旅にまつわる話・纏わらない話(4) カナダで働く三人の日本人
ウィスラースキー場

スキーツアーでカナダに行った。ここで働いていた3人の日本人について述べてみよう。

 
 一人目は参加したF社に頼まれて働いていたAさんである。彼はヴァンクーヴァー空港で我々を乗せて、2時間余離れたスキー・リゾート、ウィスラー・ヴィレッジまで運んだ混載車のマイクロバス運転手、「リムジーン・サーヴィス」の契約社員であった。彼は実に要領よくスーツケースを積み込み、車内でも要領よく説明をした。かなりのヴェテランであると思われた。路面に新雪があったが、スリップも危なかしさもなく目的地に向けて運転していた。

 町の中心部を抜け、大きな橋を渡って郊外に出ると、車はスピードを上げる。その揺れが、時差ぼけの乗客たちの眠りを誘う。私たち夫婦は、ヴァンクーヴァーのある地区の治安について話していた。そうすると、運転手が口を挟んだ。ここから私と運転手の会話が始まった。彼は秋田県出身の日本人、高校の時こちらへ来たという。若い時は友人とボロ車で北米を一周をしたと言った。なんと、日本とカナダの両方のパスポートを所持している。普通はどちらか一つしか持てないものだ。今は条件が厳しくなり、だんだんこのようなことは、難しくなってきたと説明した。彼はまた、スキーの国家検定指導員の資格もあり、休日や夜はスキー場でそちらの方の仕事もしていると言った。

 彼と話していると、こういう話をした。以前に載せたアメリカ人ファミリーの話だった。ある時、アメリカ人のファミリーがマイクロバスをチャーターしたいと言ってきた。空港に迎えに行くと、なんとたったの4人で一台を借り切るという。荷物を見て驚いた。ペットの愛犬は言うに及ばず、日常家で使う道具一式やスーツケースがどーんとあった。よく映画に出てくる暖炉の上などに置く家族の写真立て一式も含まれていた。これら全部を載せると、十何人乗りのバスがいっぱいになった。「アメリカ人のヴァケーションはスケールが大きいですよ」と彼は言った。

 今ヴァンクーヴァー市内に家がある彼は、時々日本に帰省はしているが、もう日本に帰って生活する気はないらしい。それはそうだろう。高校から20年以上アメリカ・カナダ的考え方や生活をすると、日本での生活はかなり違和感があるだろう。特に多感な青春時代をカナダの学校で過ごした場合は、それが特に顕著であろう。日本人は「こころの国際化」はまだまだだから、外国経験者はきっと住みにくいにちがいない。

 
 
 二人目は、スキーゴンドラ内であった若い女性である。話した時間が短かったので、話そのものは短い。彼女は白っぽいざっくりしたスノーボーダー・スーツを着て、屈んで靴ひもを結んでいた。顔を上げると、目の大きいハッとする様な美人であった。私は「日本人ですか?」と訊いた。「はい」「ボーダーの靴ってヒモが面倒なんですねえ。」ここから話が始まった。「日本から?」「ここで働いています」「そうすると、ワーホリかなにか?」「はい」

 彼女は宮崎県で歯科衛生士を8年していた。九州は阿蘇山周辺にしかスキー場はない。それもマイナーで、よく中国地方のスキー場まで行った。どうしてもカナダで滑りたくて、歯科医院を退職し、語学研修も兼ねてカナダに来た。いまは、宿泊施設で働き、空いた時間にスキー場まで上がってくる。この九月に来たので、英語はまだ聞き取りにくいし、上手く話せない。−こんな話しをした。

 それにしても、こんな日本の就職難で、歯科衛生士を「捨てて」カナダまで来る度胸は大した物だ。私は彼女に、「悔いが残らない様頑張ってくださいね。」と言って分かれた。

 (注)ワーホリ=ワーキング・ホリデイ
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 三人目はF社の社員である三十台の女性である。スキー・リゾートからヴァンクーヴァー空港までのバス輸送の担当だった。彼女はバスで出迎え、見送りの他に、事務所のデスクにいたり、ツアー客を連れてスキーコースも案内する。この日は客に説明したり、バスの運転手に英語で指示をしたり、他のホテルに寄って他の客を呼んできたり、獅子奮迅の働きであった。バスのなかでの説明がすむと、「ごゆっくりお休み下さい。空港に着いたら起こします。」ということになった。

 ここで彼女と話をした。彼女は富山県の出身、毎日北アルプスを眺めながら十代を過ごした。「どうして海外の仕事・・?」という私の質問に、「裏日本の北陸って何もないでしょう、大きなスキー場は長野県ですし・・。」と言った。学校を出た彼女は、はじめ故郷でフィットネスクラブのインストラクターをしていた。仕事には慣れても、何か物足りなかった。

 一大決心して海外に出ることにした。体育会系で富山県出身だから、スキーやボードも得意だ。F社に入り、カナダ、ニュージーランドで冬はスキーツアー、夏は普通のツアーを担当し、昨冬はフランスのメジャーなスキー場で働いたそうだ。「そこはカナダのスキー場の三倍も広い」と言う。この冬はここカナダに来た。

 両親は仕事先の国にはよく呼ぶことにしている。今まででは、ニュージーランドが気に入っていたと言った。「カナダは寒いから、あまり気に入ってなかった。」それにしても明るく外向的で、運転手と英語でジョークなども言っている。発音は決していいとは言えないが、持ち前の明るさや度胸でカヴァーしている。私が「失敗しても、立ち直りが早いでしょう?」と訊くと、チャーミングな笑顔で大きく「あはは」と笑った。私は、こういう人が「外国生活」に向いていると思うのである。