十二世紀中頃完成世界最初ゴシック建築 歴代フランス国王が眠る墓所
サン・ドニ・バジリカ大聖堂
Basilique Cathedrale de St-Denis, St-Denis, Ile de France, France 2014
ゴシック建築の内陣は端正にして重厚
内陣の祭壇
<霊廟・墓所>
フランク王国以後の国王はほとんど此処に埋葬される 初期の王朝の国王たちは廃墟になった寺院から此処に移された
(注:すべての墓は網羅していません)
フランス最後の絶対君主ルイ16世と王妃マリー・アントワネット (メモリアル)
フランス革命後の1793年パリの「コンコルド広場」でギロティンにより斬首
死体はマドレーヌ墓地に葬られた 22回目の命日(1815)年、遺体の一部が現在の場所に移された
Louis17
マリー・アントワネット von Habsburg
聖ドニ(サン・ドニ)の墓所
絶対王政始祖 フランソワ一世 1494-1547と妃クロードの墓 (三枚とも)
シャンボール城主、アンボワーズ城主 レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンであった
左端奥:チャールズ・マルテルはメロヴィング朝フランク王の国の宰相 「トゥール・ポアティエの戦い」で勝利しイスラム軍の侵入を食い止めた人
フ
左:ルイ三世 西フランク王国国王 ノルマン人を打破 左から二番目:カルロマン2世 兄ルイ三世死後王位を継承
右から二番目:ピピン3世(小ピピン・短躯王) フランク王国国王 チャールズ・マルテルの子 (西フランク王国・カロリング朝開設)
シャルル5世(賢明王) ヴァロワ朝第3代王 体は病弱だったが博学で堅実、善政を敷いた
シャルル6世(狂気王)、その妃ババリアのイザボー、シャルル7世(勝利王)、その妃マリー・ダンジュー他
アンリ2世、「有名」な妃カトリーヌ・ド・メディシス イタリアのメディチ家出身
フランソワ二世 ヴァロワ朝第11代 1544-1560 父アンリ2世、母はあのカトリーヌ・デ・メディシス
妃メアリー・ステュアート 病弱のため16歳で亡くなる
ルイ12世と妃アン de Bretagne
聖堂地下室にあるブルボン家の墓(チャペル) 此処にある6つの墓の中段にルイ16世とマリー・アントワネットの墓がある
パリ・コンコルド広場で処刑後、マドレーヌ墓地に埋葬されたが、王政復古後ルイ18世時にこの墓地に移された
ルイ16世とマリー・アントワネット墓の説明板(左) <参考>マリー・アントワネット胸像(ウィーン美術史博物館蔵)(右)
6つの墓の中段がルイ16世(右)とマリー・アントワネット(左)の墓
(上の場所を反対側からストロボを使用して撮影)
聖堂地下室の一段低い場所にあるサン・ドニ(聖ドニ)の物といわれる棺と墓穴
ルイ17世 (Wikipediaより転載) ルイ17世の生涯 |
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壁にはめ込まれたルイ17世の乾いた心臓 革命後、父母(ルイ16世・マリーアントワネット)が断頭台で処刑され、幽閉虐待された少年は病に罹り衰弱、 わずか10歳で死亡した 検死解剖の医師が心臓を持ちだし自宅でアルコール漬けにし保存したが最後は干涸らびた |