ホストのロバート(右から二人目/写真は変えてあります)
今回滞在したのは、メルボルンの中国系マレーシア移民の家で、ご主人ロバートは25年前に、単身でこの国にやってきたのでした。公園の日曜市などで、自分の作ったネームプレートを売りながら少しずつ金を貯め、夜間の大学へ通います。学費がなくなったら親戚に頼ったり、働きます。苦労の末、資格を取って大学を卒業します。来豪した頃は、英語も十分に分からず、語学学校へ通ったそうです。やがて、仕事で知り合ったイタリア人と意気投合し、小さな会社を設立、少しずつ大きくしてゆき、今では、コンピューター制御(せいぎょ)でアルミのエッチング製品を作っています。企業には、宣伝用のロゴ入りコースター、観光客には、コアラやカンガルーの絵入りプレートやペン立てなどを制作し、国内はもとより、米国、カナダまで手を広げています。
そのファミリーのショッピングについて行きました。中国系なので、アジア系の集まっている地区のセンターに行きます。そこは、韓国・朝鮮人の店やベトナム、マレーシア人の店等々アジアの国々市場のオンパレードでした。それらの店には、それらの国からの食料品だけでなく、日本の「出前一丁」や「キッコーマンしょうゆ」や「紅しょうが漬け」などがたくさんおいてありました。また、近くには、福建料理や四川料理の大衆レストランも並んでいました。そこだけは、まるでアジアのどこかの国のマーケットのようでした。そのなかに、日本人経営の店が、一軒もないのが印象的でした。
日本を除くアジアの国々から移民してくる人々は、豊かなそして自由な生活を求めてオーストラリアに来るので、生きるためには学業も仕事も一生懸命です。最近のオーストラリアの公立学校の生徒の成績が、もっとも優秀なのは中国、ベトナム、マレーシア、シンガポールなどの人々で、つぎにヨーロッパからの移民、終わりが最初にイギリスからきた移民の子孫の子孫だそうです。また、アジア系は大家族が多く、親戚(しんせき)を頼って、または家族を呼び寄せてオーストラリアへ来るパターンが多く、これらの人々の割合が急増しているといいます。さらに、ここの政府は、ベトナム、旧ユーゴスラビアなどの難民もたくさん受け入れているため、難民*1の人口も増えています。この様に、アジア系の人口が増える傾向は、現地でも話題になるようで、ホストファミリーのロバートは、「将来、中国系アジア人の排斥運動*2が起こらねば良いが..」と心配していました。
*1 難民 なんみん・・・・・・・・・・・・・・・その国で生きられない理由があって外国へ逃げてくる人のこと
*2 排斥運動 はいせきうんどう・・・・国の中でその人たちを何かの理由によって仲間はずれ、または国から追い出 す運動のこと
第三の都市ブリスベーン中心部
さて、2年前に滞在したブリスベーンのオランダ人移民のファミリーも同様に、移民一世です。第二次大戦後、オランダ政府は、国民に海外移民を奨励(しょうれい)しました。そのため、片道分の旅費を国が払ったので、多くの移民がこの国にやってきました。オランダは、もともと国が狭いため、移民の歴史は長く、新教*3の影響で、勤勉に働く習慣がついていました。この夫婦の場合、小さな旅行代理店を始めて、5人の子どもを大学まで出しました。彼らは今では学校の教師やサラリーマンなど、各地でそれぞれ家庭をもっています。親子は、100km以上離れて暮らしていますが、毎晩電話し合ったり、祖父母の誕生日や結婚記念日には、孫までいれて何十人が集まります。そういう意味では、現在の日本人以上に家族の結びつきは強いようです。
*3 新教 しんきょう・・・キリスト教は17世紀になると、今まであったカトリック(カソリック)に批判的な人たちが現れ、新しいグループを作った。これをプロテスタントという。
今、老夫婦ハーマンとイッチャは、体が動く限り働き続けたいと考えています。子どもたちが独立した今、街外れの一等地の高台にある4LDKテラス付きは、広すぎて管理ができず、売りにでています。ここの敷地は、谷を流れる下の川までずっと林になっており、昼は、国鳥の「笑いカワセミ」、夜になると野生の有袋類(ゆうたいるい)*4ポッサムが、餌を食べにやってきます。この様なすばらしい環境ですが、円換算3000万円以上の値段とこの国の経済が不況のため、4年たっても未だに売れていません。
*4 有袋類 ゆうたいるい・・・・ほ乳類より原始的な動物、カンガルー、コアラ、カモノハシなどこの大陸には多く住んでいる
ポッサム
(YAHOO!JAPAN, Geocitiesサイトより)
この国は、キャプテンクック(クック船長)以来、200年前から続けてやってきたイギリス系、アイルランド系白人が人口の75%を占めていますから、先ほどの人口比率19%のヨーロッパ系白人や5.5%のアジア系はまだ少数派です。しかし、1972年に、70年間つづいた「白豪主義*5」をやめて以来、先に述べたようにアジア系の人々は確実に増加しています。 いずれにしても、世界中から人が来、世界中の品物が手に入り、世界中の料理が食べられ、マルチ文化のこの国は、「国際的」という言葉がぴったりです。
*5 白豪主義 はくごうしゅぎ・・白人特にイギリス系白人を国の中心として、国づくりを進めるやり方で、有色人種のアジア系移民をとりのぞいて、国内に入れないようにしてきたが、後にこのやり方を改めアジア系移民も受け入れるようになった。