先住民アボリジニー
白人の少女と
アボリジニの男性

 最近の日本のテレビには、旅行ブームもあってか、オーストラリア紹介の番組やクイズが増えました。その中で、まじめな扱い方の少ないのが、アボリジニ(オーストラリアではクーリーとも呼ばれる)のことです。彼らは、4万年から6万年前に、アジアから移ってきたといわれています。現在は、全人口の1.5%を占めています。200年前にやってきたイギリス人たちは、裸で色黒の狩猟民は人間でないとみなしたらしく、この国を「人間無住の地」として領有*1を宣言しました。その後、開拓のためにイギリスから囚人などもつれてこられ、人口 も増えて行きました。これとは逆に、アボリジニが減っていったのです。彼らは、白人によってまるで動物でも扱うように撃ち殺されたり、白人との戦いで殺されたりします。また、免疫*2のない彼らは、白人がもってきた伝染病で、バタバタと死んで行きました。こうして、1881年から1933年の50年間に、人口は半分に減ったといいます。

 
 *1 領有 りょうゆう・・その国の土地にすること
   *2 免疫 めんえき・・病気に対する体の抵抗力

 さて、白人たちは彼らを教えさとすべき「未開の人種」として、彼らの集落より奥地の集中キャンプへ「輸送」し、イギリス人の服を着せ、イギリス流の教育をし、キリスト教を教え込みました。このやり方になじんだ者が、「模範的(もはんてき)」先住民とされたのでした。しかし、何万年も原野で狩猟生活をしていた彼らには、これらのことは大変苦痛を伴うことでした。

 戦後しばらくしてやっと「
先住民には、彼らの生き方がある。」ということが認識されるようになり、また建国200周年を境として、「ヨーロッパ文化もアボリジニ文化も対等である。」という考え方が広まって行きました。アボリジニの中でも教育を受ける人が増えて行き、それとともに今まで持ちえなかった「権利意識*3」が芽生えてきました。米国先住民(通称アメリカ=インディアン)が取り組んできたような土地返還(とちへんかん)要求運動が起こり、あちらこちらで裁判に訴えました。有名なエアーズロック(現地ではウルルと呼ばれる。)は現在では、アボリジニの「聖地」として返還され、観光客の入場料(入域料)の一部が、彼らの福利のために使われています。また、北部では、公害たれ流しの鉱山に裁判で土地返還を求め、それが今でも続いているものもあります。

*3 権利意識 けんりいしき・・・人が生まれながらにもっている、人間としての基本的なことがら(自由、平等、財産・・)についての自分の認識、理解。

(注)アボリジニは何万年も「狩猟生活」だったので、土地や動物がだれのものといった「所有」の考え方がなかった。 

      
                          
                       聖地ウルル/
英語名エアーズ・ロック


 
メルボルンの国立博物館に、アボリジニ関係の特別展示がありますが、その中で私の心をとらえたのが、一枚の写真でした。首に鉄の輪を付けた彼らが5人、鎖でつながっており、まわりに銃をもった白人が、得意げに取り囲んでいる写真です。白人に抵抗して捕まった人たちでしょう。その目はどれも絶望をあらわしています。その写真は、「野獣」をとらえたときの白人の「記念写真」のようにも見えました。私は、その前からしばらくは動けませんでした。目といえば、展示してある写真は100枚以上ありますが、どの写真も絶望的で暗い表情をしています。笑っている顔は、1つもありません。彼らの心の中にあったのは、いったい何だったのでしょうか。

 展示の説明によると、開拓時代は白人も男ばかりで、結婚の相手さえ見つからず、アボリジニの娘が、対象としてねらわれたようです。こうして、多くの混血が生まれました。展示の一角に、現在の混血の人たちの顔写真が、何十枚も飾られています。どの顔も笑っているのが印象的でした。日本人は「アボリジニ」というと、色の黒い人たちを想像すると思いますが、実際は髪だけ金髪とか、皮膚の色がクリーム色など多種多様の人がいるのです。

