私たちが訪れた歴史上の有名人が眠る墓地
「鎌倉殿の十三人+」
鎌倉幕府開府 源頼朝 供養塔 法華堂跡・白旗神社境内 (神奈川県鎌倉市)
鎌倉幕府 源頼朝妻 北条政子墓(五輪塔・供養塔) 鎌倉五山第三位 寿福寺境内やぐら内 (神奈川県鎌倉市)
寿福寺は政子が栄西を開山に招いて建立した古刹
鎌倉幕府 第三代将軍 源実朝墓(五輪塔・伝胴塚) 鎌倉五山第三位 寿福寺境内やぐら内 (神奈川県鎌倉市)
やぐらは中世の横穴墳墓のこと
源義経(牛若丸) 供養塔
鞍馬弘教総本山・天狗伝説の寺 鞍馬寺・若い牛若丸が住まいし成長した鞍馬山 (京都市左京区)
源義経に愛された静御前 遺髪塚
義経と別れた静御前は母とともに母の生地讃岐に行き晩年を過ごた 位牌もこの寺にある
四国八十八カ所第八十七番・長尾寺 (香川県さぬき市)
源義経母堂・常磐御前と乳母の墓
伝説では東国に走った義経を追いかけたがこの地で土賊に襲われて死亡 哀れに思った里人がこの地に埋葬したという
常磐御前の墓は関東を中心に数カ所ある (岐阜県関ヶ原町)
源三位頼政源三位頼政の墓
以仁王の平家打倒の令(1180)に呼応し三井寺の僧兵と宇治で戦うも平知盛軍に大敗、宇治平等院境内にて自刃する
墓も平等院境内 (京都府宇治市)
鎌倉五山第二位 円覚寺 塔頭佛日庵の開基廟 北条家歴代の祠堂 (神奈川県鎌倉市)
円覚寺の開基は第八代執権北条時宗
第五代執権 北条時頼の墓
第三代執権北条泰時長男の北条時氏次男 円覚寺 (神奈川県鎌倉市)
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鑑真大和上像 (C)Wikipedia
世界遺産 律宗総本山 唐招提寺 鑑真和上御廟 (奈良県奈良市)
度重なる辛苦の末来日、日本仏教に多大なる足跡を残した中国人貴僧(大和上)688~763の墓
同 唐招提寺 戒壇(ストゥーパ) 中世に廃され後再興 下部のみ鎌倉時代 上部は昭和時代 (奈良県奈良市)
薩摩藩家老 平田 靱負(ゆきえ)の墓
江戸時代幕府は薩摩藩に大変な工事をやらせていた 藩からは多くの死傷者を出し遅れてやっと完成
宝暦3年の木曽川分流工事(宝暦治水事件)」の責任者として過労で死んだとも自害したとも伝えられる
鹿児島県では有名な偉人である 真言宗 大黒寺 (京都市伏見区)
当臨済宗相国寺派大本山 萬年山相国寺 (京都市上京区) 寺墓地にある歴史的人物墓
時代がそれぞれ異なることから後に移葬されたと思われる
藤原定家 (正二位中納言・歌人・「小倉百人一首」・平安-鎌倉時代)
足利義政 (室町八代将軍・正室日野富子・銀閣寺造営)
伊藤若沖 (生前墓・奇想の装飾的花鳥画画家・江戸時代)
注:若沖の本当の墓は黄檗宗石峯寺にある(下写真)
江戸中期画家 伊藤若沖
黄檗宗 百丈山石峯寺 (京都市伏見区)
当寺境内奥に若沖作の多くの羅漢石像がある ただし撮影禁止!撮影は同意書と志納料が必要
注:生前墓は市内上京区の相国寺墓地にある(上写真)
花園天皇陵
鎌倉時代(持明院統)・十楽院上陵(じゅうらくいんのうえのみささぎ)・歌道、学問、書道に優れる
青蓮院門跡奥 (京都市東山区)
後醍醐天皇陵 塔尾山如意輪寺
「建武の新政」1333を興したが、のち足利高氏(尊氏)と対立し吉野で南朝政権を樹立 (奈良県吉野町)
後醍醐天皇皇子 夭逝の護良親王墓所(首塚) (神奈川県鎌倉市) 市道から百段ほど石段を登る
泉涌寺境内にある宮内庁管轄の四条天皇以後の墓所 (京都市) 下は被葬者一覧
泉涌寺境内掲示
泉涌寺境内上部にある孝明天皇と英照皇太后の御陵 (京都市)
足利氏菩提寺・等持院にある歴代足利将軍慰霊塔 (京都市)
足利氏菩提寺・等持院にある足利高氏(尊氏)の墓 (京都市)
足利尊氏利生塔(りしょうとう)
足利直義が1342(1338)年、南北朝戦乱犠牲者の菩提を弔うため国ごとに一寺一塔を建立
真言宗大本山善通寺 (香川県善通寺市)
紫式部「源氏物語」の光源氏の実在モデルとされた源融(みなもととおる・嵯峨天皇皇子)の墓
清涼寺(嵯峨釈迦堂)(京都市右京区)
豊臣秀頼の首塚 並びに 大坂夏の陣諸霊供養塔 清涼寺 (京都市)
「赤穂事件」の中心人物 赤穂藩主(広島浅野家分家) 浅野内匠頭長矩の墓
傍らに大石内蔵助はじめとする「赤穂浪士」たちの墓が並ぶ
曹洞宗泉岳寺(東京・港区高輪)
播州赤穂藩筆頭家老 大石内蔵助良雄の墓(右端)
上写真の藩主の墓に屋根がないのに家老の墓には屋根が付く不思議
曹洞宗泉岳寺(東京・港区高輪)