではないのだろうと想像している。

マラニョンのところは緑色からだんだん黄色になって赤いものもあった。黄色いものは少し細長く、赤いものはずんぐりしているので、種類が違うのかもしれない。(「後述の拾ってきたカシュー」の項参照)

この写真のマラニョンはまだ小さいが、ペピータの部分はもう大きくなっている。

ホームステイをしていたゴンザレス家のご主人が見せてくれたカシューナッツの伝統的な調理法。

種の部分(ペピータ)を集めて鍋に入れ、火にかけると、含まれている油が燃えて炎が出る。ペピータに火がついてぼうぼう燃える。

外が黒こげになったものを取り出して

かなづちでたたき割ると、おなじみのカシューナッツが出てくる。

 

これが、日本で食べるのとは比べ物にならないくらい甘くておいしい。もっともこの製造方法は手間がかかるらしい。テレビでこの伝統的な方法で作られているカシューの紹介をしていた。この方法で作ったカシューナッツはかなり高いとのこと。

さて、マラニョンの方であるが、これをジャムにしたものを食べた。これがまた「えもいわれぬ」おいしさである。いやみのない酸味があって、クラッカーやパンにつけて食べるといっそうおいしい。マラニョンのジャムを手に入れたいと思ってあちこちの店を見たが売っていない。製造は難しいのかもしれない。

マラニョンのジャム。これは手作り。

付録1<拾ってきたカシューの巻>

さて、ホームステイが終わってパナマの首都にもどって道を歩いていたら、カシューナッツのもと(マラニョンとペピータ)がいっぱい道端に落ちている。それでこれを拾って来てみた。マラニョンの部分を切ってみるとリンゴ臭がしてさっぱりした感じである。しかし口に入れてみると果肉はスポンジのようで食感が悪い。そこでこれを絞ってジュースにしてみた。これはさっぱりして良い味なのだが、残念ながらかなり渋みがあって飲むにはちょっと、という感じである。やはりジャムが最高のようだ。

マラニョンとペピータ

マラニョンの部分を切ったところ。

マラニョンジュース

さて、ペピータの方であるが、

このくらい拾ってきた

まず3個をアルミホイルで包んで火にかけてみた。

こんな感じになったが、少し生焼けだった。生焼けだと殻がしわくて中の果実を出すのに苦労する。果実も生焼けだったが、これは大変おいしかった。

生焼けの果実。

それで、次に残りを徹底的に焼いてみた。果実から油が出るのでもうもうと煙が出る。

油が加熱されて油煙が出るので着火すると火事になるからつきっきりで加熱。

よく焼いた見た

そうしたら中まで炭になっていて、食べることはできなかった。よって、焼くにはこつがいる。前述のホームステイ先のやりかたのように表面を強火で焼いてかりかりにし、殻が割れるようにする。中はほどほどに焼けるようにしなければならない。アパートでは無理で、戸外で果実から出る油をぼうぼう燃やしながらかなり乱暴に加熱するしかなさそうである。

拾ってきたペピータは結局ほとんど黒焦げで食べられなかった。というおそまつ。

付録2<プラタノの甘煮の巻>

パナマのレストランでは常備のプラタノの甘煮を作ってみた。要するにプラタノを煮て、砂糖、バターで味をつけたもの。お好みでバニラエッセンスなどを加える。

まずプラタノであるが、よく熟れたものが良いとされる。買ってきたものはまだ熟れようが足りない。もっと黒くなったものがよさそうなのだが、とりあえずこれで作ってみた。ちなみにマーケットでは青いプラタノと黄色いプラタノは用途が違うらしく分けて売っている。青いプラタノは甘くないらしい。

本当はもっと黒くなったものがいいらしい。

日本だと黒くなったものは中も傷んでいるが、むいてみたら中は健全だった。この状態で上品な甘みがあって、そのまま食べても食べられそうである。

バターを溶かして、

砂糖と水を加えて煮る。

レシピでは少量の水でとろ火で45分と書いてあったが、とろ火では全体に熱くならず、かといって全体を加熱すると水がすぐなくなってしまうので、やむを得ず水を足した。

できあがったもの。甘みが足りず、外観もレストランで食べるよりも生っぽい。やはりもっと熟れるまで待つべきだったかな。

付録3<パナマの貨幣価値>

パナマは米ドルをそのまま流通させている。硬貨はパナマ独自のものもあるらしい。呼び方は、一米ドルを一バルボアと呼ぶのが正式だが、ドルの方が言葉が短いので一般的にはドルという。貨幣価値はもちろん米ドルと同じである。物価は首都で日本の1/21/3ぐらい。地方へ行くとそのさらに半分ぐらいかそれ以下みたいである。



