つねやま・岡山県 常山の春 玉野市・標高307m


常山山頂から見た児島湖と児島湾干拓地
(右手の山は金甲山403M)





常山山頂から見た児島湖と児島湾干拓地




児島湖干拓地より常山を望む




山頂部城址にある女軍の墓





常山合戦と女軍の説明板

備前常山城
(リンク)
常山城主・上野隆徳
(リンク)




山頂から遠く瀬戸大橋を望む




常山山頂にて




常山城址登山口




山頂から見た児島湾干拓地(岡山平野の一部)



児島湾干拓の歴史
(リンク)

*児島湾干拓地
岡山平野は旭川の沖積平野であるが、江戸時代初期までは一帯に瀬戸内海が広がる場所であった。
この時代から干拓が始まり、明治以降も引き継がれてきた。第二次大戦後も事業が継続され、
秋田の八郎潟干拓地、福岡、佐賀の有明海干拓地と並び日本の三大干拓地のひとつとして、
食糧不足解消のため発展してきた。また戦後一時期多いに生産された「い草」もほとんど姿を消し、
代わってビール麦などが作られるようになった。しかし米が余るようになり、日本の農業が
輸入偏重時代になった現在、後継者問題をはじめとして、多くの諸問題を抱えている。

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