オランダ・ライデン・シーボルト旧居前運河の薄暮
Dusk at Canal, Leiden, NL

 日本人にとって幕末期の外国人といえば、フォン・シーボルトであろうか しかしオランダ船に乗ってきたとはいえ、彼は生粋のドイツ人であった だから本来はフォン・ジーボルトと呼ぶのが正しいのだろう 「フォン」が付く苗字はドイツ貴族の名前である 彼は「ロマンティッシュ・シュトラッセ(ロマンチック街道)」の起点で大司教の町ヴュルツブルグの生まれで、ドイツでは名門の医家の出身である

 さまざまな経緯でオランダ経由で日本に来たシーボルトは、長崎の「鳴滝塾」で日本人に医学を教え、また日本人滝と結婚して一人娘イネをもうけた イネはのちに「日本最初の女医」となる やがて彼は帰国の際に有名な「シーボルト事件」を起こし、国外追放の身となった 彼が日本から持ち出した多くの動植物標本は、この地の名門ライデン大学に寄贈され、日本研究の基となった 今でもこの大学の植物園には日本庭園と彼の胸像と愛した日本の紫陽花が存在する
 
 さて、その彼が身を置いたのが、この写真の運河右にある煉瓦の家である(写真外) ここも自動車さえなければ、当時のままなのかも知れない ここからは大学までは徒歩で十分もないだろう 良い場所である 因みに当地での私たちの宿は、写真外左側にある
  
    
        
 内部リンク:オランダ最古の大学町・シーボルトゆかりのライデン

   
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