 この様に、歴史の中で彼らをとりまく状況が、変わってきていますが、いまだに多くの問題が存在しています。基本的には「生き方」の問題です。何万年も自然の中で、生活してきたのですから、
白人の生活様式、価値観*4を押しつけられても、同化することは困難です。また、彼らにとって白人のような生き方が、よいとも思えないのでしょう。朝、お日様がでて沈むまでが生活のリズムであった彼らに、夜昼逆転の生活はできませんし、こつこつ働いてお金を貯めることも厳しいことです。彼らの「保留地*5」の近くの、たとえばアリス・スプリングスやエアーズ・ロックそばのユララレゾートに行くと、アル中状態の彼らを見かけます。

*4 生活様式、価値観・・・生活の仕方や自分にとって何が大事というものの考え方
*5 保留地 ほりゅうち・・・彼らの伝統的な生活を守り、白人と出会わないようにするため、
                 奥地にもうけられた彼ら専用の土地。自然環境の厳しいところが多い。 

アボリジニの旗
黄色は太陽
赤は大地  
黒は自分たち

 
社会保障*6が進み、先住民族保護政策があるこの国では、働かなくても食べるだけはできます。国から生活資金をもらうと、すぐアルコールに換え、酔っぱらってしまう彼らの姿は、北米のエスキモー(イヌイット)やアメリカ・インディアンと同じく、先住民族の悲哀(ひあい)をあらわしています。英語力が十分でないため、失業者が多いのです。そういう意味では、むしろ、国内の各地にある部外者立入禁止の「保留地」で、昔ながらの生活をしている人たちの方が、少なくとも精神的には「健康な生活」をしているといえます。

*6 社会保障 しゃかいほしょう・・・健康で文化的な生活ができない国民に対して、国からお金や物を与える仕組み。イギリス、北ヨーロッパ、ドイツなどが進んでいるといわれる。

 政府の政策はといえば、今までの歴史の反省からか、
アボリジニ尊重を前面に出しています。彼らのために、特別の予算を組んでいますし、特別な扱いをしています。また、首都キャンベラやメルボルンの国立博物館(美術館)では、地元の白人の作品に比べて、はるかに多くのアボリジニ展示品があります。1階ロビーの正面の重要な場所に、弓矢や文字代わりの絵、仲間同士の通信に使う大きな笛(ディジュリドゥ)などが多数展示され、この国の大切な「伝統的文化」が一目で分かるようになっています。
 
 個人レベルでもアボリジニと接する人たちは、気配りをしている様子が、あちこちで見受けられました。たとえば、公務員の場合は、観光客の好奇の目やカメラから彼らを守っています。私がエアーズロックの下部に描いてある岩絵を見ているときでした。たまたま、レンジャーがアボリジニの婦人と観光客10名ほどをつれて説明に回ってきました。何気なくビデオカメラを回していると、女性のレンジャー助手がとんできて、「
アボリジニのレディを撮らないでください」とていねいに言いました。「見せ物」ではないのよ−ということでしょう。私は、あわててスイッチを切りました。その時はただ、珍しい壁画を撮っていただけなのでしたが。

 また、単にアボリジニの人々を保護するだけでなく、
歴史の「語り部」として、仕事を与えていますし、また各地の博物館で「もっとくわしく知りたい方は、私たちが説明いたしますので、ご希望の方はこのボタンを押してください。」と彼らの顔写真が貼ってありました。こうして、彼らは自分たちの歴史を「誇りを持って」、語ることができるのです。
 
 さて、田舎の方で「ガソリンスタンド」(現地では、ペトロールステーション、ペトロールスタンド)へ寄ったときでした。蛇足(だそく)ながら、この国のスタンドは、必ず小さなスーパーがついていて、日本の昔の「よろず屋」になっていますし、たいていはかわいいレストランがついています。さて、ガソリンの代金を払おうとした私の前に、それは粗末な服装をしたアボリジニの老婦人が立っていました。彼女は、無言で1枚のカードを、レジの白人女性に手渡しました。レジの女性は、機械にカードをいれた後、残念そうに首を振って、カードを返しました。二言、三言説明していましたが、英語が分からないのか、その婦人は何度もカードを出そうとします。女性は、嫌そうな顔もしないで、ていねいに笑顔で応対しています。とうとうその婦人は、あきらめて出て行きました。想像ですが、国からの生活保護費が入る銀行のカードだったのだろうと思います。この様に、彼らを、大変ていねいに扱うシーンをあちらこちらで目にしました。