秀吉に攻められ自刃した毛利方武将清水宗治と備中高松城祉(城跡)
高松城水攻めで有名なこの場所は現在「高松城址公園」になっている 他の場所から移築された蔵が資料館となっている
高松城跡入り口の説明板
高松城跡にある当時の戦陣図と武将配置見取り図 円形の戦陣図中央水色が堰止め湖 扇形朱の部分上左端に加藤清正の名が見える
(C)2002-2006清水宗治webより転載
資料館にある宗治の陶像(平川忠氏制作)
資料館にある別の俯瞰航空写真 写真上に貼った毛糸(当時の堤)の右端が現存築堤跡の蛙ヶ鼻 直線部分脇は現JR吉備線が走っている
蛙ヶ鼻築堤跡にある説明板の地図(岡山市教委)
赤線が堤防、中央水色が堰き止めで出現した人工湖 高松城はその中にある
上図には羽柴秀吉の他、羽柴秀長、黒田官兵衛、浮田秀家、加藤清正、吉川元春らの名が見える
資料館にある最近の高松城周辺俯瞰写真 位置関係がよく分かる
資料館にある高松城周辺俯瞰写真 上写真と同じ場所から1980年代の水害の様子を撮ったもの 低湿地という
この土地の特性がよく分かるとともに、秀吉軍はそれを最大限に利用(増水期)して攻撃したことが理解できる
資料館にある清水家家系図、中国兵乱記
資料館にある第一級資料の写本
部下の命と引き替えに自刃した高松城主・清水宗治の首塚(高松城址公園)
同上・首塚(高松城址公園)
参考サイト:清水宗治主従・供養塔写真(山口県光市公式サイト)
同上・首塚(中央奥)を蓮池の向かいから望む(高松城址公園)
清水宗治・胴塚(高松城址公園近隣の民有地内)
同所・胴塚説明
清水宗治自刃(じじん)の地(実際は当時の堰止め湖の船上で介錯付で自決した)
(中央奥丸い石碑・高松城址公園近隣の星友寺境内外)
清水宗治自刃の地にある塚 この場所からは最上(高松)稲荷の大鳥居が望める
わずかに残る現存築堤跡の蛙ヶ鼻
蛙ヶ鼻の築堤跡を深く掘り起こした土地断面 手前は当時の土留め杭 そのむこうにある穴が当時の堰き止め土俵跡、そばに当時の骨があった
蛙ヶ鼻にある岡山市教委の説明板
Link:この地域の地図(Exicite)
Photographed date & location: March 01 & 06, 2007, Takamatsu, Okayama-city,
Okayama pref..
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