岡山の低山歩き
下津井城

⑧ 宇喜多秀家築城・岡山天城池田氏居城 岡山県倉敷市下津井



馬場跡広場 西ノ丸下の石垣 近世から江戸初期築城で石垣がしっかり残るが崩落が激しい

外部リンク: 下津井城(Wikipedia)  下津井城(GoogleMap)





西ノ丸上部 硬い岩盤上に立っている




西ノ丸上部から見下ろす下津井港 右方に旧下津井電鉄(廃線)の車両が4、5両見える すでに線路(茶屋町-下津井間)はない




二の丸につづく大手からの道




二の丸下の大手跡 門らしい痕跡はない




二の丸下の大手道と覚しき通路 今は木が生い茂り通りにくい まだ整備の余地がある




本丸西石垣 一見野面積み




本丸西石垣 やはり野面積み? 隅は算木積み




本丸の石垣 かなり崩れている




広い本丸部と天守台(奥) 海抜は89m 他の山城よりは低い 城は江戸期1639年の一国一城令(廃城令)で破却
城主池田氏(岡山藩池田氏家老)は備前国天城(あまき)に陣屋(三万二千石)を構える
天城池田氏初代由之(ゆきよし)は後日、家臣に刺殺さる 父元助は先に「長久手の戦」で戦死、波乱の氏である




天守台 石垣の崩落が進む 基部の規模は大変小さいが反対側の見晴らしも良い




天守台から二の丸への石段 ここから下る




二の丸跡 今は東屋がある 瀬戸の眺望が素晴らしい 向こうは瀬戸大橋 遠くに讃岐国・屋島が見える





二の丸跡よりの展望 この城は瀬戸内海の交通の要所 遠く右奥は讃岐のシンボル飯野山(讃岐富士) (香川県坂出市)




二の丸跡よりの展望 中型・大型船も行き交う瀬戸の姿は中世・近世のまま 手前下、丘上は下津井の氏神、祇園神社




三の丸跡 山上尾根にしては広い




三の丸下の石垣 廃城後四百年足らず経つが今もしっかり残っているのは素晴らしい 切り込み接ぎ




三の丸下から二の丸(奥)につづく石垣 武者走り道を歩く 他の山城のように後世に石を取られてないことが素晴らしい




三の丸から中出丸(中の丸)間の掘割(堀切) 丁寧に稜線を堀込んだ跡




中の丸跡 広く場所を取る 当城は江戸期1639年の一国一城令(廃城令)で破却




山腹にある「瀬戸大橋架橋記念公園」の駐車場 しっかりしたトイレがある ここより歩いて城に登る 奥山上は遊園地・鷲羽山ハイランド


<関連写真>



下津井城南麓、下津井港にある真言宗圓福寺 城主池田氏の菩提寺




同圓福寺本堂と境内 境内掃除中の僧によると、赤穂城主であった池田長政が下津井城を拝領したが、伊勢国で死去 当寺に位牌があるという

(関連写真)
移築した旧下津井城の城門 (天城陣屋領地) (岡山県倉敷市藤戸町天城)



日蓮宗 恵光山正福寺 第二代池田由成外護 山門は天城池田氏の旧下津井城の城門を移築


(天城池田家墓所)



天城池田家墓所 天城池田氏第二代・池田由成
由成娘の熊子が播州赤穂藩家老の大石良昭に嫁し、のちの大石内蔵助良雄が生まれた したがって由成は外祖父である
墓地は現在の天城高校運動場端の裏山(お桜山)にあり、他に池田家三代以降の墓と夫人の墓がある
なお初代由之の墓は町内の天城池田家菩提寺の臨済宗海禅寺にある 
内蔵助母熊子の墓は京都市の浄土宗聖光寺にある



浄土真宗大谷派 静光寺 山門は天城池田氏「天城屋敷の総門」 
大石良雄祖母(熊子母)の墓所がある




静光寺 
大石良雄祖母(熊子母)の墓所 「赤穂事件」のためか今となっては墓石もないが、五輪塔だったという話もある
元禄事件当時の領主が大石内蔵助の従兄弟ということで、此処天城池田氏も三万二千石がら三万石に減俸され明治に至る



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