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No.1 パナマの食べ物 2011/4/1

 ホームステイが始まって一週間が来ます。この間、いろいろなパナマの食物に出会いました。最初のことでもあって興味深いことがいろいろあるので報告します。

食事
朝はたっぷり、昼もよく食べて、晩は軽く済ませてというのが基本のようです。晩は昼の残り物、ということもよくあります。

朝食
パナマ人の朝は次の5種類とか。

トルティージャ:トウモロコシの粉で作ったお好み焼きというかホットケーキというか。パナマのトルティージャは少しぱさぱさしていて小型で厚いようです。これとチーズ、肉、ハムなどを一緒に食べます。コーヒーを飲むのは一般的なようです。

ハム、チーズ(パナメーニョチーズはぱさぱさのフレッシュチーズ)、トルティージャ

② エンパナダ:トウモロコシ粉または小麦粉で作った皮の中に肉やなんかを入れて揚げた        もの。揚げ餃子の大きいものを想像してくれたらそんなもの。

③ カリマニョーラ:ジュカ(後述)を焼いたしたもの。

④ ジュカ:煮たもの。キャッサバのことでトウダイグサの一種という

⑤ タマレス(後述):ちまきの一種みたい。トウモロコシの粉を練ったものにいろいろな           ものを入れる。

昼食
ホストファミリーの家では毎日ごはんです。長いタイプの米ですがけっこうおいしい。これを少し塩をきかせて炊くようです。ココナツの殻をおろして混ぜたものはおいしかったですね。鶏肉や野菜を混ぜた混ぜご飯は最高。これとよく出るのが塩味のお汁粉みたいな豆料理。豆はほぼ小豆の味です。

    

   ココナツをおろしているところ                    ココナツライス(大変おいしい)

そのほか
チョリソー:ソーセージ。少し塩辛い。

パタコナ:プラタノ(食用バナナ、甘くない)をいったん焼いて、つぶしてまた焼いてビスケットみたいにしたもの。甘くないので、ケチャップなどをつけて食べたりします。今日はうちのおかあさんが手伝いました。

   

   焼いたプラタノをつぶしているところ             Pstacona con Chorizo

飲み物
コーヒーはなかなかおいしい。ジュースもいろいろあっておいしい。ココナツの若い実の汁を薄めたものはちょっとおいしくなかったけれども、もっとコクのあるものもあるとのこと。食事全体が塩辛いのか、甘い飲み物がけっこうおいしくて甘いソーダ水みたいなものをけっこう飲んでしまいます。

果物
パイナップル、バナナ、オレンジ、マンゴ、スイカなど、どれもとてもおいしいしやすい。パイナップルはリョービで丸ごと売っているぐらいのものが30円ぐらい、スイカはちょっと小ぶりだけれども100円。どれもそんなもの。

ジュカ:トウダイグサの仲間。梨と大根と芋の「あいのこ」みたいな感じ。庭に挿し木しておくとできるらしい。ホームステイの親父さんと私で掘り上げたジュカをごらんください。

                            
掘っているところ

                    

掘り上げたけれども土中にいくつか残っている。これを掘り出すのは大変だった。

      

      全部掘り上げたぞ                                 皮をむいて調理前

ボジョとタマレス
昨日午後からかかって晩の11時ごろに完成した

まずトウモロコシをゆでる。すごい量。

鶏肉の煮たものも入れる。

それをミンサーで挽く。昔は手で回していたとか。今は電動。

これを二つに分けた。プレーンのものはボジョにする。

こんな形にして、

パルマの葉で包んでできあがり。

もう半分は

スパイスの入った油を混ぜる。
よく練りこんで、
バナナの葉の上に乗せて、真ん中をへこませ、具を入れていく。
マスタード、グリーンピース、オリーブの実、鶏肉、レーズン、炒めた玉ねぎ、サルサソース。
上を閉じて、
バナナの葉をちまきのように畳んでいく。

それをさらにオビハウの葉で包んで。

できあがり。

朝起きてみたら冷凍庫に入っていた。

今朝、ボジョを試食。

葉をほどいて中身を出したところ
(右側は卵焼き)。

 ちょっと塩辛くてあまりたくさん食べられなかった。おかず(今回は卵な)といっしょに食べるのはおいしいが、味が濃いのでどっちがおかずかわからないようなところがある。こんどパンといっしょに食べてみよう。                    
                             (この回おわり)

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<外部リンク>
パナマ共和国基礎データ(MOFA)
在パナマ日本大使館・総領事館(MOFA)
The Nationl flag of Panama is quoted from MOFA official site