4 中央墓地 (4) Zentral Friedhof [Gruppe 0] 
ここからは、32A のブロック以外にある音楽家の墓を紹介する<グルッペ0> 

カール ツェルニー Carl CZERNY  (墓番号:0-49)


(筆者写)







音楽之友社
標準音楽事典より転載
 
電車通りに沿ってある高い塀の内側に一直線に並んだグルッペ0(ブロック)にある。サリエリより5つ外側である。墓の前に花を置いたのは、ピアノを嗜まれる方であろうか。 

   
作曲家 1791年2月21日生まれ 
   1857年7月15日死亡  (墓碑銘)


 
彼の多くの作品の中で、ピアノ教則本だけが生き残ってきた。それは”School of Proficiency”である。15才の時には、もうヴィーンで最も人気のあるピアノ教師の一人であった。フランツ=リストは彼の弟子の一人である。(GH)

 ベートベーンの弟子であることは、よく知られている。ピアニストとしても素質があったが、内気な性格のため早くから演奏活動は止め、作曲と教師に転向したという。教師としての腕は、大変優れていたようだ。彼は弟子リストからは月謝を取らなかったといわれている。ピアノを習ったことのある者で、彼の名を知らないものはいないであろう。                              

                       
アントニオ サリエリ Antonio SALIERI (墓番号:0-54)



墓下部の墓碑銘

(筆者写)



サリエリの肖像画




映画「アマデウス」中
晩年期のサリエリ
(マーリー・エイブラハム)



 
やはりブロック0にある。上の写真のように、面白い形の墓である。下半分に下のような墓碑銘(中央写真)がある。 
   
       
    
    
1750年の生まれ 
    1825年5月7日宮廷カペルマイスターとして死亡
     安らかに憩え! 
     塵芥から取り上げられて永遠が花開くであろう
     安らかに憩え! 
     今や永遠のハーモニーに君の精神は解き放たれる
     魅惑的な音色で彼は語った。
     いま不滅の美を手に入れようとしている
     1846年と1903年に復元された  
(墓碑銘)







(訳者・多賀照子注)
Staub=「塵芥」の意味が埋葬に関係するものか、
単に世俗的な意味か不明である
    
 
いくつかはイタリアオペラセリアの伝統に従って、また他のものはグルックに影響されて、40ものオペラを書いた。彼の教会音楽と器楽曲も、イタリア的なものが同時代の要素と結びついている。1788年から1824年まで宮廷音楽監督。ベートーベン、シューベルト、リストを教えた。  (GH)  
                 
 正直な話、わたしは
映画「アマデウス」を見るまでは、サリエリは名前くらいしか知らなかった。この映画のオリジナルは、ブロードウェー・ミュージカルである。彼を演じたマーリー=エイブラハムは、昔からアメリカの二流ギャング・西部劇映画などで脇役をしていた。大して演技力があるとは思わなかった。しかし、この映画でアカデミー主演男優賞を取った。なるほど、怖いくらいの迫真の演技である。何度も繰り返してみた。このために、本当のサリエリもこんな人かと思わせるくらいであった。きっと巷間、誤解が生じているであろう。またこの映画は同時に、真のモーツァルトの姿についても、誤って伝えたかもしれない。映画がよくできているほど、サリエリは「悪人」になり、モーツァルトは「常軌を逸脱した変人」となってしまった。
     
 
「サリエリがモーツァルトを殺した。」という説は,当時からあったそうだ。しかし、その後の研究で、それは完全に否定されている。さらに、実際にモーツァルトの「レクイエム」を完成させたのは、弟子のジュスマイヤーであった。彼は映画では登場しない。だから、モーツァルトの死の床にサリエリがいるのは違和感がある。また、レクイエムを注文したのも、ある伯爵(名前は数説ある)が亡くなった妻のために頼んだとかで、サリエリ本人ではない。

 ただ、日頃クラシック音楽を聴かない人にまで音楽を聴かせ、またモーツァルトの音楽に親しみを持たせたという意味で、この映画の功績は大変大きい。要するに、
「事実とは異なる音楽付きのよくできたドラマ」と考えれば良いのだ。そして、モーツァルト音楽の美しいサワリだけを、オンパレードで聞かせてくれるのも素晴らしい。そのサウンドトラックの演奏が、音楽監督のネヴィル=マリナー指揮、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ オーケストラで、マリナー自身がモーツァルトの研究家でもあり、奇を衒わない中庸的解釈なのも大変好ましい。こういうわけで、私はこの映画が好きだ。

 話は戻って、サリエリの墓の前だが、結構たくさん花が供えられていた。これが、地元の人の正直な評価なのであろう。彼の肖像画を見ても、映画のサリエリと違って、実直そうな人柄に見える。どう見ても、「悪人」には見えない。素晴らしい弟子達も数多く育っている。映画のキャラクターは、舞台と映画担当の原作者並脚本家、シェーファーの想像(創造)の産物であろう。何れにしても、心に残る映画ではあった。


(筆者注:「0」地区は正門を入って左手の高い塀に沿ってしばらく歩く、塀の向こうは電車の走る大通り。
有名な「32A」とはかなり離れている)